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建築代理士から二建へ
なじみのうすいこの資格は、昭和32年東京土建で建築士の資格取得を呼びかけ多くの仲間が参加した。私は港区四国町の工務店に住み込みでお世話になっていた。組合加入の“目玉”だったのか、親方に勧められ受講した。夜の講習で、会場は主に高輪小学校。眠い目をこすりながらの日々が思い出される。自転車での聖坂のぼりはきつかった。 講習終了、考査申込書作りも写真も、分会の世話で提出にこぎつけた。程なく年齢(経験)不足で、却下の通知があった。「昭和5年11月30日生まれ迄」とあり、学歴のない私は受験の機会を失った。 詳細は忘れたが、暮れか、翌春かに代理士試験を知り受験した。水道橋の住宅金融公庫あたりと記憶している。二次試験もあり、会場は太田道灌像が立つ旧都庁舎だった。 当時の先輩、本間板金、写真を用意してくれた岩藤さん、群会議で時々お伺いした川上さん、ここまで支えてくださった親方の風間さんらの面影が目に浮かぶ。 再上京したのは昭和34年春。杉並区永福町へ、早々に杉並支部へ加入した。500円の結婚祝い金を家内は、徒歩で阿佐ヶ谷の事務所へ受け取りにも行った。 手元の建築代理士の免許証には、東京都知事安井誠一郎とある。無価値に等しいこの証書だが、私の半生の思い出が詰まっている宝物だ。長い空白のあと「東京土建二級建築士講座」第15期に挑戦し、平成元年の免許取得にこぎつけた。長い道のりであった。 今は東村山市在住。組織の再編もあり、港、杉並、多摩東、多摩北、東村山と各支部を経たがために、大勢の仲間に恵まれた。組合歴も50年近くになった。諸先輩に感謝する。 (東村山)
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