1月のニュース
 

2006年1月1・10日
機関紙「けんせつ」第1807号より

Index

職人の技術と憲法が生きる年に
今年も団結と前進かちとる年に
全都に広がる「公契約意見書」採択
東京土建一般労働組合第59回定期大会告示
「07年決戦」勝利へ正念場の年
普通調整補助金下がるも影響は最小限にとどめ
医療保険制度改悪を阻止しよう
足立介護保険シンポジウム
ノンアスベスト社会実現を
建築物と住民の安全を「資本」に売り渡すな
産業対策活動者会議に236人
木造住宅耐震講習会ひらく
木村建設倒産 6000万円の不払いに
どうなる住宅産業の行方
居ながらリフォームのマナー集
今こそ日本は平和の道歩め
映画人9条の会が結成1周年記念集会を開く
連合も自衛隊イラク派遣再延長に抗議
メディアは問題の根源を追究せよ
今年も仲間と一緒にがんばるぞ
今年も元気に若い仲間たち
06年憲法、平和、人権、福祉守りから闘い獲得する年に
新春インタビュー あした元気にな〜れ
布川事件の桜井さん 無実の罪で29年間獄中に
保育こそ公共の手で 民間委託で水準守れる?
日の丸・君が代に対する忠誠義務はない
共謀罪は監視社会への道
話し合うことが処罰の対象に
建設人・9条の会憲法問題学習会
ありがとう東京土建の復興支援
三宅島大噴火
新潟県中越地震
都連賃金アンケート分析
忘れられない 私の現場
森の踊り子
夢は北米のキングサーモン
私が建築職人になったわけ
豊かに生きたい私の老後大作戦
2000年ベイビー もうすぐ一年生
「今年もよろしく」東京土建を支える主婦のみなさん
主婦の会40周年 2万4千人めざす
東京母親大会開く
どけん火災共済で安心安全
「技と情」に襟を正す
仲間の作品展
「V字」王座奪回からさらなる前進へ



職人の技術と憲法が生きる年に
小杉左官 竹内源造
今も息づく雄大な鏝絵 後世に残したい左官技術
 左官が土蔵や壁に漆喰(しっくい)を塗り上げて描く「鏝(こて)絵」といえば、「伊豆の長八」入江長八が有名だが、富山県小杉町(現・射水市)の「小杉左官」竹内源造も大正から昭和にかけて鏝絵の名作を数多く残している。
 彼の代表作が礪波市の名越家の土蔵の壁に描かれた「双竜」(写真上は右側に描かれたもの)である。全長18メートルにもおよぶこの作品は二つの竜のうろこの一枚一枚まで細密に描かれ、完成までに3年かかったほどの大作だ。
 竹内源造の鏝絵の魅力を、「竹内源造記念館」友の会代表の田村京子さんは「伊豆の長八の細微で優雅な作品に対して、源造は泥をもりあげた立体感ある雄大さ」と語る。
 竹内源造は江戸時代から続く「小杉左官」のひとつ竹内組の6代目として多くの職人、弟子を持ち、昭和17年に56歳で亡くなるまで、腕をふるった。しかしその後、漆喰壁からコンクリート、サイディングに変わり、鏝絵を描ける左官は小杉から姿を消してしまった。
 そのような中、鏝絵の技術を次代に伝えようと活動しているのが、礪波市の石崎勝紀さんである。石崎さんは鏝絵を竹内源造の弟子の山田忠心さんから学び源造の孫弟子にあたる左官だ。「日本の建築技術といえば大工が中心で、左官には光があたらなかった。しかし木と同様、壁土も生き、呼吸し続けている。竹内源造の鏝絵の技術、漆喰壁の良さを後世に伝えたい」と、鏝絵の指導、普及、教育に当たる。
田村京子さん 石崎勝紀さん
 田村さんや石崎さんの努力で2001年に「竹内源造記念館」ができ、旧国道を鏝絵の看板で飾ることも決まった。全国交流も始まり、ようやく、職人の技「小杉左官」に光が当たってきた。
 2006年は「平和憲法」とともに、職人の技術・技能が生き、伝えられていく世の中にしたいものだ。

今年も団結と前進かちとる年に
中央執行委員長 木下勝三郎
 組合員、家族のみなさん新年あけましておめでとうございます。
 昨年は春、秋の拡大月間でみなさんのご奮闘をいただき、史上最高の組織人員を実現して、二〇〇六年の新年を迎えましたことに、厚く感謝を申しあげます。
 東京土建は大きく前進しましたが、昨年は「悪徳リフォーム詐欺」、「アスベスト問題」、さらに「耐震偽造問題」と建設業界を根幹からゆるがす大問題があいついだ年でした。東京土建は「アスベスト問題」では20年以上前から「全面禁止」を求め、「クボタ」発表からの社会問題化して以降は、相談活動、「特別教育」の実施と機敏に対応をしてきました。「悪徳リフォーム」につきましても、支部住宅センター活動を進め「地域で信頼される地元業者」としてのアピールをしてきました。
 土建国保や「どけん共済」を拡充して、生活を支えあうとともに、拡大強化した組織の力で、仲間の仕事を守り、技能を発展させ、建設産業をゼネコンや住宅メーカーだけが甘い汁を吸う重層下請構造から民主的な産業にしていくために全力をあげていく決意です。
 また今年は社会保障総改悪、庶民大増税、そして憲法改悪と、小泉政権の悪政と真正面から対決する一年になると思います。
 建設職人の組合らしく、みんなで決めたことはみんなで実行する。その成果をみんなのものとする。このことをお約束し、私も微力ですがみなさんの先頭に立ってがんばることをお誓いして新年のごあいさつといたします。

全都に広がる「公契約意見書」採択
4組合共闘で進めた
品川は陳情否決の教訓いかし

【品川・書記・伊藤暁通信員】
 12月8日、品川区議会は、「公共工事における建設労働者の適正な労働条件の確保等に関する意見書」を全会一致で採択しました。
 品川区での公契約条例制定に向けたとりくみは、地元建設四組合共闘で、進めてきました。02年6月に一度陳情が否決された教訓をいかし、「まずは、公契約法について知ってもらう」ということに重点を置き、昨年七月に学習会を開催しました。
 当日は、区議会全会派、品川建設防災協議会、地元建設四組合より計106人が参加し、公契約条例の必要性に対する理解を深めました。その後、区議会各会派や品川建設防災協議会との懇談でも「必要性は十分認識している」・「この提案は否定できない」などの意見を引き出し、粘り強い要請行動を続けた結果、11月16日に請願を提出し、今回の採択となりました。
 これにより、公契約条例制定への第一歩を踏み出せたわけですが、今後も建設産業民主化のため、制定目指して、とりくみを強めていきます。

工夫した議員工作
日野は傍聴行動も重視

【日野支部発】
 日野市議会は12月19日、満場一致で「公共事業における賃金確保法(公契約法)の制定を求める意見書」を採択しました。
 日野市での公契約を求める運動は、6月に東京土建日野支部とユニオンで「日野市公契約推進連絡会」を作って、各会派代表に工作をし、紹介議員になってもらいました。
 9月議会に請願書を提出しましたが、一部から「継続」の声が出て採択には至りませんでした。12月議会では、企画総務委員会への傍聴行動にとりくみ、参加者も議員とのつながりを重視しました。その結果、12月14日に企画総務委員会で満場一致で採択され、19日の本会議でも採択されたものです。

条例化への一里塚だ
共同行動広がった練馬

【練馬・書記・平尾敏之記】
 練馬区議会は12月15日、全会一致で「公共工事における建設労働者の適正な労働条件の確保等に関する意見書」を可決、内閣総理大臣ほか政府機関にあてて送付しました。
 意見書は「…工事における安全や品質を確保するとともに、雇用の安定や技能労働者の育成を図るためには公共工事における新たなルールが必要である」と指摘し、公契約法制定の検討や入契法附帯決議事項の実効ある施策の実施を求めています。
 東京土建練馬支部は区議会全会派への要請行動をくり返し行ってきましたが、このなかでは区内建設業者団体「練馬区ビルダークラブ」との共同行動も実現し、今後の条例化にむけての大きな第一歩を築きました。また、「練馬公契約条例をめざす連絡会」に参加する各団体もこの意見書可決を条例化への「一里塚」と高く評価し喜びの声を寄せています。

新宿駅東口での署名宣伝活動
大増税許さないぞ
 東京土建本部は12月22日12時から13時まで、新宿駅東口で全労連の人たちやサンタさん?と一緒に「庶民大増税反対」、「消費税引き上げ反対」の宣伝を行ないました。
 大内税対担当常任中執らがマイクで訴えると、通りがかりの若い女性も署名してくれ、宣伝は成功でした。
荒川が消費税学習会

【荒川・書記・三田秀子記】
 荒川支部は11月28日、本部の中村修一書記を講師に「消費税申告対策学習会」を29人の参加で行ないました。「課税事業者と免税事業者の違いと時期は」など、参加者は熱心に聞き入っていました。

自治体キャラバンパート2の実施へ
 東京春闘共闘会議は1月から「自治体キャラバンパート2」の準備を開始します。06春闘の大きな柱として最低賃金法の改正(引き上げ)、公契約法制定に向けての運動を大きく盛り上げていくことを目指します。

検討委で研究中
西東京は公契約条例制定へ

【西東京・書記・関真太郎記】
 12月1日、西東京市役所で「公契約条例」「アスベスト問題」をはじめとするさまざまな産業問題に関して対市交渉を行ない、組合から9人が参加。市側からは助役、総務部長が対応しました。
 アスベスト問題では、東京土建のとりくみの歴史を話し、公共施設のアスベストの調査・除去を早急に行なうことを要請すると、「市の公共関連建物に関して昭和55年までのすべての建物の調査を行なったところ、18施設のうち、9施設がアスベストの疑いが高いことがわかった。また、平成8年度までの建物も新たに調査対象に加えたが調査機関が忙しくまだ未調査となっている。一応、市として組成分析を行なっている。調査を完了・整理した段階で公表したい」とのこと。
 公契約条例の早期制定の要請に対しては、「市長のマニフェストにも掲げている重点課題だ。検討委員会を立ち上げ部会を設定し、そこで研究している最中。広島県府中市がこの条例の具体案を示しており、市としても研究している。ある段階がきたら具体性を公表するので、そのときは東京土建の力を借りたいし、何か資料等をいただければ参考にしたい」とのこと。
 その他、耐震問題、悪徳リフォーム問題等、について議論をかわし、最後に、そのすべてが市民にとって緊急課題であり、市も緊急に窓口を広げ、市民を守る立場でとりくんでほしいと指摘・約束させ、終了しました。

東京土建一般労働組合第59回定期大会告示
 東京土建一般労働組合第五九回定期大会を組合規約第一五条の規定にもとづき、次のとおリ招集します。
中央執行委員長 木下勝三郎

日時   二〇〇六年三月一九日(日)、二〇日(月)
会場 熱海後楽園ホテル他
代議員 代議員選挙告示のとおり

代議員選挙告示
 東京土建一般労働組合規約第一五条および、東京土建一般労働組合大会代議員選挙規定にもとづき、第五九回定期大会代議員選挙について、次のとおり告示します。

第五九回定期大会代議員選挙
本部選挙管理委員長 菅野 弘

〈代議員定数〉
 二〇〇五年一二月末組合員数を基準に、各支部ごとに二六〇人に一人(端数は一三〇人以上は一人を追加し、一三〇人未満は切り捨てます)と基礎代議員一人とします。
※詳細は支部にお問い合わせください。

「07年決戦」勝利へ正念場の年
書記長 告坂真二
告坂真二書記長
V字回復なしとげる
産業民主化でも闘い強める


東京の建設労働者の3割を組織
 組合員、家族の皆さん。新年あけましておめでとうございます。
 昨年は、組織の拡大運動をはじめ、大衆動員や署名、はがき要請、アスベスト特別講習など、組合の諸運動・諸行事へのご協力、ご支援まことにありがとうございました。
 昨年1年間、小泉構造改革による痛みの連続(国民負担増)、国民にはいっこうに良くならない経済情勢(2極化)、建設業界に対する国民不信の広がりのもとで東京土建は、中小建設業者と建設労働者の利益を守り、要求実現と社会正義のたたかい、社会貢献活動に全力をあげたたかってきました。
 東京土建の組織人員は、秋の拡大月間で7千人を超える歴史的拡大成功させ、さらに春、年間拡大でも飛躍的前進をおさめ、首都東京の建設労働者の約3割、12万5、208人に到達し、史上最高の峰・V字型回復を実現することができました。
 また昨年は、アスベスト被害の拡大、橋梁工事、成田空港工事での官制談合の発覚、悪質リフォーム詐欺事件の広がり、耐震強度偽造事件の深刻化など、建設産業のあり方が問われる重大事件や不祥事があいつぎ、建設業界の信頼は地に落ち、住民への被害が一気に表面化し、国民を不安に陥れた一年でもありました。

不祥事の責任 政府、資本に
 これらの事件の根本(背景)には、第一に大手ゼネコン、デベロッパー(開発会社)の「国民の安全よりコスト削減」(利益第一主義・ダンピング受注と下請業者への低単価発注)、第二に「官から民へ」(丸投げ)の規制緩和の流れが国や自治体の行政責任・監督責任の放棄、第三に建設産業の非民主的体質(「重層下請構造」による元請責任の放棄)にあります。
 組合は、一早くこれらの問題で国や自治体に緊急対策を申し入れ、事件の全容解明と再発防止、抜本対策を求め、さらにその根本にある建設産業民主化めざしたたかってきました。
 その結果、アスベスト救済法(新法)、労災認定の迅速化・弾力的運用、悪質リフォームガイドライン(国交省)に、私たちの要求をある程度反映させる成果をおさめることができました。

