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隅田川で最初の橋 ― 歴史を残す旧日光街道 ― 千住大橋は1594年、徳川家康の命により現在の地より200mほど上流に隅田川最初の橋として架けられた(ちなみに両国橋は60年後のこと)。当時としては大変な難工事で、工事奉行の伊奈備前守忠次も熊野権現(荒川区南千住6〜70)に7日間の断食祈願をしたと伝えられている。 今の橋は1927年、大震災復興計画により架けられた鉄橋(タイドアーチ型)と1972年、日光街道の交通量増により架けられた橋で、上り下り2本になっている。 大橋を渡った千住宿は日光街道の初宿として江戸から日光、出羽、陸奥への起点として栄えた。松尾芭蕉「奥の細道」もこの大橋が別れであり、はじまりであった。そして時代はさかのぼり、慶応4年4月11日未明、この橋を徳川最後の将軍慶喜が水戸へ向かったのも歴史の悲哀を感じさせるに十分である。 荒川区側から大橋を渡ってすぐ左手には「けんせつ」新年号でも紹介した橋戸稲荷神社。今は社殿の後ろとなっている土蔵造りの社。観音開きの裏側に名工伊豆長八作のコテ絵「男狐と母子狐」が残されている。 また最初の信号から左が日光街道に(国道4号線)にすすむが、旧街道は信号を直進。この通りは3つの商店街をつなげて北へ伸びている。 この街道筋には各地からの農産物の集積所としての船着場であった橋戸町もあり、青物市場「やっちゃ場」としても栄えた。今では北千住駅を中心に街も発展し、足立区の中心地でもある。 こうして千住大橋は東北からの表玄関として400年余の歴史を刻み、河原崎稲荷や橋戸稲荷、源長寺、高札場跡、貫目改所跡、本陣跡なども残っている。また平成5年に横山家の蔵を移築した「千住宿歴史プチテラス」がオープン。貸しギャラリーとして落ち着いた空間をつくっている。 |