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職業病認定闘争で供養を
その後、日ならずして克彦の親友がバイク事故で即死状態で逝った。ある日、克彦がしみじみと私たちに言ってくれた言葉は「あの時に親が僕の頼みに負けて許可してくれていたら、今ごろは僕も死んでいたかもしれない。本当の親の愛情はこういうものだとわかり、心から感謝している」だった。 その後、大学を出て府中国立支部の書記として採用していただきながら、私の後継者としての長男からたって頼みで、2年間で退職させていただき、私の業に携わって懸命に働いた。しかし昨年6月、まさかの肺癌を宣告された。若さのためか転移が早すぎ、約1年間の闘病生活の末37歳で逝った。 肺癌と診断されて以来、本支部の労働対策部の援助を受け、職業病の認定闘争に着手していた。私としては、わが息子の例が、多くの仲間の今後の闘争に役立ってくれることを祈る気持ちで一杯である。 それが最愛の息子、克彦への最善の供養になるものと信じている。 (村山大和)
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