自治体要求でも成果
国保補助制度守りぬくと
ハガキ陳情は昨年の2倍


補助金守れの闘いを強めて
 仲間の仕事とくらしを守るたたかいは、公共工事における建設労働者の公正な賃金・労働条件の確保を求める国への意見書採択自治体が飛躍的にふえ、住宅の耐震化について自治体の助成制度および耐震診断改修助成制度の前進(32自治体)、アスベスト除去工事費の助成および利子補給制度の実施(20自治体)など、自治体に対する制度政策要求が大きく前進しました。また、新興産業倒産事件(賃確法適用闘争)2年半にわたるたたかいで、施工員(手間請労働者)のほとんどに労働者性認定・賃確法を適用(約500人・9億円の支払い)させました。
 土建国保への補助金獲得のたたかいは、国・都の二重の補助制度見直し(削減)攻撃に直面しました。この攻撃に、ハガキ要請で昨年の2倍(65万枚)を積み上げ、決起集会、議員要請など大衆闘争を強化しました。国も都も補助金削減を強行しましたが、補助金の削減額を縮小させる激変緩和を取り入れさせ、実質的に被害(影響)を最小限にくい止め、06年度は現行に近い補助金を確保することができました。

復興支援ボランティア
 また建築労働組合としての社会的使命を活かし、三宅島帰島支援活動を精力的に展開しました。復興支援ボランティア隊は、4月から3ヵ月間でのべ1354人、義援金は、東京土建で500万円、東京都連で500万円手渡し、三宅村、現地業者、島民に大いに感謝、歓迎されました。
 昨年1年間の歴史的なたたかいの成果は、きびしく困難に見える情勢でも「大きな志を持って、仲間が心一つに、団結してたたかえば、要求も組織も前進する」ことをあらためて教えました。

組合結成60周年を12万7千人で祝おう
悪政、腐敗と対決する
社会正義求め貢献活動を推進

 2006年は、日本の針路にとっても重要な年になります。政府与党は、2007年に憲法「改正」国民投票(最短の場合)、定率減税廃止の実施と消費税増税法の提出、医療保険制度改悪の実施などをねらっています。それを実現するためには、06年国会に改憲を前提とした国民投票法案や教育基本法改悪、定率減税廃止の庶民増税案、医療保険制度改悪案を提出し、国会を通過させることが条件になっています。07年決戦勝利へ06年は、正念場・勝負の年ともいえ、世論誘導(操作)を打ち破り、国民過半数獲得への世論構築が喫緊の課題となっています。
 また、一連の建設産業をめぐる不祥事や事件の全容解明、抜本対策をめぐっても重要な年となります。
 東京土建は、07年1月15日に組合結成60周年を迎えます。06年の拡大運動は、東京土建が組合60周年を機に、建設労働者の過半数獲得(13万から15万への峰)に本格的に挑戦する中期計画を策定する上で、その動向と速度を決定づける重要なとりくみになります。
 私たちは、3月に第59回定期大会を開催し、12万5千人突破を確信に、2007年決戦勝利に向けたたたかい、改憲・大増税・医療改悪反対の世論喚起とネットワークの構築強化します。
 とりわけ全国最大の建設労働組合・首都最大の労働組合・東京土建は、建設業界の不正・腐敗と対決し、社会正義のたたかい、社会貢献活動を推進し、建設業への当然の責務(国民に安心・安全・快適な建造物を提供)を果たすことのできる産業(建設産業の信頼回復)、建設産業民主化と地域運動の前進のために、組合が積極的な役割をはたすため、組織の総力(全力)をあげてたたかいます。
 さらに、組合結成60周年(07年中)に13万の峰実現、その通過点として60周年記念日(07年1月15日)を3千人以上実増の12万7千人突破に挑戦します。
 組合員、家族のみなさん。本年も引き続きのご協力、ご支援よろしくお願いいたします。

普通調整補助金下がるも影響は最小限にとどめる
はがき要請などの成果
特別調整補助金 7千万円の増額
仲間の国保補助金要請はがきは
こんなに都に送られました
【本部・松尾慎一郎記】
 小泉内閣は、昨年秋の総選挙以降、与党圧勝を背景に歳出削減と増税路線を明らかにし、社会保障分野における削減攻撃を強めてきました。
 とくに昨年から論議されてきた医療制度改革は、今年一月から通常国会に提出する法案の骨子を昨年十二月に政府与党協議会において「医療制度改革大綱」として発表しました。その特徴は、医療給付費の総額を中・長期、短期に分けてそれぞれ行なうことで、国の歳出削減を狙うものです。主な柱は、高齢者医療において給付割合の見直し、入院時におけるホテルコストの導入。高額療養費の見直し等、国民負担増を強いるものです。
 また、医療制度改革でとりわけ私たちに関連するものととして、「命の綱」土建国保も含めた、国保組合への補助金削減攻撃でした。
 補助金獲得の運動は、土建国保の運営にとって私たちが支払う保険料に直接はね返るものだからです。
 国保組合における06年度特別助成では、280・3億円(前年比0・7億円増)と増額要求をかちとりました。
 とくに財務省から厚生労働省に対し、削減幅の上積みを要求される中での増額確保はこの間、仲間が財務省、厚生労働省に出した過去最高のはがき要請38・6万枚(全国で235万枚)の到達なしにはできないものでした。
 また、削減攻撃は制度そのものに及び、普通調整補助金の見直しでは、04年に実施した所得調査の結果から土建国保においては、従来の15%の補助率から13%に引き下がりました。しかし、3年間の激変緩和措置をかちとることで、06年度予算における影響を限りなく少なくすることができました。あらためて仲間のみなさんのご協力に感謝申し上げます。
 今後も、小泉改革における社会保障総改悪が加速する中土建国保の優位性を確立するたたかいをよりいっそう強めていきます。

福祉削減の嵐の中
都補助金も現行水準確保
 東京都は「第二次財政再建推進プラン」を04年度〜06年度の3ヵ年にかけて、歳出の見直しをすすめてきました。この間、福祉施策の削減に大ナタをふるってくる中で私たちは、建設国保補助金現行水準確保の成果をかちとってきました。
 福祉保健局では、04年度に財務局から国保組合の補助制度の一部見直しを迫ってきました。それがいわゆる「賦課率」問題です。この制度見直しが06年度から全面実施されると都費補助金が大幅に削減され、保険料にも大きな影響が懸念される事態となるからです。
 昨年十一月福祉保健局は財務局に対し、国保組合への06年度予算70・6億円を計上しました。この内容は、医療費が増えることを見込み、賦課率は3年間の経過措置を設けることで、その影響を極力さけるものです。また被保険者一人あたりでは昨年の補助金と同水準で確保する到達を築くことができました。
 この成果は、東京都に対するはがき要請27・3万枚や全都議会議員の9割近い111人の都議会議員賛同署名の到達によりつくり出されたものです。
 私たちは1月18日都知事原案発表まで、さらに予算の上乗せに向けて東京都連を中心に奮闘中です。

医療保険制度改悪を阻止しよう
社会保障対策部長 大内貞雄
土建国保守りぬき
国民皆保険制度を守る
大内さん
 04年は年金改悪、05年は介護保険改悪、06年は医療保険改悪と、「少子高齢化」というもっともらしい大義名分を旗印に、「構造改革」の名の下に社会保障費の切り込みが続けられています。昨年2005年には、35年間守り育ててきた私たちの土建国保も「医療制度構造改革草案」にのせられ、所得調査の結果をふまえて、国庫補助の見直しが迫られました。
 この間の交渉で、厚生労働省の国保課長は私たち建設労働組合員の立場に理解をしめし、「何とか大幅な負担増にならないよう努力します」との見解を示してきました。厚労省が私たちの立場を一定理解するのは、7月と8月に行なったはがき要請行動で、東京土建が過去最高となる19万4925枚を積み重ねたことが大きいと確信しています。
 国の予算獲得と同時に、東京都の補助金獲得でも奮闘しました。何年も前から課題とされていた「賦課率」問題でも、秋好国保課長は「急激な負担増にならないように努力する」としています。これもはがき要請、史上最高の組織拡大があったからだと思います。
 医療保険制度改悪阻止、土建国保守れ、いつでも、どこでも、誰でも安心して医療にかかれる皆保険制度を守るため、地域で共闘を強めて今年もがんばりましょう。

足立介護保険シンポジウム
保険料など負担増に悲鳴が
【足立・プレハブ・笠原昂通信員】
 足立の介護保険を良くする会では、十二月十八日、竹の塚教育研究所で、介護保険シンポジウムを開催しました。根本足立区介護保険課長が足立区の介護保険の新制度をのべました。事業者の立場から吉田介護支援センター所長は、新制度の予防給付に、要介護、介護1が約三‐四割移行する人に従い、仕事量が減少し、経営が非常に苦しくなり、ケアマネージャーを減らす事業所もでてきたことを報告しました。
 また、足立社保協の江尻会長は、自分の母親の介護の例をあげ、十月の改正に従い、1万5千円支払いが増え苦しいと訴えました。
 会場からは7人の発言があり介護保険の認定方法に不審感がある、また予防給付に回る選別が正しくおこなわれるのか不安、足立区の保健料が平均4380円になり、負担が大変、(現行3200)また年金者組合からは、国民年金生活者は各種の税金が上がった上での値上げはきつい。3年後の見直しには、上限はあるのか?などの発言がありました。当日の参加者は84人の参加、東京土建足立支部は34人の参加でした。

ノンアスベスト社会実現を
労働対策部長 高木史雄
政府の怠慢は明らか
遅れた石綿の使用禁止
高木労働対策部長
 昨年は私たち建設業で働くものにとって大きなできごとがいろいろありました。アスベスト、悪徳リフォーム、構造計算書偽造、談合などです。いずれも建設業界にとっては構造的な問題であり、起こるべくして起こったことだと思いますが、まだまだ氷山の一角しか私たちの前に明らかにされていない点が共通しています。
 とりわけアスベスト問題は、直接製品の製造にかかわった労働者や、その製品を扱ってきた建設労働者だけの問題にとどまらず、工場周辺住民や家族の健康被害にまで及ぶ国民的な問題として大変な注目を集めました。
 アスベストは「奇跡の鉱物」といわれてきたように、そのすぐれた特性ゆえに経済成長に歩をあわせるように使用量が増加してきました。しかし同時に「静かな時限爆弾」といわれ、その繊維を吸い込んでから30〜40年後に肺ガンや悪性中皮腫を引き起こす猛毒物質であることがわかっています。

本部が行なった新宿駅西口での宣伝では「アスベストを吸ったと思うが、どこで診てもらったらいいのか教えてほしい」との相談もうけました(12月15日)
34年前から発ガン性指摘
 このことは日本より早く大量のアスベストを使ってきた欧米の経過を見ても明らかです。アスベストの発ガン性については今から34年前の1972年に世界保健機構(WHO)や国際労働機構(ILO)で指摘され、世界的には80年代から、ヨーロッパを中心に使用禁止が広がりました。しかし日本においてはつい11年前の1995年になって、ようやくきわめて発ガン性が高いクロシドライト(青石綿)とアモサイト(茶石綿)の使用、製造、輸入が禁止になりましたが、その後も「管理して使えば健康被害は防げる」としてクリソタイル(白石綿)は使われ続けました。この白石綿の使用禁止に政府が重い腰を上げたのは、一昨年の10月です。
 また「クボタ」報道に期をあわせたように石綿障害予防規則も昨年7月より施行されました。このことでアスベスト問題は私たちにとって健康被害だけでなく仕事上の問題にもなってきました。
 東京土建はこの間職業病掘り起こしの運動、とりわけじん肺、アスベストでの労災認定を積み重ねてきましたし、石綿則の「特別教育」を全国に先駆けてとりくみ、1万人を超える受講者を半年間で作り出し、健康と仕事の両面にわたる大学習運動を成功させてきました。
真の救済かちとるため
「百万署名」を成功させよう
 新年を迎え今アスベスト問題での当面の課題は「アスベスト新法」です。隙間のない救済と称し、周辺住民や労災時効者まですべての健康被害者を救済すると銘打っていますが、その中身は本当の救済にはほど遠い内容です。何よりも政府は企業論理優先の立場を反省していないばかりか、後手後手に回った規制の事実まで「国に不作為はなかった」として否定しています。
 バブル期の90年代初めまでアスベストは建材を中心にさかんに使われてきました。今後ますます増加する健康被害者、その多くは建設関連ということがはっきりわかっている今、小手先の救済ではなく、今後の医療体制と健康管理手帳交付の問題、今後新たな被災者を出さないための諸施策、廃アスベストやアスベスト含有建材廃棄物処理システムの確立と適正な処理のための施設づくり、完全禁止のための方法など課題は山積しています。そして、補償制度としての労災補償制度を改善する問題もあります。
 ノンアスベスト社会の実現に向けての第一歩として「100万人署名」を成功させ、1月30日の全国石綿連主催の集会に結果を持ち寄り、全国民的な運動の中心部隊としての役割を担っていくため、今年も組合員の皆さんとともにがんばっていきたいと考えています。
患者が決意語りあう
「はなみずき会」交流会
決意を語りあった「はなみずき会」
【本部・高見京子記】
 じん肺・呼吸器系疾患、患者と家族の会「はなみずき会」の交流会を12月6日午後1時より本部会館5階で開催しました。「はなみずき会」は2002年にじん肺・アスベスト関連疾患・喘息等呼吸器の職業病で苦しむ患者と家族が、互いに励まし合い労災申請のための援助と各支部で職業病対策のための啓蒙活動をしようと結成しました。
 当日は66人の患者と家族、全建総連・東京都連・千葉土建・トンネルじん肺原告団の代表が参加し、テレビも取材にきました。各団体から連帯のあいさつがされた後、しばぞの診療所の海老原医師から医学的な資料をもとに「じん肺・アスベスト関連疾患」に関する講演がありました。
 その後、やっと労災認定をかちとったという発言や認定までたたかう決意、闘病生活の苦労と仲間の病状を思いやる声が次々と出されました。
 最後に「アスベスト対策基本法の制定・すべての被害者の補償を求める100万人請願署名」を集めようと行動提起がされました。今後「はなみずき会」は、運営委員を中心に支部での駅頭宣伝や1月30日の日比谷での集会に参加していきます。
区民から激励の声
荒川は町屋で宣伝
【荒川・書記・船橋賢一通信員】
 12月15日夜、荒川支部は分会役員や主婦の会員など22人が参加して、アスベスト被害者全面救済とアスベスト対策基本法の制定を求めて、宣伝行動を町屋駅頭で行ないました。
 他の問題にもくらべて、アスベスト問題への関心は高く、アスベスト全面禁止と「ノンアスベスト社会」の実現へ総合的な対策の確立を訴えると、「自分も(他の疾病で)認定をうけるまで、ずいぶん時間がかかったことがある。痛みはわかるので、がんばってください」(50歳代の女性)、「製造企業の責任は大きいがそれを野放しにしてきた政府の責任だ。ある意味で薬害エイズと似ている」(60歳代の男性)などの声がありました。
 この行動で集まった署名は123筆、荒川支部の目標は6500筆ですが、「他団体に依頼する」と数十枚の署名用紙を持ち帰った参加者もいて、目標到達に向けて運動にはずみがつきました。
目黒は2駅で宣伝
相談や期待よせられた
【目黒・書記・平良純子記】
 12月15日、学芸大学駅、西小山駅の両駅で組合員・主婦の会を中心に40人が参加し、夕方「アスベスト対策基本法の制定にむけた100万人署名行動」を行ないました。社会問題になっていることもあり、通りかかる人の視線も横断幕や旗を見てチラシをとるなど反応もあり、署名は両駅で257筆集まりました。
 通りかかった若い女性は「ある大手スーパーでアルバイトをしていて地下駐車場にアスベストらしいものが吹付けてあって心配、お客さんからも指摘をされているので調査してもらいたい」と積極的に署名をし、駅前の不動産やさんに勤務しているという男性は、宣伝行動をしばらく見ていたあと「実は今の会社に入社する前3年間解体工事をやっていたので、アスベスを吸っているはずで非常に心配」と話し署名するなど、アスベストへの不安が広まるなか、行政の対策の不十分さを感じます。また作業服姿の若い職人さんは「自分は解体工事をやっているのでアスベストも心配、東京土建に加入しようと思っていたので資料がほしい」と東京土建への期待もよせられました。

