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核兵器の恐怖は今も続いて
その後、6月1日、九州の鹿屋に転出、地上作業に従事しながら8月15日の敗戦の日を迎えました。20日に解散命令が出て、夜、鹿屋を撤退し、3日目にようやく四国徳島にたどりつきました。 途中、広島駅を通過した時に眺めた光景は、一生忘れることはできません。見渡す限りの焦土、人影の全くないのが印象的でした。 1989年8月、東京土建東村山支部から地域代表として原水爆禁止世界大会で九州長崎を訪れ、初めて被爆者の方たちから直接被爆の実態を聞く事ができました。 16歳で被爆し、生死の中をさまよい、奇跡的に一命を取り止めた谷口さんが原爆の恐ろしさを語りました。 要点を書き出してみますと、天皇陛下のためにという戦争、この原爆犠牲者たちの恨み、つらみを代弁し、地上から皆殺しの核兵器を全面禁止して、平和な世界を作り出したいこと、被爆者援護法を制定することが犠牲者に報いる唯一の道であるなどでした。 長崎建労副委員長の結びの言葉に、戦後44年、生活は豊かになり、飽食の時代とも言われ、平和に慣らされている私たちに、鉄槌を下された思いですとありましたが、全く同感です。 わずか16歳の私が見た広島の原爆の爪跡の生々しさ、多くの市民がうめき苦しんでいったことであろうと想像されます。戦後58年たっても核兵器の恐怖は続いていて、この世界からなくなっていません。 今日、アメリカのイラクへの攻撃でヒロシマ・ナガサキの悲劇が繰り返されています。戦争反対の声を大にしなければと思います。 (東村山)
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