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経済警察が品物を没収
戦争が終わり、私も軍隊からは解放されましたが、しばらくは気が変になったような状態で、疎開先(山梨・大和村)には家も食べ物も金もなく、母をかかえて呆然としたものです。仕事を探して歩いてもあるわけがなく、一時は塩山で鍛冶屋につとめましたが、給料が安く、それにインフレが激しく毎日のように物が上がる状態でした。 やむなく始めたのが「カツギ屋」の行商でした。しかし食管法のため、警官が乗り込んでは列車から人も買い出した品物もおろされてしまう。経済警察官は「この品物は誰のか」と声を上げるのだが、捕まるだけだから、名乗り出るのはいません。こうして品物を没収されるなど、さんざんな目にあいました。 その頃、近所で蔵書を持っている人が出した貸し本屋で、本を読みあさり、そうしているうちに社会の問題にも目覚めたのか、気持の高ぶりがあり、そんな中で甲府のメーデーにも参加しました。 買い出し列車では、若い朝鮮人たちと知り合いになりました。彼らにはどんな極限的な状況下でも、生きぬくたくましさが感じられ、本当に頭の下がる思いをしたものです。彼らは言いました。「涙で越えた玄界灘、来たくて来たのか日本へ」金達寿(キムダルス)の詩です。昭和32年頃、彼らは祖国へ帰って行ったのでした。品川駅ホームで、誇りにみちた笑顔はいまだに忘れられません。 (杉並)
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