小説家志望の青春
三島由紀夫の自決に衝撃

設計 小川治郎
 三島由紀夫が自決したのは昭和45年、私が19歳の時だった。私は高校時代から急に本を読み漁った。その頃から小説家になりたいと思うようになり、白い紙を巻いて、先端に赤色をつけた煙草をくわえながら、大作家になった気分で小説まがいのものを書いていた。
 大学時代に通い始めた剣道場は京橋の警察PRセンターにあった。ここでの私の役目は「風呂焚き番」。ある朝、道場で練習していると、短パン姿のイナセなにいちゃん風の男があらわれた。これが三島由紀夫との初めての出会いだった。その日以来、彼の作品を読むにつけ、三島文学に惹かれていき、私は小説家への夢が膨らんでいった。
 そんな折、風呂焚きという役得から三島由紀夫と話す機会を得た。風呂場の戸を開けて「湯加減どうですか」と声をかけた。いつも一緒に入っているはずの剣道の先生はおらず、彼ひとりだった。私はとっさに思いついたことを口走った。将来小説家になりたいこと。ペンネームとして三島由紀夫の本名(平岡公威)の一字を使わせていただきたいことなど。湯船に浸かる三島由紀夫のしぐさを見て「ありがとうございます」と発し頭を下げながら、そこから逃げ出していた。それは一瞬のできごとだった。
 その三島由紀夫の自決は、小説家になりたいと熱望していた私にとって、衝撃的なできごとだった。小説家は自分の作品のために自分の命までも犠牲にして完結しなければならないものなのか、と考え身震いした。それ以来、小説は書いていない。
 私のペンネームは「窪坂威」
(豊島)