井上才市碑
JR五日市線 東秋留駅徒歩2分
秋川の天然理心流  ― 近藤勇らを育てた武術 ―

【西多摩・書記・近藤初雄記】
 幕末を舞台に活動した「新撰組」近藤勇は天然理心流当主の4代目でした。あきる野市二宮1227番地、二宮神社下の通りに面して「天然理心流井上才市翁表徳碑」があります。
 「秋川市史」で調べてみると井上才市という人は二宮生れで、天然理心流の指南免許を伝授され、昭和9年没。入門者172人だったという。勇のあとの5代目近藤勇五郎とは家業の養蚕でも深いつながりがありました。
 天然理心流の中心地は、2代目の出身地である八王子戸吹です。有力門人を引き連れて上京した佐幕武倒派・新撰組が有名だが、地元では江戸幕府の直属武士団・八王子千人同心などの下流武士層と、豪農層をはじめとした一般農民が入門していました。
 そのなかには勇とは反対に、討幕運動を推進したものもいました。幕末の多摩地域は開国による養蚕など新産業の発展のなかで、幕藩政治を打開しようとする熱気に満ちていました。
 さて、警察剣道として明治新政府は、反政府の色強いこの流派は用いず、大日本武徳流を推進しました。
 しかし天然理心流は、竹刀(しない)は使わない、「自然にさからわず、天に象(かたど)り、地に法(のっ)とり、以って剣理を究(きわ)める」という古武道を継承しているそうです。
 警察剣道が広がる中で、井上の道場・心武館も他の理心流道場とおなじく、後継者がいなくなったようです。市史によれば、他に道場を開いた人は、田中才助(小川)、大西政十(菅生)、戸田角内(油平)、来住野久二(舘谷)、宮崎菊次郎(舘谷)がいました。
 また、現憲法にもつながる民主主義的な内容の豊かな「五日市憲法草案」は、千葉卓三郎という下流士族層と在地の豪農が融合した学習グループでつくったものです。
 ちなみに近藤勇と私とは無関係ですが、こうした碑をたどり、歴史にふれ、歴史を考えるのも楽しいことです。