労災保険で助かる
親方が払ってた組合費

大工 小林力
 私が品川に引っ越してきて、早くも40年がすぎた。港区にいた親方の仕事代金の一部が、いま住んでいる所である。親方に「どうだろう、ここに住まないか?」と言われ、買うことにした。こうして住めば都とばかりに品川区の二葉町に住むことになった。
 当時、組合には親方が組合費を払っていたので、はじめは知らなかった。8年くらいたったとき、解体工事で火打ち材が落ちて足の甲をケガし、芝病院にかかったが、親方の労災保険を使うことができ助かった。
 あの頃は、日雇健康保険でしたので、群会議で組合費・保険料を納め、ハンコを押してもらうことで、はじめて使用できる健康保険でした。組合費は滞納することができないために、群会議の会場も聞きながら参加していた。
 東京土建の拡大運動に、はじめて参加したのも、引っ越してきて、まだ右も左もわからない頃で、近所の平屋建ての二軒長屋に、職人がいると聞き、分会役員と一緒に訪問。つっけんどんな人だったが何回か足を運んだ。
 その二軒長屋の建物は当時の姿で今も残っているので、近所の人に聞いてみたところ、戦前からの焼け残りだとか。地主は別におり、建物は銀座あたりの「おばあさん」の持ち物で、毎月集金しているという。
 かんじんの組合加入については、再三訪問したが、酒を飲むのに忙しかったらしく、話を聞いてもらえずあきらめた。後になって聞いた話だが、病気になって亡くなったという。十割給付の土建国保なら、治療に専念できて治ったかもと残念に思った。
(品川)