建築物と住民の安全を「資本」に売り渡すな
信頼回復へ建設産業民主化進めよう
 東京土建は産業対策活動者会議で、姉歯元建築士による「構造計算書」偽造に端を発した「偽造耐震事件」について、次のような趣旨の決議を行ない、ホームページに掲載し、国民にアピールしました。
 今回の事件の背景・本質には、計算書を偽造した建築士の責任だけにとどまらない今の建設業界、住宅行政の抱える重大な問題があります。政府はすでに建築基準法、建築士法、住宅品質確保法、住宅保証制度の見直しも言明しており、住宅行政や建築法制の改訂に発展することが確実です。私たちは国民に安全な建築物を提供する建設業本来の自覚にたち、問題の解決と国民の建設業への信頼回復を図らなければなりません。
 今回の事件では、建築物の設計から完成まで偽造を見抜くいくつかのチェック機会がありながら、それが全く機能しなかったこと、とくに厳正であるべき建築確認検査機関がその役割を果たさなかったことに国民の不信が集まっています。

営利追求と公正確認両立しない
 民間の建築確認検査機関が登場したのは、98年の建築基準法の全面改訂によるものです。現在、民間建築確認検査機関は全国に122存在し、ハウスメーカーやゼネコンの出資による企業も多く存在します。民間建築確認検査機関は、建築確認までの期間の短さをウリにしています。営利を目的とした民間企業が、公正・厳正な確認・検査を確保できる保障はありません。特定行政庁による偽造見逃しの件数も全体の4割を占めています。「官」も「民」との競争に巻き込まれ、しかも、自治体リストラで必要な人員が確保されていない実態があります。
 国民の安全と生活を守る仕事を「市場の競争」の対象にした誤りがあらわれたもので、政府・行政の責任はまさに重大です。
 もうひとつは、デベロッパー・建設元請企業の徹底した設計・工事費のコスト削減の問題です。「2004年の首都圏の新築マンションの1平方メートル当たりの販売単価は55万円、平均占有面積は74・66平方メートルで、1995年と比較し販売単価は7万円低下したが、平均面積は8平方メートル広がった」とすさまじい価格競争が展開されていました。

安全最優先の経営に切りかえよ
 このようなコストダウン競争と利益第一主義が、居住者の安全や構造物の品質・耐震性確保の重要性を見失ったことにつながっています。デベロッパーや元請が建築物の社会性、安全性を最優先する経営に切り替えなければ、国民にとてつもない被害をもたらすことを教えています。
 さらに建築士業務の地位、とくに「構造計算」という最も重要な設計を行なう設計事務所の多くが下請であり、設計単価や設計品質上の問題で、もの言えぬ立場に置かれていることも解決すべき問題です。
 以上のように、今回の事件の根本には、公共性を顧みず何でも「民間市場」に流す自民党政治と、安全性を犠牲にするコスト削減、利益追求、犠牲をすべて下請けに押しつける建設産業の実態があります。組合は、国政の流れを変え、建設産業民主化の運動をいっそうの決意を固めて進めなければなりません。同時に、これほど建設産業への国民の不信感が高まっているときはないことを直視し、構造計算書偽造問題の解決と建設業の信頼回復を図る取り組みの先頭に立つことを決意するものです。

産業対策活動者会議に236人
分科会で学習を深める
災害時の建設労働者の役割
【産業対策委員会】
 師走の12月13日、渋谷フォーラムエイトで「2005年度東京土建産業対策活動者会議」が行なわれ236人の仲間が参加しました。
 池上副委員長(産業対策委員会責任者)は基調報告で、今年は悪質リフォーム詐欺事件、アスベスト被害の社会問題化、構造計算書偽造事件など重大事件があいつぐ中で建設業が国民に安心・安全を提供できるよう組合が積極的な役割を果たしていくこと。大手建設住宅資本とのたたかいと地域建設業振興策を実現させ建設産業の民主化をすすめようと提案しました。
 「アスベスト対策の到達と今後のとりくみ」を高木労働対策部長が報告、午後は3つの分科会に分かれ賃金対策「公共工事における働くルールの確立」(受注連建設事業協同組合・星野さん)、仕事対策「大規模災害と建設労働者の役割」(環境・災害対策研究所・中村さん)「石綿特別講習のとりくみ報告」(柄澤技対部長)、「弾けた時限爆弾アスベスト」(東京労働安全センター・飯田さん)などの講演を受けました。
 全体会では、宮田本部賃対部長が「職長会結成」、山極墨田支部書記長が「地域建設産業の確立」、橋本足立支部労対部長が「支部でのアスベスト運動」を報告し経験交流を行ないました。最後に「構造計算書偽造事件に対する東京土建の決意」を大きな拍手で特別決議を採択しました。
偽装事件でシンポ
各立場から問題を語る
 12月11日、本部会館で「耐震強度不足のマンションはなぜつくられたか」と題するシンポジウムが建設政策研究所の主催で開かれ、約80人が参加しました。
 シンポは永山建政研理事長のあいさつで始まり、辻村同専務理事事が「建築確認事務の民間開放によって監督・規制型から当事者責任型に移行したのも問題」と指摘したのをはじめ、設計、施工、行政の立場から発言が続きました。東京土建からは清水書記次長が建設労働組合の立場からの発言をしました。
 なお、このシンポは同日のTBSで放映されました。

木造住宅耐震講習会ひらく
 近年、東京も大地震が心配されており都民の建築物の耐震診断・改修は関心も高く要求も強く緊急の課題といわれます。
 東京都地域住宅生産者協議会(全建総連も構成団体)では、設計・工務店関係者を対象にした「木造住宅の耐震診断と補強方法」の講習会を昨年12月9日(第一回・約130人)と16日(第2回・約120人)におこない、住民から相談されたときの対応や診断の方法、計算など映像をまじえた講習を熱心に受講しました。
 今年も第3回目を1月30日(月)国分寺労政会館、第4回目を2月20日(月)都庁第二本庁舎でおこないます。昨年12月はかなり早く締め切りになりましたのでご希望の方はお早めに支部事務所にお申し込みください。

木村建設倒産 6000万円の不払いに
下請業者も被害者だ
現場で元請には物申せぬ
【多摩・稲城・書記・井沢智記】
 あの木村建設の倒産で、工事代金約6000万円が不払いを受けている仲間がいます。
 躯体工事のAさんで、「建築確認が下りている図面を疑って仕事などしない。構造図面も監督は持っていても、見せられることはない」。
 塗装業者は「うちは構造計算偽造問題とはまったく関係がない。木村建設から現金2割、手形8割の支払いで、それも期日が守られず、あげくに倒産された。住民も悲惨だが、私たち下請業者も被害者だ」と憤ります。
 Aさんは「鉄筋が細い、少ないと思っても実際にはいえないし、いっても監督にはわからない。現場では工期をどう守るかしか考えられない。うちはすでに下請に工事費を支払っている。うちには誰が支払ってくれるのだ」と途方にくれています。

どうなる住宅産業の行方
新建ハウジング編集長 三浦祐成さん
「ブランド」構築する力
積水ハイムの成功の秘訣
 悪質リフォーム問題、アスベスト問題、そして構造計算書の偽装問題と、2005年は住宅・建設業界の「信頼」が揺らぎ「安全」「安心」が問われた年だった。一方、住宅業況に目を向けると、ここ数年来の二極化がさらに進展、ハウスメーカーもビルダー・工務店も「勝ち負け」が鮮明になってきたように見える。
三浦祐成さん
 ハウスメーカーに関していえば、優劣を分けたのは「戦略」の差、正確には戦略の構築力と実践力の差であろう。
 典型的なのは、積水化学工業(積水ハイム)である。
「鉄骨ユニット」しか差別化ポイントがなくキャンペーンでなんとか棟数を稼いでいた同社だが、数年前から「エコハイム」をかかげエコ路線に全面的に転換したとたん、業績は回復、1棟単価も上昇した。いま絶好調といっても良い状況にある。

ありふれた技術でも付加価値に
 ここで重要なのは、「全面的に」という点である。いまやハウスメーカーの大半がエコ路線をアピールしているが、積水化学ほどエコ一色のPRを行なっているところはない。さらには太陽光発電+オール電化による「光熱費ゼロ」をいち早く打ち出し、「エコロジー=エコノミー」(環境にやさしい=お得)をアピール。熱心な環境派以外の層を取り込むことに成功した。
 太陽光発電もオール電化もありふれた既存の技術だ。だが、それを戦略的に生かすことで同社はエコ企業としての「ブランド」構築に成功した。一度ブランドができた企業は、付加価値を高めていくことでさらに高いものを売ることができるようになる。同社の次の戦略は「エコ+耐震化」。今後に注目したい。
2008年以降、新築市場はいっそうの激戦区に
ミサワは復活の道
トヨタの支援で信頼感
 ブランドという意味でいえば、産業再生機構入りしたミサワホームは支援企業であるトヨタのブランドを借りることで、復活の道を着実に歩みはじめている。
 住宅などの高額商品は特にそうだが、企業の金融的な信用力の低下は顧客の不安を招き、受注減→経営悪化→信用力低下…という負のサイクルを呼ぶ。ミサワホームの場合それが、トヨタのブランド(+金融支援)によって止まり受注も改善傾向にあるのだから、ブランドによる「信頼」の重要性がわかるだろう。
 ミサワホームの場合、トヨタオリジナルの住宅ローンをミサワの顧客でも利用できるようにしたこと、「MGEO(エムジオ)」と呼ぶ制震技術の投入、大リーガーの松井秀喜のイメージキャラクターへの起用も復活に寄与した。特に制震技術については、新潟県中越地震の直後で地震への不安が高まっていたこと、積水ハウス等が打ち出していた「免震」と徹底的に差別化を図ったことなど、「タイミング」がよかった。戦略と適切なタイミングが重なればいっそうの効果を発揮する一例である。
 また、大和ハウス工業は、新築住宅単体ではなく、賃貸や特建部門を含めた「不動産の総合活用提案」に注力。旭化成ホームズは、自社の中古住宅の買い取りを含めた「循環型経営」にシフトするなど、勝ち組メーカーは戦略を明確に打ち出してきている。
 今後さらに、明確な戦略が見えてこない企業との格差がいっそう拡大していくとみられる。
「生涯顧客化」徹底へ
工務店はパワーアップを
 さらに勝ち組メーカーのポイントとして、「売上よりも利益重視」「生涯顧客化への挑戦」をあげることができる。一言でいえば「焼畑農業」から「定着型農業」への転換である。
 特に重要なのは「生涯顧客化」という視点だ。ハウスメーカーのリフォームシフトが注目を集めているが、新築からメンテ、リフォーム、さらには住み替え、賃貸化まで、顧客のライフステージの時々に発生する住宅需要をすべて自社で取り込もうとしている点が重要だ。これが「生涯顧客化」ということ。1世帯からの利益を最大化する戦略であり、そこには「新築だけをとって次へ」というかつての「焼畑農業」と揶揄されたハウスメーカーの姿はない。
 本来は地域工務店が目指すべき「ホームドクター」的な業態を、スケールメリットと不動産対応力をいかして実現しようとしており、この勝ち組メーカーの戦略転換は地域工務店にとって、リフォーム専業店にとって今後大きな脅威となろう。
 地域工務店としても「生涯顧客化」の徹底が不可欠だが、そのためにはデータベース化、点検の仕組み化、不動産対応力の確保など、顧客とその家の面倒を一生みるために必要な力を身につける必要がある。ハードルは高い。だがここをやりきらなければ、ハウスメーカーに再び「負けて」しまう可能性もある。
 だが逆にいえば、「生涯顧客化」を徹底し、生涯にわたって満足度を高めていくことができれば、理想の顧客とその紹介客をベースとした経営が成り立つ。
 現在の団塊ジュニア市場がピークをすぎる2008年以降、新築市場はいっそうの激戦区となる。生涯顧客化を図ると同時に、リフォームや中古住宅などのストックビジネスへとさらに軸足を移していくことも、地域工務店は検討せざるをえない。あと数年のタイムラグを利用し、それ以降の戦略を検討していただきたいと思う。
住宅メーカーの戸建て単価は全社で向上
 大手住宅メーカーが販売している戸建住宅の単価(価格)はほぼ全社で向上しています。主な実績は次のとおりです。
積水ハウス2978万円
大和ハウス2990万円
積水化学工業2890万円
ミサワホーム2581万円
住友林業2960万円
旭化成ホームズ2915万円
パナホーム2806万円
三井ホーム3390万円
エスバイエル2763万円
 前年より最も上がったのは大和ハウスで5・7%の伸び、積水化学工業、エスバイエルも5%を超える伸びでした。

