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焼夷弾に逃げまどう
昭和20年6月末、米軍機B29による爆撃を受け、町は火の海となりました。前、西隣の家が焼け、火の粉がたくさん飛んできます。台所の軒下に焼夷弾が落ち、父がムシロをかぶせて消し止めると、もう一弾、小屋の屋根瓦にあたり、庭にスッポリと穴をあけました。 私は当時小学校1年生。兄姉と3人が家の防空壕で、怯えていると父に「ここにいては危ない。早く裏山に逃げろ」と言われ、田んぼの中を一目散に走りました。 道路はとき放された牛や馬などが暴走しているのです。真っ赤な炎で夜中の田んぼが昼間のような明るさです。裏山には近所の人達も逃げて来ていました。 明け方、家に帰ると幸い実家から東側7軒が残っていました。くすぶる煙ときな臭い油のにおいは今でもはっきり覚えています。 叔母一家も家を焼かれ、防空壕にいた家族6人のうち3人の子どもは焼夷弾の直撃で即死、残った叔母と子ども2人も顔や手に大火傷を負い、私の家に身を寄せました。また近所の同級生のお兄さん、19歳と16歳の兄弟達は特攻隊で出撃する時、低空飛行で屋根スレスレに3回程旋回して南の空に消えていきました。後に遺骨となり母親の胸に抱かれて帰ってきました。 あの恐ろしい戦争を子や孫達に伝えていきたいと思います。有事法制などを実施させないように頑張りたいと思います。 (豊島)
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