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仙川公園に平和像 ― 「市民会議」の答申で実現 ― 三鷹の地名は徳川家康が関東入府以来、徳川家の直轄地となり、このあたりが鷹場であったことに由来されているといわれています。 三鷹市には玉川上水が流れ、太宰治や山本有三、武者小路実篤などの文人ゆかりの地としても知られ、最近では「三鷹の森ジブリ美術館」などが有名になり、文化が香る町としてのイメージが広がっています。 戦後60年、三鷹市にも戦争の傷跡があります。戦前、飛行機工場など軍需産業が三鷹に進出し、終戦が近くなったころにはB29による空襲の被害にもあいました。その被災跡は新川にある「仙川公園」にもあります。空襲で焼かれたプラタナスの木など、平和に関する樹木が集められており、痛々しい焼け跡を残しながらも葉を茂らせています。 その仙川公園で一際目をひくのは、原爆投下された長崎市にある「平和の像」のレプリカの存在です。長崎市にある平和の像と三鷹市は深いつながりがあります。 平和の像の作者である故北村西望さんは、井の頭のアトリエで平和の像の原作を考えたといわれています。 仙川公園にある平和の像建立までの経過は、1998年「三鷹百周年・市政施行40周年記念事業検討市民会議」が、「平和記念像を市民の協力で実現すべきだ」の答申を市長に提出。翌年、長崎市長から、像建立の了承を得、作者・故北村西望氏の遺族からも了承を得て11月に完成しました。 平和の像建立は、8人で「三鷹に平和の像をつくる市民の会」を発足し、2万2109人の市民が寄付金に協力して作られたものです。 8月に行なった三鷹支部「教宣部学習会」で現地取材に行きましたが、長年三鷹市に住む組合員も、「市内にこのようなすばらしいものがあるなんて知らなかった」など、意外に市民にも知られていないことがわかりました。 支部・主婦の会では清原市長を訪ね、8月15日に仙川公園で行なわれた三鷹市主催の「平和記念式典」に千羽鶴を贈りました。 |