不動産各社の中間決算は好調
 首都圏を中心にするマンション、ビル事業に支えられて不動産各社の9月中間決算は好調だった。前期との経常利益を見ると、三井不動産(連結)は27・9%増。三菱地所(連結)51・2%増。住友不動産(連結)19%増、東急不動産(連結)が57・6%増。

居ながらリフォームのマナー集
 リフォームがこれからの住宅市場で主流となることを踏まえ、建主さんが生活しながらおこなうリフォーム工事(居ながらリフォーム)の心得帳・マナー編が全建総連から発行されました。お問い合わせは支部事務所まで。

今こそ日本は平和の道歩め
元レバノン大使 天木直人
粗雑で不正確な安保観を露呈した小泉講演
天木直人さんは元レバノン大使。2003年小泉首相のイラク自衛隊派兵に反対して実質解任された
 昨年11月30日、小泉首相は自民党本部で行なわれた結党50年記念で講演した。新聞紙上に書かれたつぎの講演要旨を読んで、私はめまいをおぼえるほどの失望とこみ上げてくる怒りを抑え切れなかった。
 「……敗戦直後から日本に軍事力がなかった時代は一度もない……軍事力がなかったら、侵略しようとする国や組織に侮られ、その国の国民は抵抗しないと思われたら何をされるかわからない。それを未然に防ぐために軍事力は必要だ……(自衛隊は)憲法違反でないという解釈に政府も自民党も立っているが、これをわかりやすい表現にしたほうがいいと長年思ってきた…」
 なんという粗雑で不正確な安全保障観、憲法観であろうか。一般市民が茶飲み話の中で口走るのならまだ許されよう。しかし卑しくも一国の総理が公の場で話した言葉である。しかも結党50年記念を祝う講演の場である。こんな首相の手によって、今まさに憲法が変えられようとしている。とうてい許すことはできない。
武力で平和は実現できぬ
中東の悲惨な光景
市民に暴虐の銃を向けるアメリカ兵
 戦後生まれの私は戦争というものを知らない。みずから戦地に足を踏み入れたこともなければ、目の前で人が犠牲になる光景を体験したことはない。そんな私は、レバノンという中東紛争の中心地に勤務し、連日のように米国、イスラエルのパレスチナ弾圧政策を身近に見てしまった。絶対的暴力の下で自爆抵抗するしかすべのないパレスチナ人の悲しみと絶望を共有した。不条理な戦争の犠牲になって悲鳴を上げるパレスチナ人を誰も救おうとしない国際政治の非情さに怒りをおぼえた。
 そんな中であの米国の戦争が起こった。世界平和の守護神を自認する米国が、イスラエルを助けるために、そして自らに向けられるアラブの反米抵抗を壊滅するために、嘘をついてまでイラクを攻撃し、占領した。おびただしい無辜(むこ)のイラク人の命が犠牲になることがわかっていたにもかかわらず、圧倒的な軍事力にまかせて何千年の歴史を持つバクダッドを瓦礫の廃墟にした。
 その結果どうなったか。イラクを武力で押さえつけようとすればするほど抵抗は激しくなる。殺戮が残虐になればなるほど抵抗は悲惨になる。若い女の子が自爆し、赤子を残した母親が体に爆弾を巻いて死んでいく。家路に急ぐ親子の車が米軍の誤射によって銃撃され泣き叫ぶ赤ん坊だけが残される。お使いに家を出た少年の頭を米軍の機関銃が吹き飛ばす。射殺され、死んでしまった少女の体にさらに十数発の弾丸を撃ち込んで平然とする兵士があらわれる。戦争は人を狂わせる。武力で平和は決して実現できない。私はそう確信する。
人類の理想の到達
憲法9条変えてならぬ
 イラク戦争が起きるまでは、そしてそのイラク戦争を支持した小泉首相を非難して外務省を辞めさせられるまでは、私は憲法9条の本当の尊さに気づかなかった。憲法9条への関心すら希薄であった
 その私が、外務省という組織を離れ自由になり、イラク戦争に反対する講演を各地で行なうようになってから憲法9条に向かい合うことになった。さまざまな人たちとの交流を深め、議論を重ね、そして自分なりに書物を読み、歴史を学び、考えた末に、私は憲法9条こそ人類が最後に到達しなければならない理想の憲法であるという結論にたどりついた。これは私が最後にたどりついた結論でありそれは確信となった。誰がなんといおうと憲法9条を変えてはならない。
 日本は米国に負け、占領されたゆえに、あれだけの理想的な憲法を与えられた。その憲法を、未曾有の戦争体験をした国民が、二度と戦争の被害者、加害者になるまいと決意して守ってきた。米国も日本の指導者も、あの憲法を変えようと常に圧力をかけてきた。それでも国民の多くがその圧力をはね返してきた。あの憲法は権力者によってボロボロにされてきたがそれでも平和憲法の精神を失うことはなかった。憲法9条の一字一句が平和を願う国民の抵抗の歴史を刻み込んでいるのだ。
 平和憲法を押しつけた米国は、今やむき出しの戦争国家となって平和憲法は邪魔者だと最後の圧力をかけている。その米国に従属する小泉首相が憲法を変えようとしている。そんな状況においては憲法9条の一字一句たりとも変えさせてはいけないのだ。
真の世界貢献の道
日米軍事協力の拒否こそ
 小泉首相は昨年の10月末、米軍再編に対する中間報告を、国民に説明することなく、そして地元の住民さえも無視する形で、認めてしまった。
 その内容は、日本の防衛とは何の関係もない、戦争国家米国の全世界規模における「テロとの戦い」への軍事加担に他ならない。これは明らかな憲法否定である。「極東における脅威から日本を守る」という日米安保条約さえも逸脱する、まったく新しい日米軍事協力である。
 私たちはこのことに気づき強く反対しなければならない。憲法9条を守るためには、なんとしてでもこの新たな日米軍事協力を拒否しなければならない。
 憲法を守ることは決して後ろ向きなことではない。消極的、否定的なことではない。それは日本を変える積極的な行動なのだ。
 もし私たちが憲法9条を守り、日米政府の軍事同盟強化の動きを拒否することができれば、日本は全く違った国に生まれ変わることができる。平和で豊かな国を取り戻せる。それどころか国際政治の枠組みを変えることさえできる。その時こそが日本が世界に貢献できる国になる時だ。アジア諸国との友好関係を取り戻し、世界の国々から認められ尊敬されるようになる時だ。そう確信している。

映画人9条の会が結成1周年記念集会を開く
 映画人九条の会が12月13日、結成一周年を記念する集会を東京で開き、百60人が参加した。映画監督の大澤豊、神山征二郎、ジャン・ユンカーマン、人形アニメーション作家の川本喜八郎、アニメ映画監督の高畑勲さん・翻訳家の池田香代子さんらが九条への思いを語った。
 同会は昨年、映画監督の山田洋次さんらが呼びかけ映画関係者ら約五百人で発足。一年間で会員は千人を超えた。
 敗戦時に20歳だった川本さんは「今でも新宿駅東口に降り立つと、60年前の焼け野原の光景が目に浮かぶ。60年後に『あの時に誤った判断をした』といわれないように、アニメーションの世界でも運動を広げたい」と語った。
 映画と世相について会場から質問を受けた高畑さんは、「うまく泣けていやされる映画があふれている。そういうことばかりに身をゆだねていいものか。戦時中の日本でも皆よく泣いた。政治的にこういう状態がつくられたら怖い」とのべた。
 集会には、脚本家のジェームス三木、女優の秋野暢子、倍賞千恵子さんらがメッセージを寄せた。

連合も自衛隊イラク派遣再延長に抗議
 連合の古賀伸明事務局長は12月8日、政府が自衛隊のイラク派遣再延長を決定したことについて強く抗議するとともに、撤退に向けた準備に着手するように求める談話を発表した。
 連合は(1)大量破壊兵器が発見されないなど戦争自体に大義・根拠がなかった(2)事実上戦闘状態が続くイラクに派遣し続けることはイラク特措法にすら反している(3)派遣や派遣延長に反対する声が国民多数を占める一方で小泉首相が説明責任を果していない‐‐などを理由に、自衛隊派遣に一貫して反対してきた。
 談話は、政府が英・豪軍の活動状況を見きわめ派遣期間中の撤退をにじませているが明確なものではないこと、航空自衛隊の活動を陸上自衛隊撤退後も継続し範囲を拡大する方向であることなどについても、「問題である」と指摘した。

メディアは問題の根源を追究せよ
元毎日新聞記者 西山太吉
「小泉劇場」に加担
権力追随のマスメディア
 朝日新聞の調査によると、昨年9月の総選挙で自民党候補に投票した人は53%がメディアの選挙報道から影響を受け、一番参考にしたメディアはテレビが56・5%で、新聞が39%でした。5年に及ぶ「小泉劇場政治」の真実を報道しないマスコミの状況をどう見るか、元毎日新聞記者の西山太吉さんに寄稿してもらいました。
西山太吉さん
(「琉球新報」提供)
政府の期待応じる報道
 先の総選挙は、国会でいったんは否決された1法案を、もう一度事実上の『国民投票』にかけて成立・復活させようとする小泉内閣の意図にもとづいて強行された。
 このようなやり方自体、はたして民主主義制度の下で安易に実行されてよいものかどうかきわめて疑わしいのだが、もっと問題にしなければならないのは、テレビと一部新聞を中心としたマス・メディアが、こんどの選挙にどう対応したかである。現代社会におけるメディアの民衆に及ぼす影響力は絶大なものがあるだけに、その対応ぶりは徹底的に検証されなければならない。
 こんどの総選挙で小泉内閣は争点を『郵政民営化』というワンフレーズにしぼりこみ、重点選挙区にいわゆる『刺客』(これもマスコミが作った呼び名であるが)と称する個性的な女性候補を立てることにより、『小泉劇場』なるものを仕立てあげた。
 これは周到に準備された現代的テレポリシー(情報戦術)の見本のようなものであるが、マス・メディアは自らこのポリシーのスポンサー的役割を買ってでて、政府の期待に十分すぎるほど応えたのである。
 とくに、民放各局はワイドショーなどで、ひとつの問題に執念を燃やし、のるかそるかの大博打をうつ小泉首相の姿とあわせて『刺客』の奮戦ぶりを連日のように流し続けた。その結果が、日ごろは政治に無関心な20〜30代の若年無党派層(とくに都市部の)の興味をかきたて、まるで芝居見物に出かけるように投票所に向かわせた。投票率が前回比7・65%伸張したのもそのためで、その分が小選挙区制の魔術に乗って、自民党の『圧勝』につながったといっていい。
 小選挙区、比例区の総平均で、自民、公明両党の得票はようやく50%に達したにすぎないことから、得票数では決して与党の『圧勝』ではない。それが議席的には『圧勝』となったのは、こうした一連のテレポリシーによるからくりに裏打ちされたものであることを知るとき、まさに現代日本の権力とメディアの相関関係がいかに暴力的なまでの影響力を発揮するか、この厳然たる事実を私たちは十分認識してかからなければならない。
枝葉の報道ばかり
「抑止力」の中身追求せず
佐世保基地も強化が進む
 日本の場合、戦後においても戦前・戦中の流れをついで、市民社会の形成は未成熟のまま推移した。いわゆる市民としての権利意識の欠如である。民主主義が導入されたとはいえ、戦後、政官財癒着という巨大でいびつな国家権力が形成されたのも、下からの民衆による監視力がきわめて低水準であること。そして、その民衆を代表して権力と対峙(たいじ)しなければならないはずのマス・メディアもまた、どちらかといえば政府の失政追及面での迫力に欠けた権力対応型であること。こうした日本の悲劇が、現在のようなまさに大政翼賛的な政治形態を産み落としているといってもよい
 こうした状況の中で、財政再建、社会保障制度の維持、少子化対策、そしてまさに日本の運命を決しかねない米軍再編と日米軍事同盟の一体化という根幹にふれるような大きなテーマが、総選挙の争点からはずされ、『小泉劇場』を観劇している最中に、日本の『危機状況』はどんどん進行している。
 とくに、日米軍事同盟の一体化について、いまメディアは政府が一枚看板にかかげている『抑止力の維持』の中身をなんら追究することなく基地のリロケーション(移転)にともなう地域的な問題や日本の負担減など枝葉の問題にだけ、こだわった局地的報道を続けている。

