戦死した同窓生思い
護憲、平和の決意新たに

時田マサ枝
 今年5月、西伊豆堂ヶ島の尋常高等小学校同窓会に何十年ぶりかで出席しました。
 毎年一度は同窓会の通知は来ていたのですが、病気の主人のこともあり毎回欠席していました。
 卒業して50数年が経ちますが、同窓生170人のうち半数が既に亡くなられているそうで、今回元気で出席したのが20人でした。
 同窓生の中で皆が忘れる事のできないのが、角屋幸男君。今で言うところの「イケメン」で背が高くクラスのアイドルでした。実家は鍛冶屋さん、長男なので家の手伝いをしていました。
 幸男君は昭和20年の春、航空兵に志願し、誰の見送りもなく出征したそうです。当時は「スパイがいる」という噂があり、盛大な見送りさえなかったようです。「男の子は軍隊、女の子は軍需工場」という時代で、「お国の為に」それが当たり前とされていました。そして8月に幸男君の戦死の報を聞きました。
 多くの航空兵は死を覚悟し、片道の燃料だけで敵地に向かったそうです。幸男君もその中の一人だったのでしょうか。
 誰が言うともなく「元気で帰って来て欲しかったね」と。亡くなったからこそ、今でも彼はアイドルなのかもしれません。
 私も村から4人で挺身隊として愛知の豊川で3年間、終戦も知らされず機関銃の弾を作り続けていました。9月27日、やっと家に帰って来て母と抱き合って泣いた事が忘れられません。
 あれから59年。戦争を体験した人たちがだんだん少なくなってきている中で、「憲法9条を守る」という運動が広がってきています。「いつか来た道」にならないように、子どもや孫たちのためにももっと声を大きくして運動を続けていきたいと思っています。
(世田谷)