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望郷の念積んだ丘 ― 苦難の歴史を共有できる ― 東村山市の「歴史の散歩道」に癩病患者を収容し96年の歴史を伝える「全生園」と「ハンセン病資料館」がある。 1909年創設以来ハンセン病患者にたいする理不尽な偏見・差別のもと、医療らしいものや自由もなく、きびしい管理と耐乏の生活があった。 国は1931年「癩予防法・旧法」を制定。『国民の血の浄化』をうたい、これを正当化して患者の逃走を取り締まった。故郷を追われ、終生隔離された人たちは、自給自足のために、雑木林を農地にして「終の住処」となる村作りをした。 患者たちはこのとき掘り起こした木の根を集め、その上に逃走防止に掘った土を、望郷の念にかられながら積み上げた。この「望郷の丘」は1925年に完成。ここに登ると街道を行き交う馬車や遠くに富士山などの山並みがのぞまれ、空を眺めては家族を思い、人知れず涙を流した。逃亡を防ぐため空堀の土手にはトンボ線(有刺鉄線)を張り、囚人同様に扱っていたという。 日本では1953年「らい予防法」が制定され、1996年にやっと廃止された。その間も患者は差別や偏見に苦しんだのである。2001年、政府はハンセン病隔離政策の誤りを認めこれを謝罪した。 全生園の北条民雄(昭和12没・23歳)年はここで「命の初夜」を書いた。そして全国のハンセン療養所にも文芸活動が活発になり、優れた作家と作品を生み出している。 1950年代、資料館通りには入所者と職員、市民が差別を越えて交流できるようにと桜を植え、また、園全体を「人権の森構想」として整備を進め、少しずつ実現に向かっている。全生園には今も多くの建物と高齢の元患者が住んでいる。西武園に行く途中でも立ち寄って、こうした人たちの苦難の歴史を共有するのもいいことだと思う。 ハンセン病資料館は午後1時から4時までの開園で月・金・祝祭日は休館です。 (写真は「望郷の丘」) |