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日手間650円の職人時代
その頃は仕事が忙しく、休みは月に2日くらい。10月頃になると残業つづきで、よく働いたものだと思います。私が仕事場の後片付けをしていると、農家の長男たちは、夜遊びのかえりに「今も仕事か」といって笑って自転車で通りすぎていったのを、今でもはっきりおぼえています。 私は3男ですので、大工の修行をしっかり頑張って「今に見ていろ」という気持ちになりました。 修行が終って、私は3年くらい東京と実家を行ったりきたりして仕事をしているうちに、昭和30年2月に知人の紹介で江東区の加賀建築で働くことになりました。その会社はほとんど山形県の人で、仕事も大変忙しく、大工だけでも30人位は働いていました。 その頃の手間は650円、そのうち食事代として150円が差し引かれていました。その年は梅雨が長く仕事にならなくて、6畳間に職人6人がごろごろ。手取りが少なかったことをおぼえています。 昭和33年6月の頃。出入りの大竹左官の運転手が「東京土建という日雇健保もある組合がある」と現場へ来るたびに話していました。 そのうちに本部から2人の方が来て組合の話をし、6人が加入。次の土曜日にも来て3人が加入し、9人になりました。その場で「深川第三分会にするから」と言い、分会が誕生したのです。組合費は勘定をもらった日に納めたものです。 (墨田)
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