気合いを入れ大掃除
さあ大変先生の家庭訪問

島田多鶴子
 家庭訪問の季節になると、蓋付の湯飲み茶碗がよく売れるそうだ。
 子どもが3人いると、毎年のように先生がやって来ることになる。子どもが保育園に入園してから中学校を卒業するまで、家庭訪問があると聞いた瞬間から、「さあ、大変」ということになる。何が大変なのかよくわからないのだが、とにかく家の中の掃除にとりかかる。
 特に普段から汚くしているつもりはないが、先生が来るとなったら、家の中ぐらいキチンとしておきたいという気持ちになる。
 暮れの大掃除の時より、一段と気合いを入れて、隅々まで掃除を済ませ、先生が来るのを待つ。
 きれいに片付いた家の中を感心したように見わたして、「よその家へ来たみたい」と子どもたちが言い、「毎日、家庭訪問してもらえ」と亭主は言う。
 しかし、入念に掃除をしておくのも最初のころだけで、家庭訪問が回を重ねるごとにこちらもだんだん図々しくなってくる。玄関から座布団の上までのコースを決めて、先生の目の高さで、視界に入るものだけのほこりを払うような手抜きもする。襖は開け、少しでも部屋を広々と見せるように工夫をこらす。見えないところなんか、まあどうでもいいやー。
 そんなふうにして、初めての家庭訪問から20年以上が経ち、子どもたちもみんな社会人になった。振りかえってみると、家庭訪問に来た先生たちといったいどんな話をしたのかさっぱり覚えていない。家の中の掃除にばかり気を使って、子どもたちの教育問題はいったいどこへ行ってしまったのだろう。
 からだだけは立派になった子どもたち。まあ、いい。元気で育ったのだから、それでいい。

(板橋)