戻らぬ金と形見の長男
手形を持って畳屋は夜逃げ

白田のり子
 昭和43年8月14日、朝から暑い日でした。食事を済ませた直後に、板橋区蓮沼に住んでいた畳屋さんが「お願いしたいことがあるので」と訪ねてきました。上がってもらって話を聞くと、手形を貸して欲しいとのことです。
 35万円を3枚計105万円です。夫はすぐに銀行へ行ってその足で貸して来たとの事でした。見返りに105万円の手形をもらい気分良く帰って来た夫でした。
 その日から22日経った9月6日、銀行の人が来て「畳屋さんが夜逃げした」と聞きました。すぐに畳屋さんの家へ行って見たら何一つなくなっていました。
 あの時の105万円は痛かった。その頃に、私は3番目の子を妊娠していて、なぜこんな時にとつくづく思ったものです。
 夫に「金は返ってこないだろうから、おまえも子どもを産むな」と言われて、毎日流産すればといろいろしましたが、なぜかしっかりと離れようとしません。上の子と違う事に気づき「お父さん。今度は男の子かもよ。食べたくなる物が全然違うのよ。私ね、105万円の形見にこの子を産むからね」と決心の末、夫に言いました。
 その後も、この手形のことで奔走し、悔しさや情けなさで涙が止まらない日々が少なからずありました。その度に「この子のためにも、今後は気をつけよう」と思い直し、昭和44年4月に男の子は産みました。「この子は105万円の形見」、そんな思いで育てました。
 その息子も今では35歳。2人の父親としてまめに子育てをしています。息子は自分の父親と遊んだ覚えがないので、十分に遊んでやりたいと申しております。私は息子に「今しか出来ないことだから思い残す事のないように」と言っています。

(板橋)