沖縄返還報道の愚をくり返すな
 かつて『沖縄返還』の『虚像』がどんどん剥げ落ちて、その『実像』が出てきた時は、すでに取り返しのつかないような『安保の変質』がもたらされているという愚を再び犯さないためにも、問題の根源を追究するメディアの姿勢に着目しなければならない。
 私たち一人ひとりが権力への監視の目を光らせると同時に、メディアに対してもムチ打つような気概をもって訴え続けなければならない。今はまさにそのような時なのである。
権力の圧力に屈服、記事の捏造、盗用、写真の合成…
あいつぐ不祥事
腐敗進むマスメディア
 2005年はあいついで、マスコミの「虚報」や幹部のウソ、不祥事が数多くあきらかになりました。
 NHKの「従軍慰安婦問題」についての番組制作に安倍晋三、中川昭一ら自民党有力議員が圧力をかけたことが朝日新聞で報道されると、NHK幹部が圧力を否定しました。そのご、朝日も「腰くだけ」の感がありますが、デイレクターの不正事件で批判を浴びているNHKが権力の意をうけて「圧力」を否定していることは、ルポライターの魚住昭さんのレポートなどであきらかになっています。
 その朝日新聞は8月に1面トップで報道した「亀井静香・田中康夫会談」が捏造であることがあきらかになりました。この他にも、記事の盗用、写真の合成(産経)や中止になった行事の報道(埼玉新聞)などがありました。
 また、テレビではあいもかわらず「めざましテレビ」などで「やらせ」が発覚しました。NHK「プロジェクトX」では紹介した企業からカネをもらっていたことも発覚し、マスメディの腐敗の深刻さはますばかりです。
西山さんの「沖縄密約」
暴露と権力による報復
 西山太吉さんは元毎日新聞政治部記者。
 西山さんは1972年、公表された「沖縄返還協定」では米軍用地の復元補償400万ドルはアメリカが支払うこととなっているが、実は日本が肩代わりする「密約」があることをしめす機密電を入手し、野党議員に渡して国会で暴露・追及させました。
 これに対して政府は「密約」を否定するとともに、機密電の入手方法をめぐって西山さんを攻撃し、72年4月には国家公務員法111条違反(秘密漏洩をそそのかす罪)で逮捕しました。裁判でも政府の「密約」否定の偽証の下、1審は「無罪」でしたが、東京高裁で逆転有罪、最高裁も西山さんの上告を棄却しました。
 この時、ほとんどのマスコミが「国民の知る権利」や「本当に政府は国会の承認案件である条約に嘘を書いたのか」などの問題の本質を問うのではなく、機密電入手に関するいきさつを書きたてました。
 2002年アメリカ公文書館の機密指定解除で、日本政府の否定にもかかわらず「密約」は事実であったことがあきらかとなり、2005年4月、西山さんは「違法な起訴で記者人生で閉ざされた」などとして、政府に損害賠償と謝罪を求めて訴訟を起こしました。

今年も仲間と一緒にがんばるぞ
東京土建の将来まかしといてよ
若手幹部の抱負
 東京土建では第58回大会において、「前世代・全丁場結集型の組織づくり」の一つとして、本・支部に後継者対策部を新設しました。
 活動方針は「青年部対策」ではなく、青年層から子育て世代の要求にこたえる運動・行事・業務、を強化させ、3年計画で分会青年部を確立する。最終的には若手役員・活動家を育成して「全世代にわたる役員体制を確立することにあります。
 こうしたとりくみを進めながら組織全体の力を結集して若手役員の登用・育成を進めていくことにしています。
 06年のスタートに当り日頃から、支部、分会で仲間の先頭に立ち、活動している4人の仲間から新年の抱負を語っていただきました。
組合は横のつながり
支部50周年に力つくす
佐藤さん
 仕事が終わって取材の場に駆けつけてくれた目黒支部の労働対策部長佐藤忍さん(電工・37歳)。青年部書記長や青年部長をつとめた後、2001年より労働対策部を担当しています。支部の社保対部長をつとめている兄豊さんのすすめもあり20歳で組合に加入し、25歳で青年部に入りました。父は元目黒支部の副委員長をつとめた四郎さん、まさに組合員家族です。「加入書は兄が書いてくれたのかな」と振り返る。
 31歳で青年部を卒業、目黒分会の書記長と分会長もつとめてきました。「組合活動をやってこれたのは、同世代の仲間がいたから」と控えめな答え。みんなには「組合はタテではなくてヨコのつながりだよ」話して励ましている。これが仕事のつながりにもなっているという。
 憲法問題や小泉首相の靖国参拝、大増税と社会保障改悪など、仕事と暮らし、将来のことを考えるにも、政治の問題としてとらえていけば運動にもつながっていくと確信しています。
 これまで青年部活動も組織拡大でも、また支部の諸運動にもバイタリティあふれる行動力で突き進んできた経験を生かして、06年も大きく成長してくれるでしょう。
 新年にひと言「青年部も育ってきているし、流れに負けないように活動していきたい。組合があるから今がある。仲間があるから今があると思う。元気に楽しく、支部50周年を2500人で迎えるために力をつくしたい」。
仕事にも自信が
若い人を育てたい
井沢さん
【荒川・クロス・井沢力記】
 仕事は、内装関係(クロス)の仕事をしています。今の会社に入って12年くらいになりますが、やっと自信が持てる仕事ができるようになってきました。
 最初のころ、多少のミスや間違えなど、大目にみてくれていましたが、慣れていくにつれ周囲の見る目も変わっていき、手順を間違えたりすると大きな声で怒られることもありました。「うるさいなぁ」とも思いましたが、今となってみれば、あれは親心だったのかなと思っています。
 今は、不景気のせいか仕事が少なく、ちょっと残念な気持です。仕事もそうですが、組合活動も一人ではできないんだと、ここ数年組合の行事に参加して身にしみて感じてきました。
 僕が、組合に入って青年部で活動をしていた時は、あまり組合の行事には関心が無く、青年部の集まりにしか参加していませんでした。それでも今は町屋第3分会の分会長として、少しずつ勉強をしてこれから先、若い人を育成していかなければならないと、仕事そして組合の両方で思いました。
「何かやらなければ」
仲間ができ活動に広がり
河野邉さん
【東村山・書記・重枝美津子記】
 10年前青年部のスキーツアーに誘われて以来、翌年には青年部長として楽しく活躍できたと語る河野邉昌男さん。青年部で人脈つながりの基本ができてきて住宅デーのとりくみなどで大工として組合活動が広がっていきました。
 その後、組合に加入した以上「何かやらなければ」と引き受けた本町分会長。そして05年度の支部後継者対策部長を引受け、まわりの組合員に助けられながら活躍中です。
 河野邉さんは、拡大運動にも力をつくし、また12月11日のボウリング大会へ仲間を誘うために20〜40歳までの若い世代の家を廻り、後継者対策部として責任を感じて参加を呼びかけていました。
 さらに、このまま組合と関わりながら、いろいろな勉強を積み重ねていきたいと意欲的。また二人の子育てのなかで「子どもは保育園の集団なかでのびのびと育てる。その育つ子どもたちがまじめに将来がみえる世の中に」と願い、「戦争のない地球を手渡すためにも組合活動をとおして学んでいきたい」と話します。
何事も積極的に
組合の役はおもしろい
「要求実現の流れ作り出したい」
高山さん
【西多摩・書記・大野史記】
 お前入れといたから‐。西多摩支部の後継者対策部長・高山勝宏さん(鳶職・33歳)が東京土建に加入したのは20歳のとき、組合員であるおやじさんの一言で決まりました。
 何ごとにも積極的な高山さん。消防団やお祭りといった地域の活動にも熱心で、「いろんなところに顔を出し、いろんな経験をしたい」と、25歳のときから群長・分会書記長(支部執行委員)を歴任。また昨年度まで2年間、支部の青年部長もつとめ、部員を30人前後から一気に135人に増やすなど大活躍。
 高山さんは「組合の役員はおもしろい。役につくまではわからなかった運動の成果が見えてくるし、自分たちが動けば情勢は変わるということが実感できる」と自らの経験を語ります。
 そして「東京土建をもっと『闘う労働組合』に育て上げ、他の労働組合も巻き込みながら、自分たちの要求を実現する大きな流れを作り出していきたい」と組合役員としての抱負を話してくれました。

今年も元気に若い仲間たち
「平成」生れの組合員 早く仕事おぼえたい
元気な青年部 江東は200人の部員
他労組との交流が力に
楽しいキャンプも団結の力
川手部長
 江東支部青年部は部員が200人。04年メーデー出し物「9条君」制作には、部員の熱気が大いに盛り上がり、これまでにない江東支部の作品が最優秀賞に選ばれたことで、活動に勢いがつきました。
 もう一つは江東区労連青年部の一員として活動することで、いろんな職場の青年男女と日常的に交流ができ、活動に広がりが出てきています。昨年はカップルも誕生。さらに「勤労者通信大学」を3人が受講し、全労連の一泊学習会も参加し、卒業しました。
 「平和の学習会」ではシニアの会の塚田基八郎さん、菅谷清さんに講師を頼み、多くの資料とともに戦争の体験、東京大空襲の体験を聞くことができました。また1泊学習会では組合業務から、どけん共済、労災保険を学習。以外にも知らないことばかりで、これまでに見たことがないほど真剣な学習となりました。
 このほか、仲間の交流と部員拡大を兼ねた飲み会、花火見物、バーベーキューなどにとりくみ、仲間との交流にも力を入れています。
 仲間の仕事や暮らしは大変きびしく、夜にバイトしている部員もいます。こうした状況を青年部が受けとめ、「働くこと」に自覚的になる活動をしたいと考えています。
 川手良明青年部長 「今年は、25歳までの若い部員を育てていく。また区労連など他団体との交流を大きくしていきたい。できれば海外視察や、伝統建築見学会なども実現したいね」。
アイラブ・鉄筋工
「おやじのように」 原 拓也君
原拓也君
 16歳の隅田支部組合員原拓也君は都心の再開発現場で鉄筋工の父昭次さんと9人の仲間とともに働いています。二、三度工事現場につれて行ってくれた父を「かっこいい」と感じていました。
 高校を5月でやめたときに浮かんだのが父の仕事。6月中旬、つれて行かれた現場の一日は「わけがわからなかった」状態。そして「あっという間の6ヵ月間」でした。それでも今は、仕事の全部がおもしろく、この仕事に入ってよかったと感じています。
 仲間からは「アイラブ・鉄筋工」と声が飛びます。
 つらいことは、と水を向けると「毎日が大変」と率直な返事。でも、「高校にいるときよりも大人の中にいるせいか自分の気持ち、考えが変わった」と、柔道で鍛えた体に自信が見えています。これからはおやじのように、先輩のみんなのようになりたいとキッパリ。
 卓也君は、労働基準法により高所作業はできませんが、鉄筋の運搬や結束の仕事をこなしながら、たくさんのことを吸収しています。
江戸川支部「J2の会」
二代目13人で活動
中村会長
 「こんにちは、笹を持ってきました」。「わーい。わーい笹だ、笹だ」と園児たちが笑顔でかけてくる。
 江戸川支部の住宅センターには10年前に発足した『J2の会』(2代目の会)が、仕事や研修会、遊びも含めて元気に活動しています。会員は中村仁会長(大工)ほか大工が8人、電工、内装、サッシ、材木屋の13人で活動しています。
 会を始めたころは、半ば強制的な任務として動いていましたが、しだいにヨコのつながりが強くなり、仕事の協力から、遊びまで強い仲間意識が特徴です。
 昨年の活動は、毎年続いている「笹くばり」。これは七夕の前に千葉の山から笹を切り出して江戸川区内の保育園、幼稚園に届けているもの。10月には新潟中越地震で被害を受けた現地を見学。11月には江戸川、小岩、葛西の消防署管内で各7世帯の高齢者宅に家具転倒防止金物の取付け。11月20日には「都公立幼稚園PTA連絡協議会」主催の子育て研修会で、廃材を利用した木工細工とカンナ削り技術を披露しました。
 06年も月1回の定例会をしながら、1月には安全祈願と新年会。2月に勉強会と3月には総会を開くことにしています。
中村会長「皆さん仕事にプライドを持ち、研修会でも夜遅くまで会のことや仕事のことで真剣に話し合っている仲。これからは学習会を充実させながら、大工以外の仕事についても学習をし、広げていきたい」。
鳶職に誇り感じる
立派な親方に 河田勇人君
河田勇人君
【足立・書記・浅野昌広記】
 河田勇人君は平成元年6月7日生まれの16歳。昨年の7月1日に加入しました。
 東京土建加入の理由を聞きますと、親方と一緒に加入したのですが、親方は以前東京土建を一度脱退したのですが、今回独立を機に何かと有利な東京土建に再加入をすることにしました。そこで河田君にも勧めてくれました。
 とび職になった理由は「とにかく学校を卒業したら早く独立して一人前になりたかった。そこで建設業に飛び込み、とびになった」といいます。
 さらに、今思うことは「まだとび職になって半年、勉強の毎日です」と謙虚に答える一方「最近仕事の流れが見えてきて、この仕事が楽しくなってきました。建築の仕事はとびで始まりとびで終るといってもいいと思うし、そんな仕事に、誇りを持っています」。何とも頼もしい返事でした。
 将来の夢は「やはりたくさの職人を雇える立派なとびの親方になりたいです」と照れ笑いを浮かべると、まだ少年ぽさの残る河田君でした。

