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戦争の中すごした青春
父は私が生まれてすぐに亡くなり、母は幼い私たち4人の子どもを女手一つで育ててくれた。 おせじにも細いとはいえない女の細腕で、家庭をささえ、かじっても、かじっても細くなりそうにないスネをかじられ、4人の子どもを育てるのは並みたいていのことではなかったろう。 さまざまな思い出にひたりながら、母の遺品を整理していたとき、一枚の薄い紙を見つけた。きれいにたたまれたその紙は裏の字が透けてみえるほど薄く、私に似て几帳面(きちょうめん)な母らしくびっしりと細かい字で埋まっていた。戦争末期から戦後にかけての母の日記だった。 「○○中尉とは、生きて再びお目にかかることはないだろう…」 「広島に新型爆弾がおちたようだ」 現在、北区西が丘のサッカー場となっている場所が、旧日本軍の“兵器廠”とよばれていたころ、母は、日給50銭でそこで働いていた。作業中、爆弾が破裂して死んだ友人もいたようだ。 戦地に行った人を思い空襲におびえる毎日。母は戦争の中で青春をすごした。母のような思いを娘たちにさせたくはない。 憲法九条や教育基本法の改悪が騒がれ、共謀罪までとやかくいわれる今の世の中を、まるで戦前に戻ったようだと年配の人は言う。 かつての戦争を年よりの思い出話として風化させることのないように。 夏が近づき、母を思うたびに平和を考える。 (板橋)
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