今亡き親方に感謝
若い日の苦労誇りに思う

木工 石田敏晴
 もうかれこれ37年前のことになりますが、岐阜の田舎から東京に出てくるきっかけは、同郷の人が東京で銘木加工(床の間材製造)をやっていて、人手がほしいとの話があり、カバン一つで上京。その親方のところに住み込みで働くことに決めました。
 東京といえば、にぎやかでさぞ遊ぶところもあるだろうと意気揚々と上京したのに、現実はそんなに甘くはありませんでした。
 次の日からは朝8時から夜の10時頃まで、一日13時間位も働き、初めのうちは疲れて、夕食後ちょっと横になるとそのまま寝てしまい「仕事だよ」とたびたび親方の奥さんに起こされ、休日も第一と第三日曜日のみ、その休みも午前中は仕事という状況でした。
 親方としては早く一人前にして、衣食住の住、その家を持たせてやりたい一心からでした。給料もほとんどが天引きで、貯金に回るという修行時代でした。そのおかげで20代の若さで家を持ち、家族もできました。
 今思えば親方も、裸一貫で上京し、人一倍苦労したことでしょう。そして1人の若者を親代わりとして預かるということは大変なことだったと思います。
 私も人生55年を振り返り、若い時苦労したことを誇りに思っています。女房にも今では幸せだと思ってもらえるのではないかな。あらためて聞いてみたことはないけれど。
 今は親方について本当に良かったと感謝の気持ちでいっぱいです。その親方も先日亡くなり残念です。今では自分の子どもがあの頃の年齢になりました。そして子どもにもそうなってほしいと願っていますが…。
(江戸川)