やさしく勤勉な社長
平和運動や組合にも理解

塚橋誠至
 2003年3月9日に亡くなった信夫担さんのことを書きます。私の働いている会社、(有)シノブタイルの社長です。私の組合活動や平和運動、そして仕事について理解してもらい、時にはやさしく、時には厳しいこともあったが、本当に感謝しています。
 社長と初めて出合ったのは、1986年。サラリーマンが嫌になって辞め、飲み屋で知り合った人の紹介で社長に拾ってもらい、タイルの仕事を始め、東京土建に入りました。
 入った頃は、ものすごく忙しく、休みも少なかったけれど、仕事も多かったので頑張って働きました。社長は職人以上に働いていました。会社に行くと、季節の物やいろいろな物をご馳走になり、お酒も飲ませてもらいました。
 1988年1月3日、親方と一緒に年始に行き、飲んで食べてちょっといい気分になった時、社長が「塚ちゃん(私の愛称)、貯金をしなさい」と言いました。次の日から、毎月貯金をするようになり、仕事が少なくなった時など大変助かり、本当によかったと思っています。
 社長はガンになり、亡くなるまでの2年間、いつも明るく、皆のことを、会社のことを考えておられたので、亡くなられた後も、誰も会社を辞めずに頑張っていくことに決まりました。
 社長が「いくら戦争をしても、解決しないよな」という言葉を聞いて嬉しかったです。
 それは、私が豊島支部の平和担当、豊島原水協の幹事、豊島平和委員会の理事として、原水爆禁止世界大会や集会・デモ、平和行進や原爆と人間展など、平和運動にとりくんでいたからです。
 社長の言葉を忘れずに、有事法制などの悪法を発動させないよう、戦争反対、核兵器廃絶のために、自分のできることをやっていきたいと思います。
(豊島)