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水神大橋ではずみ 橋でつながる自慢の町に 荒川区汐入はかつて塩入村といい、南千住から東に少し離れた、村として孤立したところでした。汐入は400年前に高田一族によって開発されたといわれ、村では胡粉(ごふん)つくりが盛んで、京都や奈良の人形つくりの中で名をあげ、重宝がられていたといわれます。 その後は、鐘紡や日紡の紡績会社が入ってきて、繊維製品が作られていました。しかし、昭和40年ごろ、工場は移転したため、野球場やゴルフ練習場が作られ、隅田川に近いところには日紡自動車教習所もできました。このように変っていっても、バスも通るわけでもなく、汐入はとても不便なところでした。(南千住駅には路線バスがありませんでした) そのうちに教習所もなくなり、広い原っぱができて野球をするのに格好の場所で、私も若いころ、日曜日は朝早く起き、場所取りをして仲間と野球をしたものです。 そのうち汐入も、都市計画による再開発で、順々に都営団地や公団住宅ができ、一軒家に住んでいる人は優先的に入居できるようになりましたが、住宅はどんどんこわされていきました。また、汐入の手前にあった墨田貨物車庫構内も半分は住宅地に変っていきました。 4〜5年前からは、南千住駅東側に商業ビルが建ちはじめ、町が活気づいてきました。この商業ビルの開業とともに東側に路線バスが入り、汐入の人たちも便利になりました。さらに汐入には墨田区へつながる「水神大橋」が完成し墨田区へ。今年は足立区にわたる「汐入大橋」が完成し、足立区から堀切橋に通じる道につながり葛飾区へも行けます。これで交通も便利になり、今では他区からの買い物客が多くくるようになり、汐入の街はいっそうにぎやかになりました。 昔の汐入を知っている人が、今の汐入を見たら、当時の面影もまったくないので、この発展ぶりにはさぞ驚くと思います。わが荒川区南千住地域もやっと自慢できる町に変りました。 |