06年憲法、平和、人権、福祉
守りから闘い獲得する年に

新春インタビュー あした元気にな〜れ

エッセイスト 海老名香葉子
海老名香葉子
1933年、東京・本所生まれ。45年の東京大空襲で家族6人を失う。52年林家三平さんと結婚、2男2女をもうける。80年の夫の死後は、40人近い弟子たちを支えながら、エッセイストとして活躍中。
 東京大空襲60年の昨年は、私の原作が映画化され、「あした元気にな〜れ 半分のさつまいも」として公開されました。
 20年ほど前、「うしろの正面だあれ」という本を書いた時は、戦争のことというより、幼い日々の親子の情とか友情などを描きたかったんです。15年ほど前にそれが映画になったんですが、私が親兄弟を亡くしたころのことで終わっていたので、見た人たちから「その後のカヨちゃんはどう生きたの?」という声がたくさん寄せられました。とくにテレビで放映された時はすごい視聴率で、放映後はお母さんたちや子どもたち、戦争を体験された方々からダンボールに3箱もの手紙が届いたんですよ。ご返事を全部書きました。
 その後の私を、家の雑用があったりしてなかなか書けなかったんですが、60歳を過ぎていま書いておかなかったらもう書けなくなってしまうと思って、机に向かいました。
 その時ちょうど、満州(現在の中国東北部)でとても悲しい死に方をしたいとこについて取材をしているところでした。一時期に二つの戦争ものの本を書くことになってしまったんです。机を二つつくりまして、あっちとこっちでやっていたんです。それでやっと「半分のさつまいも」(映画の原作名)を書き上げたのが10年前です。
東京大空襲の慰霊碑
上野の山に建てたかった
 そのころ、私は上野の山に東京大空襲の慰霊碑を建てたいと思っていたんです。東京大空襲から60年の区切りとして建てたいと。しかし、東京都の土地である上野の山に個人で建立するのですからなかなか許可が下りません。都の緑地課や生活文化局に長いこと請願書を書きつづけました。
 それでも通らなくて、最後に上野の山にある寛永寺様にうかがいました。上野の山の真ん中の16坪の土地を「安く分けてもらいたい」とお願いしたら笑われました。私がいただきたいと思ったところは天海僧正(寛永寺の創建者)の毛髪所だったんです。
 3日後に寛永寺の執事長をされている浦井正明先生から電話がありました。請願書を見ていただいて「あなたの熱意に打たれました。土地を無償で提供しましょう」と言ってくださいました。
 その土地は山門の入り口にあって、両大師通りに面したところ。東京大空襲による焼死体1万体が運ばれて積み上げられた場所です 慰霊碑建立の場所が決まったら、今度は突然、都から許可が下りたんです。一度に二つになって、資金がないからたいへんです。とても無理だと思ったんですが、慰霊碑「哀しみの東京大空襲」と平和の母子像「時忘れじの塔」を完成させることができました。
9条を机の前にはる
反対です自衛隊海外派兵
 いまの日本では憲法改正が言われていますが、絶対に9条は守ってほしいというのが私たち庶民の祈りです。
 自衛隊を軍隊にするのは反対ですが、困った人たちを助けるという意味ではいいと思うんです。いまから何年も前ですが、名古屋で飛行機事故があった時、後尾に火の手が上がっているような危ない中を自衛隊が乗り込んでいって人を助けていたんですね。それを見た時、自衛隊ってありがたいと思って拍手しました。これからもそうしてほしいと願っています。「自衛」という本来の意味をもっと考え直してほしいと思いますね。
 私は新聞から切り抜いて9条の条文を机の前に貼りつけているんですよ。9条は戦争はしない、平和を守っていくことを決めたものです。ですから、自衛隊を軍隊にするなんてとんでもないことです。武器を持って戦場に出るというのは反対です。
 戦争を体験してきた世代として、2度と私のような少女をつくってはいけないと思っています。

新宿支部 布川事件の桜井さん

無実の罪で29年間獄中に
 あなたがもし無実の罪で囚われることになったら…?警察による冤罪事件はこれまで数多くありますが、免田・財田川・島田・松山事件などが「再審」によって、その無実が確定し、死刑からの生還として歴史に刻まれています。しかし、その後、頑迷な警察・検察によって再審の扉は閉ざされ続けてきました。
 この文字通り、開かずの扉をこじ開けて「再審開始決定」をかちとつたのが布川事件の被告、杉山卓男さん(59歳、造園)と桜井昌司さん(58歳、土木)で、桜井さんは新宿支部の組合員でもあります。

連日自白を強制する警察
 事件は1967年8月30日、茨城県利根町布川でおきました。事件から40日以上すぎた10月中旬、2人はそれぞれ別件で逮捕されて以来38年、当時21歳と20歳だった青年が29年間も獄中ですごさなければならなかったその悔しさは、いかばかりか。
 若かった2人は自白を強制する警察の手口に落ちました。どんなに無実を証明しようとしても、頭から否定される。朝から晩まで「お前は嘘をいっている。いつまでも嘘をついていると死刑になるぞ」、「お前を見たという人がいる」と。くる日もくる日も攻め立てられて、その苦しさから逃れたい一心で警察が用意した筋書きで虚偽の自白をしてしまいました。
 彼らは、警察の取調べを終えて送られた検察で容疑を否認します。ところが2人は警察の留置場へ逆送され、再び激しい警察の取調べに耐えかねて嘘の自白をします。しかし、彼らは「裁判」を信じていました。裁判で本当のことをいえば自分たちの無実は信じてもらえると。
 ところが、水戸地裁、東京高裁、最高裁と11年に及ぶ裁判ではことごとく、嘘の自白を唯一の証拠として強盗殺人犯とされ、無期懲役が確定する。冤罪とはこうしてつくられるものです。

05年9月21日再審開始決定
 「僕らはすばらしい支援者に囲まれてここまでこれた」と桜井さん。「今は仮釈の身。子どもがいじめにあうのではと、心配の日々だったが、再審開始の勝利判決で周囲の目が好意的に受けとめてくれてうれしい」と杉山さん。
 再審開始決定は05年9月21日、水戸地裁土浦支部で言い渡されました。唯一自白だけが証拠とされたこの事件は、新たな物的証拠(実は警察が長い間隠し続けてきた)によって、その真相が究明され、杉山、桜井両氏の無実が確定する日が近いことを確信するとともに、38年間、2人の人生を奪い続けた警察権力に対して、心の底から怒りがわいてくる取材となりました。
あなたも有資格者
 あなたは四十四日前の夜
どこで何をしていましたか 考えて下さい
 あなたは、今、殺人犯として尋問されていたとします 答えられない人
 あなたは有資格者です
 行動を記憶していたあなた あなたは立派です
 でも
 その行動を証明する人はありますか 証明できる明確な事実はありますか
 無いという人
 あなたは有資格者です
 あなたが記憶通りに話した行動を、裏付捜査によって、違っていると判ったと言われたらば、警察官がデタラメを言ったと思いますか
 そんなことで警察が嘘は言うまいと思う人
 あなたは有資格者です
 (桜井昌可著・「壁のうた」より)

保育こそ公共の手で

民間委託の水準守れる?
 今、子どものすこやかな発育に大きな役割をもつ、公立保育園の民営化問題から端を発して「保育の水準を下げるな」と父母たちの運動が始まっています。
 都内のある自治体では、昨年10月に「建物が古くなったので、建て替える」そのため、平成9年4月からは幼稚園跡に移転し、同時に民間委託する計画が浮上。委託先は3年前に自治体が補助を出し私立幼稚園と私立保育園関係者が設立した社会福祉法人です。
 自治体側は保育士の「人件費が高いから」「保育サービスの改善」「負担の公平化」などを理由にあげていますが、どれをとっても子どもを中心に考えていない内容で、父母と保育士、公・民の保育士の分断が巧妙につくられています。
 自治体の財政難を保育所民営化の理由にすることは「保育の充実」と矛盾するもので、民間委託しても財政措置をとり、保育レベルを下げない義務があります。
 文京区では民間委託問題で区と父母の会協議会が、公・私の保育内容を検討した結果、コストの差が区の見積もった1億5000万円より、きわめて小さくなることが判明しています。
 問題の根本には、民営化しても負担から逃げられない自治体と新たなビジネスチャンスにしたい事業者の意向だけですすめられ、父母や子どもの影響など保育本来の趣旨についての話し合いが欠けていることにあります。
 父母会を中心に保育を守っていくために、自分の子どもと、あとに続く子どもにも気を配り、話し合いを充分に積み重ねて、自治体に性急な結論を押しつけさせないことで、よりよい保育環境と保育士の要求もまとめながら運動を大きくしていくことです。
 次世代の子どもたちが健全に育つ環境を、大人の責任で進める年にしたいものです。

日の丸・君が代に対する忠誠義務はない
 都立学校の入学式、卒業式のやり方が、10年前とはがらりと内容も形式も変わりました。以前の入学・卒業式は最初(最後)の授業として、フロア(対面)形式で生徒同士の激励、祝福の場として生徒が主役の学校行事でした。
 いま教師と生徒は壇上の日の丸を向いて座わり、君が代斉唱が義務づけられています。不起立の教師は、職務命令違反で処罰され、何度も繰り返すと解雇のおそれもあります。「憲法そのものが存在として違反している」と公言する石原都知事と都教委の有無をいわさぬ「日の丸、君が代」の強制に「憲法にも教育基本法にも違反するもので従う義務はない」と400人をこす教師たちが「国旗国歌に対する忠誠義務不存在確認請求裁判」をおこしました。
 処分が出される前に、命令そのものが不当・無効であることを問うこの「予防訴訟」の原告の一人、都立荒川商業高校の堀公博先生に裁判をおこした思いをききました。
教育破壊は許さない
堀先生ら400人が予防訴訟
 私は養護学校に16年、都立高校に16年勤務しています。家が貧しかったので、東京でアルバイトしながら大学に通い、セツルメントの活動もやりました。当時の子どもたちが自分と二重写しになって、教育とはいったいなんなのだろうという根本的な疑問をもったのです。
 養護学校には目の見えない子も、一人で着替えも食べることもできない子もいます。しかし、この子たちと体で接触しながら、人間は確実に発達できるんだということを学びました。障害児教育を発展させたのは、美濃部都知事の時代でした。
 普通高校に移動になり、いじめや暴力が日常で、無気力な生徒たちに「自分がダメなんだという気持が君たちにとって障害なんだよ」と話しました。
 2003年10月23日、東京都教育委員会のだした処分を前提にした国旗掲揚と国家斉唱は、思想、信条の自由を認めず、生徒の人権も否定し、教育内容そのものに介入するもので認めるわけにはいきません。
 イラクに自衛隊が派兵され、憲法の改悪が日程に上がっている今日の状況と無関係ではありません。子どもたちの人権がターゲットになっているのです。

生徒達の人権ターゲットに
 子どもたちの成長・発達の場である学校こそ、人間同士の響きあいの上に信頼と責任に満ちあふれた場であるべきとそんな気持で私は教師という仕事をしてきました。だから、それらを打ちこわす命令には従うことができませんでした。
 原告になったのは私のささやかな抵抗ですが、歴史の転換期のいま、多くの市民と一緒になって学校現場でおきている教育の破壊を阻止していきたい。

共謀罪は監視社会への道
話し合うことが処罰の対象に
 政府・法務省は殺人や暴行などが実際に行われなくとも話し合っただけで処罰することのできる共謀罪を新設しようとしています。
 誰でも「あいつは許せない、ぶん殴ってやる」、「うん、そうだ」などと話し合い、相づちを打ったことはあります。
 しかし、話し合った内容が法律で4年以上の刑が科せられるものであれば、実際に行動に移されなくとも、共謀罪で2年から5年以下の刑で処罰されます。
 共謀罪は、文字通り言論そのものを処罰できるとんでもない法律です。各界から反対の声が上がっています。
日本ペンクラブが反対声明
 特別国会で審議されている「共謀罪」新設の法改正について、私たちは、これが思想・信条の自由、内心の自由を侵し、人が人として生きる自由と意味を破壊するものとして、強く反対する。
 共謀罪は、法益を侵害する行為が実行されたことに対して処罰を行うという近代刑法の原則を否定し、共謀したという事実や推測のみをもって処罰しようとするものである。
 「行為」でなく「意思」や「思想」を処罰することは、戦前戦中の日本の暗黒社会を生みだした「治安維持法」の実例を見るまでもなく、およそ個人の基本的人権の擁護を前提とする民主主義社会の前提を忘却したものと言わざるを得ない。
 そもそもこのたびの共謀罪新設を含む法改正は、2000年に国連総会で採択された「国連国際(越境)組織犯罪防止条約」の批准のために、国内法の整備が必要になったからとされている。
 しかし、その改正案を見ると、その趣旨が無視され、広範な一般的法律に適用されて私たちの日常生活に影響する一方、国際テロや麻薬シンジケートの抑制など、条約の目的を実現しないものとなっている。
 このような法律が成立すれば、市民社会における自由な会話やメールなどの意思疎通を狭めるばかりか、社会活動全般の不自由と不活発を生じさせ、この国の萎縮と停滞、ついには衰退を招くだろう。
 仄聞するところ、今回の特別国会の一部には、与党の圧倒的多数を背景に、さしたる議論もしないままに可決してしまおうという動きがあるという。私たちは、こうした強引な手続きにも憤りを禁じ得ない。
 私たちは言論・表現に深く関わり、その自由な活動こそがこの社会、この世界を豊かにすると信じている。だからこそ私たち日本ペンクラブは思想・信条の自由、内心の自由を侵し、ないがしろにする共謀罪新設には強く反対し、廃案を求めるものである。
 2005年10月17日
社団法人日本ペンクラブ
会長 井上ひさし

建設人・9条の会憲法問題学習会
 建設人・9条の会主催の憲法学習会を開きます。
 自民党は11月22日、新憲法草案を決定しました。日本国憲法第9条2項を削除し、自衛軍の保持、自衛軍の国際協調活動、緊急活動を明記し、アメリカの戦争に日本が参加できるという内容です。
「自民党憲法草案を斬る」と題して、上田耕一郎さんを講師に開催します。
 日時 1月23日午後6時〜
 会場 エデュカス・東京
(JR四ッ谷駅・市ヶ谷駅徒歩7分)
 参加費 500円(資料代)

