内定した就職断わり
独立した親父の手伝いに

柄澤文雄
  私が18歳の時のことである。工業高校3年生の11月に親父が突然、「独立するから、お前も手伝え」と言い出した。それで人生の方向が変わってしまった。
 そのころ親父は54歳だったと思う。前の会社を退職して子会社に移っていたのだが、何があったかわからないうちに会社を辞めてしまっていた。当時は東京オリンピックが開かれた年で、私は開会式の入場券を抽選で手に入れ、親父に「見に行ったら」と勧めた。ところが姪の結婚式とぶつかり行けずに、私が見に行く事になった。
 内定していた就職先は、当時のNET、今のテレビ朝日だった。当時のテレビ局はカラーの実験放送の段階で、新聞のテレビ番組欄ではわざわざ頭文字にカラーと書いてあった。放送局の中と言えば、ものすごく暑かった。温度を高くしておかないときれいに色が出ないと言われていたからである。
 面接では映画会社の東映の社長が出てきた。私は野球部に入っていたので、高校野球の楽しかった話をした。社長から「入社したら当社の野球部に入るか」と聞かれて、「入ります」と答えた。結局、NETに入社しなかったので、高校にも会社にも迷惑をかけた。
 親父との仕事が増えると、高校を休むようになったが、高校はなんとか卒業できた。通学のかたわら、自動車教習所にも通い、免許をとった。
 親父の仕事をみようみまねで覚えた。半自動が全自動の溶接に変わる時代で、現場仕事も変わっていった。
 今思うと、親父が独立していなかったら、組合にも入っていなかっただろう。私も現在、息子(27歳)と娘(25歳)の2人の子どもがいて、来年にも娘の方が結婚する。親になって親の気持ちがわかった気がする。

(大田)