「期待に応えたい」
退社後も心にいる上司

設備 冨田恒彦
 私は、平成元年に20歳で某機械メーカーに就職をしました。入社当時の直属の上司は、社内で一番若い係長で、若手のあこがれの人でした。仕事に対する姿勢などを見て、私は「この人に一生ついていこう!」と思ったものでした。
 その後、10年がたち私も実力がつき仕事上でも対等に意見を交わすようになり、たまには激しく言い合ったりしたこともありました。
 そんな頃、社内の人事システムが新たに導入されようとしたとき、その上司は部下の意見を会社の上層部に伝え、批判したため第一線からはずされてしまいました。いわゆる左遷でした。そんなことが、2〜3年続くとあれほど活力があった人でもやる気、意欲がなくなってしまっていました。私が毎日のように励ます日々が続きました。
 そんな時に社内で製造システムの新規導入という大きなプロジェクトが企画され、私は企画を担当していましたが、プロジェクトのリーダーはその上司しかいないと会社の上層部に説明し、晴れて陽の当たる場所に戻ってくることができました。
 しかし、その上司が返り咲いた日、私は以前から誘いのあった兄貴の会社を手伝うため、退社の意を告げる日でもありました。3時間くらい話をしました。最後には「冨田が一晩考えて、気持が変わらなければ拍手で送ってあげよう」と言ってくれました。
 普通なら自分のことだけを考え、引き止めるはずですが、まず私の将来を考えてくれたのが涙の出るほど嬉しかった。今、東京で頑張っていられるのも、その上司の期待に応えたいという気持があったからです。
(中野)