ありがとう東京土建の復興支援
三宅島大噴火
世田谷の大工 保手さん引張りだこ
火山ガスたちこめる三宅島
 「こちらは三宅村役場です。火山ガスの広がりについてお知らせします。ただいま阿古地区で0・2PPMを超える火山ガス濃度が観測されました。高濃度地区の皆さんはガスマスクを装着して、屋内に避難してください」。島中に設置された大きなスピーカーから昼となく夜となく流される火山ガス情報に神経が張りつめます。4月21日から始まり、83日間に及んだ東京都連の三宅島住宅再建支援活動には、のべ1354人が参加し7月12日、いったん幕を閉じました。その後の三宅島を訪ねました。
平野村長にインタビュー
平野村長
 「いま、村は建設ラッシュです」。帰島時、都は全戸に100万円(プラス1人あたり10万円)の住宅補修補助を出したが、その補助の申請締めきりが今年1月末。そこで補修のための予約取りで大工さんが引く手あまたなのだそうです。全島で少ないパイを争ってもどうにもならないと、村は都に申請期限を無期限に延長するよう申し入れて受け入れられる方向。それにしても、島の住宅がいたんだままではすまされません。「昨年は、東京土建はじめ本土の職人さんにワラをもつかみたい時に支援をいただき、大変ありがたかったのですが、今度も島ではみなさんの腕に大きな期待をしています」と話してくれました。
農業、漁業は大被害
二酸化硫黄で木も生えず
三宅島三池地区で崩れ落ちた建物がそのままになっている
 島に火山ガスが広がっているので、家に入れた家族と入れなかった家族が、部落ごとに隣り合っています。そういう事情で、対策の切実度が違うのも当然です。「ガスが止まったらいつでも帰れるようにしておく村単独の事業とか、全国からの義援金の傾斜配分とかで高濃度地区の人々には力を出してもらおうとしてはいるが…」と村長。ここに村全体が1つになることを困難にする要因を感じました。
 「三宅の観光立地をめざす上でいますぐ必要なものを3つあげるとすると、飛行場、温泉源、そして村民全部がお客様に向かって『ありがとう』といえる心」だと平野村長は言います。
観光に必要な3つの条件
寺本さん
 羽田と結ぶ飛行場の再開は、観光ばかりでなく三宅の文化、経済あらゆる発展の基礎です。温泉は旧来使っていた泉源が使用不可能で、05年度中にも新しいものを開発する予定です。そして村長が言う3つ目とは、全国にお世話になったお礼の心でお客様を迎える、温かい村づくりという意味でしょうか。
 村の雇用の拡大について寺本恒夫村議(共産党)は次のように話します。「いま島には、復興事業としての開墾や土木・補修補助員程度しか仕事はない。早く農作業を再開できるように、ガスに強い作物の選定、ガスを防げるハウスの建て方などで努力してほしい。漁業では、土砂で荒れた海草や貝類が育つ根をきれいにするなど、公でしかできない事業をやってほしいという声があります。それから、たとえば帰島前に村が約束した集団作業場などは検討の価値がある」。
 いま高濃度地区に生えているのは、二酸化硫黄が濃くなると萌芽が促進されるシダの仲間だけで、普通の植物の葉は白くなって枯れてしまいました。ガスに強い植物を選び育成することは、島の将来にとって大きな課題です。さらに雄山の頂上近辺の土壌には、バクテリヤが生存してないことも判明しています。これでは木も生えません。「どうか三宅を復活させてください」と祈らずにはおれません。
昔ながらの工法で
既製品使わず何でも手造り
保手さん
 砂防ダムや道路整備は目に見えて進んでいますが、住宅の復旧はかなり遅れています。島の工務店はどこも人手不足に悩まされています。
 そんな中、先のボランティアにも参加した世田谷支部の保手龍哉さんは、ひきつづき三宅島に残って住宅復旧作業に汗を流していました。
 保手さんは八丈島や茨城の職人さんたちと一緒に箕輪工務店の仕事をしています。群会議に出席するために一時東京に帰っていた保手さんが島に戻るというので同行しました。「島の仕事は自分が大工修行を始めたころの35〜6年前のやり方だね。だからなつかしくもあり、思い出しながらやってる、楽しいし、おもしろいね。大工仕事だけでなく、何でもこなすので、重宝がられている」。「既製品といえばサッシぐらいで、壁などにボードは使わない。みな香りのよい板張りですよ。こんな仕事は東京じゃなくなりましたから」。保手さんが手がけた家は数え切れません。1日に数軒駆けめぐることもあります。
 この日の朝、船は午前5時ちょっと前、三池港に着きました。火山ガスの濃度が0・5PPMを超え、息が苦しいほどでした。保手さんは、出迎えてくれた箕輪工務店の2代目社長、幸太郎さんの車で仲間と暮らす宿舎に戻って身支度すると、休む間もなく仕事に出かけて行きました。
 今日の現場は、伊豆地区の栗本イズ子さんのお宅です。
夫亡くした栗本さん
風の家でボランティア
栗本さん
 「今日くるとわかっていれば片づけておいたのに」と栗本イズ子さん。それというのも、「4月に座敷を住めるように直してもらってから、続けて壁も早くやってとお願いしてたのに、もう11月です」と、職人さんがきてくれたことに半分驚いていました。
 イズ子さんは避難中に夫の干之さんを亡くしました。「夫は帰りたい、帰りたいと、島に帰りたがっていたのに」と言葉をつまらせます。島歌保存会の会長だった干之さんは、たくさんの望郷の詩を書き、童謡などの替え歌にして島の仲間を励ましました。
 江戸川区小松川の都営住宅での4年半は、彼女を大きく変えたようです。「若い人は東京に残り、島に帰るのは高齢者が多い。島には診療所も少ないので、何かあった時に力になりたい」とヘルパー2級の資格を取得しました。
 現在は週1回、障害者の支援センター「風の家」に自分で作った野菜などを持ち込んで炊き出しのボランティアをしているといいます。「避難中も、帰島後もこうして皆さんに応援していただいているのですから、私もがんばらなくっちゃ」とイズ子さん。
感心しました
東京の大工さん
 阿古地区の村上茂生さん宅は台所、居間、寝室の3部屋の床が抜け落ち、墨田支部の鈴木誠さんと新野正昭さんが土台から取り替えました。
 「その後どうですか」とうかがうと、「東京からきた大工さんは、こんなアフターフォローまでしてくれるんですね」と感心しきり。「こんなにきれいにしてもらってありがたいものです」と村上さんは話してくれました。
 伊ヶ谷地区に住む根岸ひろ子さんは、「島でやっと人心地がついた。正月はこの家で迎えたい」と笑顔で話します。
カレッジ生もカンパ
代表の佐竹君が平野村長に届ける
【東京建築カレッジ発】
 カレッジ9期生は、火山活動で避難を余儀なくされていた三宅島島民を支援する募金活動にとりくんできました。「災害時、われわれができること。そのために準備しておくことを学んでいかなくては」という気持を込め、クラスに募金を呼びかけ、カレッジ祭でも実習作品の売上金を募金に当てるなどしてきました。11月21日、三宅島の平野祐康村長が上京した折、2年運営委員長の佐竹さんが面会、お見舞いを手渡しました。(写真上)佐竹さんは、「村長さんと世代をこえた固い握手をしました。カレッジと三宅島が少しでも近づき、前進していきたい。募金に協力してくれたカレッジのみなさんありがとうございました。今日は仕事を休む価値のある1日だった」と話していました。

新潟県中越地震
死者少なかった中越
地域コミュニティの力発揮し
 1昨年の10月23日、中越地方を襲った大地震から1年が経過しました。全建総連が呼びかけた十日町市の住宅の修理・復興支援ボランティアは、6支部34人(のべ73人)が参加しました。1年後の十日町を訪ねました。
岡田さん(右)、樋口さん(左)
 中越地震から2回目の正月。いま被災地では、冬の準備と震災の後始末で大わらわです。地元で民生委員を長くやってこられた岡田イツエさんは、「この辺の人たちは、ボランティアを初めて受け入れるのでとまどっていました。でも、どこの大工さんに頼んでもきてくれない状態のとき、とにかく壁の落ちたところだけでも直してもらったことで、本当に皆さん喜んでいます」といって、岡田さんが紹介した方のお宅を案内してくれました。
 酒屋をやっている樋口ヨリさんは、「何回もきてもらって、ほんとによくやってもらいました」と、きれいになったお店の壁にびっしりとお酒のビンを飾っていました。
 「今はみな空ビンだけどね。あのビンはみなこわれて、大変だったの」と、お店の片づけに何日もかかったと振り返り、「こうしてやっていけるのも皆さんのおかげです」。
家が傾き寝るどころじゃない
樋熊さん
 「床に入っていても頭からパラパラ壁が落ちてくる。とても眠るどころじゃなかった」と話すのは、樋熊和子さん。家が少し傾いたせいか、障子の開け閉めもできなくて自分ではどうにもならず困っていたといいます。「大工さんは手際よく直してくれて、本当に感謝でいっぱい」と、何度も何度もお礼をのべていました。
足の踏場もない家
杉並の鉢嶺さんが応急処置
杉並支部の鉢嶺さんに修理してもらった岩田さん宅
 今はネギの収穫と出荷に忙しい岩田春市さんは、震災直後から長野県農民連などから寄せられた救援物資を被災した住民に届けるなどの活動に奔走していました。その中で高齢者や障害者をかかえる世帯への住宅復旧で全建総連のボランティアがくることを知って、住民の要望を聞きながら、その活動に協力してくれた一人です。
 自宅は寝たきりの母親をかかえ、家の中は土壁が落ちて足の踏み場もないありさまでした。12月に入った最終盤、ボランティアの助けを借りて、自宅の一室を直すことにしました。それには杉並支部の鉢嶺秋男さんらが協力しました。そのときはとりあえずベニヤ板で土壁を覆い、大壁に仕上げましたが、今回訪ねてみるときれいにクロスが張られ、見違えるほどに変わっていました。
二瓶さん
 「地震のときは柱にしがみついて、とても動くことができなかった」という二瓶セイさん。大規模損壊の判定を受けました。せめて住めるようにと玄関、台所などを中心にボランティアはがんばりました。「皆さんのおかげで、何とか暮らしていけます」と、しみじみ話してくれました。
十日町市
新しい町造りに挑戦
高齢者の住宅問題は親子関係反映
長谷川防災安全係長に聞く
いまなお仮設住宅で暮らす(十日町市)
 新潟・十日町市の市民生活課の課長補佐 防災安全係長の長谷川東さんに現状を聞きました。
 冒頭、長谷川さんから東京土建の支援にお礼がよせられました。「避難所から帰ってみたら家がこわれていた。これほど住民にショックだったことはなかったが、いち早く土建のみなさんが支援にきてくれて、どれほどみんなの心が和らいだことか」。支援に行けなかった家から「なぜうちにも紹介してくれなかったんだ」などとお叱りを受けているといいます。
 災害を受けた地域では、法で復興計画を策定する義務があります。十日町市も昨年9月につくりました。特徴を長谷川さんは「単なる復旧(元に戻す)ではなく、あの地震から変わったね、といわれるようなまちづくりをしようというものです」といいます。
 いま現地では、田んぼの復旧とか道路の整備が目に見えて進んでいます。そのようなハード面にかける費用は約130億円ほど。現在計画の3割から4割程度の進捗だそうです。「ハード面には国から法に基づいた補助制度があって、これを有効に活用している」と、復旧の点では自信がある様子です。
 いまでも長谷川さんの窓口には市民から相談が殺到していますが、その中で行政では解決しがたいのが、高齢者の住宅相談です。金があり後継者がいる人は、国や県、市の補助を使いながらなんとか家は建つが、問題は金融機関が融資してくれない人たち。市の仮設住宅におられるうち30%ほどがどうしていいか迷っているのだそうです。

連日相談を受付ける長谷川さん
一度も訪ねてこない子供も
「この人たちには、行政にいくら力があっても支援のしようがありません。『おじいちゃん、家をつくるだけが幸せじゃないよ。復興住宅でも住みよいよ』と説得しているところです」。
 もう一つ、つくづく考えてしまうのが現在の家族関係のこと。この地区で生まれ育って、親はまだこの地区にいて、その親が大変な目にあっているのに一度も訪ねてこない子ども。親もこれからどうしようという相談を子どもにしようとしません。「なぜ家族が助け合うことをしなくなったのか、せめて家族会議でも開いて、苦しみを共有できればいいのに。結局私のところにくる住宅相談は、現在の親子関係、人間同士の関係をあらわしたものなのですね」。
 長谷川さんは最後に「ものをつくることは行政が金をかければなんとかなるが、人の心にある問題を復旧するのは、行政にはできません。それはみなさんの問題としかいいようがありません」と重い口調で話してくれました。
地元組合も感謝の言葉
宮嶋さん
 地震の強度から見て、死者が少なかったのが山間部の中越地震の特徴でしたが、その要因は地域のコミュニティの威力が発揮されたことと言われます。
 いま十日町市では、273の町内のうち半分以上に自主防災組織ができているそうです。それも、搬送係とか誘導係など、きめこまかい心配りがなされているとのことでした。
 十日町建築組合の宮嶋正一組合長代行は「600人の組合員全員が被災者でもあり、あまりの件数の多さに地元の業者の手が回らない状況の時、助けてもらって本当にありがたかった」と地元建築組合からも大変感謝されました。

