苦手だった川の水泳
「水はこわい」が頭離れず

前垣欣司
 今ではどこの村の小学校でも、体育館やプールがあり、先生方も子どもたちも天候に関係なしに不自由なく体育の授業ができることと思います。
 しかし私の小学校の頃は泳ぎの練習は鬼怒川まで出かけなくてはなりませんでした。月のうち、1回か2回くらいしか体育の水泳の時間はなかったと思います。
 ところが、私は川で泳ごうとはしませんでした。「水はこわい。川は生きものだ」とおじいさんから水の恐ろしさを聞かされていたからです。整備されていない川で起きる子どもの水難事故の怖さをいつも感じていました。
 大嵐(台風)があると、どこかで川の氾濫があり、時には火の見の鐘が乱打され、どこそこの土手が危ないと、大人たちの普段は見せた事のない緊張した姿を見て、不安を募らせました。嵐の後の風水害の爪跡は、自然の恐ろしさをまざまざと見せつけて、大変なことになったと子どもなりに心配でした。それ以来、水泳は上達せず、橋の上から川面を眺めていても目がくらくらして困りました。
 還暦の記念にと佐渡島への小旅行に家内と出かけましたが、子どもの頃のことが思い出され、水が心配でした。1日目は無事でした。
 2日目がいけません。バスに揺られて、船に乗る頃には乗り物酔いでグロッキー。幸い大型船で揺れもなく、横になっていたせいか直江津に着く頃には大分気分もおさまりましたが、家内には心配をかけるし、さんざんな旅行になりました。
 最近は乗り物酔いも出ず、どこへでも出かけています。ブランコも遊園地の乗り物も一切ダメでしたので、子どもと一緒に遊園地に出かけた記憶がありません。子どもは勝手に行っていたようです。小さい頃から健康に恵まれるというのはすばらしいとつくづく思います。

(狛江)