転職支えてくれた
妻と娘に「ありがとう」

松岡秀幸
 私は、15年務めた商社を辞め、原子力発電に関する仕事をしていました。それは利権がらみのドロドロした世界。人間不信におちいり、誰ともしゃべりたくなく、しばらく仕事も手につかず収入もほとんどなく、家族を不安な心にしてしまいました。
 その時、誰ともしゃべらなくてもよい仕事はないかと考え、ハウスクリーニングの仕事なら妻と二人でできるのではないかと思いました。
 材料や車、資金が必要なその時に、上の娘が「頑張って」と車を提供してくれ、始めることができました。しかし、はじめての仕事。何もわからずただ周囲の人たちの見ようよう見まねで、言われるままの日々をすごしていました。
 もともと身体の強くない妻が運転し、仕事をし、夜遅くなると車に寝てそのまま仕事に行く状態が続きました。
 そのうえ自分たちが使う材料、仕事のやり方など、妻と二人でいろいろな材料を試し、方法を考えながら、何度もぶつかり喧嘩が絶えません。それでも負けず嫌いの妻はできない仕事も「できる」といい注文をとってくるので、それに応えるため、また研究を重ね、仕事をこなしてきました。
 その甲斐あって他にない特殊な技術を身につけ、仕事も認められ、現場監督からも相談・依頼を受けるようになりました。
 それと言うのも、2人の娘の協力と、そして何と言っても喧嘩しながら、文句を言いながらも私を奮い立たせてくれた妻がいたからです。今まで口に出して言えなかった「ありがとう」という言葉です。あの頃を忘れることなく、心より感謝しているところです。
(渥飾)