宮地交差点
京成電鉄新三河島駅徒歩4分
荒川区の要衝にあり  ― 高度成長期に大きく変貌 ―

【荒川・建物サービス・小林次夫記】
 荒川区の中央からやや南側を東西に走る環状5号線=明治通りと、東西のほぼ中央を貫く尾竹橋通りが交差する。これが宮地交差点である。
 この交差点は、ここから南西にJRと地下鉄千代田線の西日暮里に向かう道灌山通りのスタート地点でもある。
 現在明治通りと呼んでいる通りは、1932年(昭和7年)に拡幅工事が完成するまで荷馬車がすれ違うのも容易でない狭い道で、馬車引きがよくケンカをしていたと父が語っていた。
 私が小学校入学の1939年(昭和14年)頃はこの拡幅された道を土地の人たちは「改正道路」と呼んでいた。交差点脇の空き地で時々テント掛けのサーカスの興業があり、父に連れられて行った記憶がある。
 その頃交差点の中央はロータリーで、円型の縁石に沿って車両は進行方向を変える。車の少なかった時代は信号機よりも車の流れはスムーズで、「宮地ロータリー」といっていた。
 戦後の高度成長による急激な交通量の増大でロータリーでは処理できなくなり、1974年(昭和49年)に立体交差の宮地陸橋になったのである。「宮地」の地名は交差点から南に徒歩5分、東側に入ったところに、かつて三河島村の総鎮守として村民の信仰を集めた宮地稲荷があり、これに由来すると言われている。
 この交差点から明治通りを東に500m行くと荒川区役所がある。尾竹橋通りの北700mのところに都電荒川線町屋駅と地下鉄千代田線・京成電鉄町屋駅があり、すぐそばに東京土建荒川支部がある。その先尾竹橋のたもとまで町屋銀座商店街で、区内で最も繁華な通りになっている。
 区内を縦横に走る幹線道路を束ねる宮地交差点は今や荒川区の交通・産業・商業・行政の扇の要としての役割を果しているのである。