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見送る母の寂しい顔と涙
私は、その喜びを実家に報告しようと休暇をもらい、上野発の汽車に乗り懐かしい故郷に帰りました。 父も母も、大変喜んでくれて、「よかったなー」の連発でした。 親子の懐かしい語らい、故郷の手料理に舌鼓を打ち、わずか2日の休暇もあっと言う間に終わり、また東京に戻ることになりました。 母が結構重い荷物となったおみやげを背負ってくれて、駅まで見送ってくれました。 着いた町の小さな駅は乗り降りの人でごったがえし、巨大な機関車が黒い煙と白い蒸気を吐いて、目の前に停車しました。 いよいよ母との別れです。 「今度、何時くるんだ…」と言いながら近づいた母は、白い髪が目立ち、以前よりやせた感じがしました。 私が白衣に憧れ、看護婦になりたいという希望に、母は当時、不治の病と言われた「肺病になる」と言って反対しました。しかし、私の堅い決意に負けて上京を許した経緯がありました。 反対はしたものの、子どもが資格も取れて自立することに安堵すると同時に、どんどん我が子が遠くなっていく寂しさがあったのでしょうか。 故郷との別れは感無量で、あの時の母の淋しい顔と涙が今でも時々夢の中に現れ、忘れられません。そして、反対を押し切って取得した看護婦の仕事がそれからの私の人生をずっと支えてくれました。 夫が逝った後も家業の仕事をしながら地域の介護サービスに看護婦として関わり、私を待っていてくれるお年寄りに元気を与えられるサービスをしたいと願い、日々忙しくしています。 (杉並)
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