大工でよかった
16歳で決めた自分の道

中村秀男
 昭和5年、板橋生まれです。自分がまさか大工になるとは思っていなかった。
 太平洋戦争が始まったのが小学校4年生、B29の空襲にあったのが高等小学校1年生の時。日本が戦争に負けたのときは16歳だった。
 日本中が真っ暗で、何をしたらよいのやら、毎日ブラブラしているだけ。終戦後3ヵ月が過ぎた頃、ある人から、闇で魚の行商の話と、大工にならないかと2つの話。どちらがよいか16歳の自分にはわからなかった。
 その頃は、とにかく食べ物がなかった時代。行商をやるか大工になるか、自分なりに考え大工になる決心をした。
 しかし大工になるには5年の年季を入れないと一人前にはなれない。頭も身体も使う仕事だと聞かされ2日ばかり考えた。結局、おふくろに連れられ、5年の年季に入ることになった。
 親方は九州の人で仕事はうまいらしい。しかし、明治生まれはおっかない。入って半年は木材運び、現場片付け、毎日、何かにつけて「馬鹿野郎」の連発だった。1年、2年と仕事に慣れると仕事がおもしろくなってきた。年季あけまであと3年、あと2年と自分にムチを打ってがんばった。
 あと3ヵ月で年季が明けようとする時、「今度の仕事は、お前ひとりでやれ」と親方。28坪の家。できなければ年季を1年延ばすといわれビックリ。親方に「やります」と言った時は身体が震えた。
 今、振り返ると、あの時が一生の別れ道だと思った。2ヵ月半後、何とか28坪が仕上がり、3ヵ月の礼奉公も終わりやっと5年3ヵ月の年季が明け、町場の大工として自分の人生が始まった。自分で決めた一生。大工でよかった。苦労は人生に付きもの。がんばりました。

(板橋)