孤独な老人ばかり
ロスの下町の大衆食堂

笠原昴
 私が昭和39年、はじめて就職したトラベル企画エージェントでの話。当時は海外視察団も、旅行も自由化していない頃。その年の5月、なぜか企画モノが5団体結成され、私たち新入社員に添乗、兼通訳としてのお鉢が回り、私が7人の写真業界視察団を案内することになりました。団員は小西六、富士フイルム、キャノン、東洋現像所などの重役が主なメンバーでした。
 説明会の席上「当社の笠原は、年は若いが何でも相談できる若手のホープです」との紹介で、羽田国際空港をフランク永井の『羽田発七時五十分』ならぬ8時30分に、一路アメリカに向いました。
 英語は多少できましたが、何と言っても現地のことはサッパリ不明、そこで即答は避け、わからないことはホテルのボーイ、支配人に聞きながら24時間勤務の連続でした。
 ロスアンジェルスでの事です。お金をかけない理由に、現地の人が何を食べているのか、町並みのダウンタウンの風情を知ることも海外視察の重要な意味があると説得し、場末の大衆食堂へ案内。
 今まで私たちは、アメリカは家族主義、ホームパーテイが盛んで、みんなにぎやかに食事を楽しむ、そんな風景が当たり前と思っていました。ところが回りを見わたすと独居老人、老夫婦二人きりがほとんどで、食事を楽しむ相手もいなく、ただ黙々と食事をしているのです。
 勝ち組と負け組、金持ちと貧乏人、そのとき目にした光景が現在の日本の姿とは、そのときは気がつかなかった。
 私はそのとき見た孤独な老人の姿を、人ごとと思っていましたが、40年たって日本がそうなるとは。私はこのことを今でも忘れない。

(足立)