役に立った登柱訓練
実技ばかりか講話も

豊田佳二
 高校を卒業して、親の仕事を継ぐつもりもないのに、都立江戸川職業訓練所電工科に入所しながら、2ヶ月間くらいは高校の同級生との付き合いで、大学受験の予定はないが、訓練所の帰り夜間に神田にある予備校に通っていた。
 結局、予備校を辞めてから訓練所の同期生から、錦糸町ビルのレストランで、ボーイのアルバイトを募集していると聞き応募したものだ。丸いお盆の上に、小皿とコーヒーカップを載せ、お盆を3本指で支え、厨房カウンターから客席までコーヒーを運ぶ間に、3分の1くらいはこぼれてしまう。自分にはとても向かないと思い、その後は訓練所で電工訓練に専念した。
 訓練所では、講話を聞くことがあり、「自由」とはという話では、「みずからよし」と書く通り、自分から努力してよくしていかなければ自由にはなれないと教えられた。今でも思い出して、心を引き締まるおもいがする。
 訓練では作業で電柱に登る登柱訓練というのがある。靴の上に登柱器という爪がついた金物を取りつけ、安全帯と登柱器の爪を木柱に食い込ませて登る。登りは何とかなるのだが、下る時に爪を立てすぎると、滑り落ちてしまうので大変だった。
 卒業後、電気工事会社の現業班に就職した。入社2年目、東名高速道路建設にともなう、仮設電話配線の工事についた。工事といっても、神奈川県山北町の山中を細いワイヤー付電話線を引っ張って峰から谷へ下り、また次の峰へ上って配線する人海戦術による作業だった。
 そこでは訓練所の登柱訓練が大いに役に立った。
 山中に建てた木柱に電話線を縛り付ける為に登るわけだが、訓練を受けていない者は、やはり柱から下りる時に滑り落ち、手や顔に擦り傷が絶えなかったことを今、思い出す。

(荒川)