都連賃金アンケート分析
村松加代子(建設政策研究所)
上昇傾向になったが
月30数万では生活楽でない
 90年代のバブル崩壊以降、建設職人・一人親方の賃金は低下の一途をたどってきました。ここにきて、下げ幅は小さくなっていますが、1日あたり平均1・6〜1・8万円台の賃金では、まだまだ安心して生活ができないのが現状です。ここでは、このような東京都連組合員の賃金の状況について報告します(全建総連東京都連・建設政策研究所『2005年賃金調査報告書』)。
村松加代子さん
 05年の職人・一人親方の賃金(日額)は、常用賃金16、376円(回答者5102人)、手間請賃金17、335円(1767人)、自分仕事賃金18、980円(743人)でした。いずれも04年よりは上がっています。
 しかし、増加した額は100円〜300円にすぎず、90年代以降の最低水準にあるここ数年の賃金を大きく引き上げるものにはなっていません。さらに、丁場別や年齢別、職人・一人親方別にみると、一様には上昇していません。すべてが押しなべて上昇傾向にはありません。
 丁場別にみると、常用の場合、ゼネコンや住宅メーカーの現場の賃金が低く、建設資本、住宅資本が増収増益のために、常用労働者に負担を押しつけていることがわかります。他方、手間請の場合、新丁場・地元〈中小〉の賃金が高いのですが、労働時間が長いため、1時間あたりに換算すると賃金水準は低下してしまいます。この傾向はここ数年続いています。なお、いずれの賃金も90年代前半が戦後の最高でした。2005年の賃金は、それにくらべるとおよそ1〜3割減少し、80年代後半の水準になっています。
 ちなみに、05年の職人と一人親方それぞれの賃金は、職人・常用16、019円(4076人)、手間請15、947円(754人)、一人親方・常用17、794円(1026人)、手間請18、368円(1013人)でした。比較的に高い一人親方の賃金が低下傾向にあり、建設職人・一人親方全体の賃金水準の低下が危惧されます。
経費は一人親方一日千円
法定福利費は全額自己負担
 職人・一人親方は、通勤の交通費や現場の駐車代などの経費を負担しています。そのため、実際の賃金は自己負担分だけ低いものになります。05年の1日当たりの自己負担(加重平均)は、職人417円(常用賃金の2・6%)、一人親方1、000円(常用賃金の5・6%)で常用賃金から引くと05年の賃金は職人15、602円、一人親方16、794円でした。この自己負担の問題を解消しない限り賃金は実質的に上昇しません。
 さらに、建設職人・一人親方の場合、自己負担は、交通費や現場の駐車代などにとどまりません。健康保険、年金など、とくに常用労働者であれば事業主が負担すべき法定福利費は決められているのですが、たいていは全額自己負担をして職人・一人親方自ら加入しています。この分の負担も差し引けば、さらに低くなるのが現状です。なお、アンケートでたずねた自己負担の項目は、作業・安全用品(作業着、安全靴、安全帯など)、高速料金、電車・バス代、ガソリン・燃料代、現場の駐車場代、その他でした。
職人、一人親方の2割賃下げ
6割強は上がらなかった
 04年5月の賃金とくらべた場合、職人・一人親方のおよそ2割が賃金引下げにあっています。職人にくらべて一人親方のほうが「下がった」という回答比が高く、賃金水準の高い一人親方のほうに賃金引き下げの影響が及んでいます。ちなみに、回答者の6割強は「上がらなかった」(現状維持)であり、「上がった」は1割もいませんでした。
 職人・一人親方1日あたりの平均引き上げ額は1、190円、引き下げ額は3、135円でした。1日当たりおよそ3千円の引き下げは、職人・一人親方の生活に大きな影響を与えます。また、引き下げが続く限り、職人・一人親方全体の賃金水準は上昇しません。一人ひとりの賃金の引き上げを確実なものにしていくことが求められます。
生産構造を転換し
技術技能に見合った賃金
 職人・労働者の事業主との書類による契約状況をみると、04年と同じように、どの働き方(常用、手間請など)をみても何も結んでいないがトップでした。一人親方の場合も、同じような状況にあります。多くの建設職人・一人親方が、契約なしの不安定な環境の中で、働いているのが実情です。
 書類による契約がなされていないために、トラブルが生じた時などに正当な権利を行使できずに、不利益をこうむることがあります。そうならないためにも、書類による契約が望まれます。
 以上のように、職人・一人親方の平均賃金は日額1・6万円台〜1・8万円台で、1か月あたりにして30万円台前半(常用)でした。この金額では、十分に安心して生活をおくれません。下げ止まりに歯止めをかけて、わずかな引き上げでも確実なものにしていくことが望まれます。
 今後の賃金を考えるとしたら、生計費相当の水準を確実に確保した上で、技能技術力などに見合った賃金が求められるのではないでしょうか。その際、建設職人・一人親方の中で、どの程度の賃金格差をつけるのか考える必要がでてきます。
 総じて、建設産業における生産構造の民主的な転換が強く求められます。雇用主層にあたる中小業者が低単価を押しつけられている下で、建設・一人親方の賃金を引き上げていくには、中小業者の経営環境の改善が必要不可欠だからです。

仲間と話合い要求まとめる

 ゼネコンや住宅メーカー、パワービルダーなどの大手企業は、熾烈な受注競争に勝ち残るため、中小業者や現場労働者の単価・賃金を引き下げて、増収増益を実現させています。その結果、中小業者や建設労働者の生活や経営が苦しくなるわけですが、このゆがんだ構造を転換させるためにも、建設労働者の賃金がどのようになっているのか、自らが知り、仲間と話し合い、要求をまとめていくことが大切になっています。
 私たちが望む賃金をともに考え、実現させていきましょう。
月平均20.2日就労
労働時間は長くなる傾向
 05年の職人・一人親方の1カ月間の労働日数の平均は20・2日でした(13、436人)。昨年と同様に、暦日による平日(土日、祭日除く)を上回っています。
 職人より一人親方の平均労働日数のほうが短く、一人親方は仕事を確保しづらい状況にあります(平均:職人20・7日、一人親方19・6日)。
 また、労働時間(休憩時間を含む)をみると、昨年と同じ8・7時間でした(12、614人)。ただし、ここ数年、長時間化の傾向にあります。9時間以上が全体の4割強をしめていますが、02年に比べるとおよそ3ポイント増加しています。
 標準作業量の増大や工期短縮などもあって、現場では労働強化がいっそう進んでいるのではないでしょうか。
 先にものべましたが、長時間労働は、建設職人・一人親方に過重な負担をかけるだけではなく、全体の賃金水準を低下させかねません。賃金とのかかわりでみても、長時間労働に歯止めをかけなければなりません。

忘れられない
私の現場
震災直後神戸の復旧現場
無口な職人さんの情熱感じた
【調布・事務・鈴木陽子記】
 神戸を訪れたのは二度。夏季休暇を利用して友人と行った食べ歩きの旅。そして、瓦礫と青いビニールシートだらけの街となった、阪神・淡路大震災から約2カ月後のことである。
 東京ガスの本管工事をしているわが家にも、神戸の復旧工事の依頼がきた。先発していた他の会社と交代するため東名高速道路を一路神戸へ。先導車に続き、緊急車両という旗を掲げて、職人さんたちは出発した。
 テレビのニュースや新聞などの情報では、どのようにライフラインの復旧作業が進んでいるのか。また、作業員たちの生活状況はいかがなものか。電話などで聞いてはいても心配であった。ひと月ほどたったころ、部品を持ってきてほしいとの連絡があり、道に不安内な両親に付き添い、私は会社を休んで神戸へ…。
 新幹線は新神戸まで行かず途中からバスで乗り継いだりしてどうにか三ノ宮まで着いた。歩道橋を渡る時は、いまにも崩れそうな家の脇を通り、ビクビクしながら歩いた。
 無口な職人さんが走るように次から次へと現場の状況や市民の生活を話す姿を見て、復旧作業へかける情熱を感じた。
 帰京した時の従業員全員の満足した顔を、いまでも忘れられない。

殺人犯と版場暮し
54年前の北海道日高で
【東村山・大工・廣田隆雄記】
 昭和27、28年、北海道日高の新冠滑若の道路工事の帳場(事務)に行った。人員は30〜40人、積丹半島からの出稼ぎ漁が主体で、急造りの仮小屋をかけて住まった。
 昔のタコ上がりの荒くれもまじえ、私にとっては2度目の飯場暮らし。川から玉石と砂利を採取、道路わきの土留の石垣へ玉石積みと道路の付け替えだった。
 7月ころになったら、ずぶの素人3人と子ども1人の4人が入ってきた。漁師は夕食の一杯に酔うと、網揚げ音頭かなにかで合唱して、望郷の念にかられてうさを晴らしていた。
 ある朝、現場の責任にと呼びだしがあり、私が出向いた。製材所に濃緑のダッジ(車)がとまっており、玄関で身分をきかれ、座敷のテーブルにスナップ写真が数10枚、この人は? この人はとたずねられ、後入りの3人を探してきたものとわかった。
 お盆にも積丹半島組は帰らず、お汁粉でも食べようとすると団子作りに奇妙な技術を見せる人もいて、別段何ごともなくすごした。
 盆を区切りに、後入りの4人のうち2人と子どもが事情で去った。工事も終期に入り、近所の川原から芝を採取して道路の傾斜面に植え付ける最終工程だった。
 函館で殺人事件をおこした主犯は団子作りの名人の菓子職人、飯場へ戻ったところを逮捕となり、ダッジの人となって消えた。警察官の目の前で労務費の計算をした緊張感を思い出します。

朝鮮総監府解体に遭遇
【足立・書記・浅野昌広記】
 もう10年も前のことだ。1995年8月15日、先の大戦終戦から50周年のこの日、私は韓国のソウルにいた。学生時代からアジアに関心と憧れをもっていた私は、語学留学という形で1年半ソウルに住んでいた。
 日本はこの日敗戦50年だがこの国は日本から植民地開放光が復活した日「光復節」の50回目である。
 この日の式典のメインイベントは、総督府の解体工事を知らせるイベントだ。中央のドーム型建造物の先端部分をはずす作業である。
 あっけなく先端の突起物がはずされると、たくさんの鳩が空を舞い、花火が打ち上げられ、一斉に「万歳」(マンセー)の拍手。
 私のような日本からの訪問者は複雑な気持でその式典を祝った。所変われば一つの物の見方も180度違うことを痛感した一日であった。

森の踊り子
新潟県松之山町天水越のブナ林
前川さん
 多摩稲城支部の前川彰一さんは、18歳の時から写真をはじめて40年、いまや本業のタイルより、新宿、多摩市、町田市、調布市で写真教室を主宰する「先生」です。腕前を買われて赤旗日曜版05年12月11日号から月1回1年間、「樹彩の遭遇」と題して掲載されることになりました。第一回の「日曜版」撮影地は、長野県根羽村。裏山を背景に、大きな柿の木にたわわに実るカキとその根元に寄りそう農作業小屋がなつかしい郷愁を誘います。
 前川さんのライフワークとしてのこだわりは、樹木です。四季折折変化する樹木の美しさにひかれ、「樹は根を張ったら一生動けない。だから、ぼくが会いに行くのです。ぼくの作品を見て、いいなーと感じてくれる人がいればうれしいじゃないですか」と話します。
 素人の写真の上達方法をたずねると「感動した作品の現場に自分で行ってみることです」と伝授してくれました。上の写真は前川さんの写真集「樹木彩響」(文一総合出版)から。
夢は北米のキングサーモン
釣師 清瀬久留米の細山さん
細山さんの釣り上げた74.5センチのサクラマス
【清瀬久留米・塗装・石崎政幸記】
 北は北海道から南は九州の果てまで、魚を求める釣名人がいます。それはわが分会の、細山長治さんです。
 清瀬で生まれ、小さい時から自宅裏の川で釣りを始めたのがきっかけで、本格的になったのは車の免許を取得してからで、仕事と趣味を両立させるのは大変です。
 段取りをうまくして、日曜日を利用して仕事先のお客さまや家族には迷惑をかけないように釣りをしています。
 もう20年前になりますが、釣り好きのクラブ山女魚道(ヤマメドウ)を立ちあげ、現在道員120人、全国に支部があり、長治さんは道長を務めています。
 渓流釣りでは川を一本、上流から下流まで制覇すること、鮭などの大型であっても、一本竿でリールを使わないで釣ることが基本なんだそうです。細山さんは、釣具メーカーのシマノのインストラクターもやっています。
 細山さんのお宅には数多くの釣りあげた魚の剥製があります。額の中には、日本一大きなサクラマス74・5センチ、6キロやアメマス87・5センチ、7キロが飾ってあります。夢は北米でキングサーモンの大型を釣り上げること。自分の技術を常に磨き、夢に向かって一歩一歩前進しています。
 細山さんたちのクラブの人たちは、常に川河をきれいにを合言葉に釣りのマナーを守っています。

私が建築職人になったわけ
建築職人になった理由は人それぞれですが東京土建の仲間はみんなチームワーク抜群
「こいつをよろしく」父が現場の職人さんに
小林さん
【荒川・左官・小林次夫通信員】
 1948(昭和23)年3月上旬、中学卒業目前のある日、父が「俺についてこい」というので私は外に出た。
 私の家は当時の国電三河島駅から東に約3分のところにあり、その北方100メートルで明治通りに出る。横断して少し行くと新築現場があった。そこで土壁を塗っていた3人の職人さんに「これからコイツを左官にするからよろしく頼む」といい「蛙の子は蛙だ」と父はいった。
 私は新制中学を卒業後何をするという方針もなかったが、左官になれといわれたときは少し驚いた。しかし反対もせずに従ったのだからいい加減であったこともたしかであった。
 父は戦争中に、長兄を後継者に決めたのだが、兄は職人になるのがイヤで設計事務所の見習になり、夜間の工業学校を卒業して戦後復員すると設計事務所を開業した。だから私の意識の底には左官になる宿命みたいなものを感じていたのかも知れない。
雨漏りしない家に 子どものころの夢で大工
岩谷さん
【文京・大工・岩谷実通信員】
 小学生のころ家が雨もりして、どうしても雨もりのしない家に入りたいと小学生、中学生のころ考えていました。
 たまたま親せきに大工さんがいて、中学が終ると同時に東京にでてきました。
 東京にでてきたのはよいが、西も東もわからず、言葉もどうしようもなかったのです。朝は5時起き、夜は7時すぎでないと家に帰れませんでした。それでも5年は辛抱して、やっと年が明けることができました。
 年が明けてからは、他の工務店に出向き仕事をしました。23歳の時に、田舎に家を建てることができ親に喜ばれました。いま思えば、40年前自分にいいきかせた雨もりのしない家に入るのだということが大工になった理由です。
秘匿行員から転職 自分をほめてあげたい
【村山大和・タイル・武田良次通信員】
 私は27歳の4月まで、S化学の製造工程部門で工員として8年間務めました。職場は工場内でも秘匿部門であり、他部所の者は出入りができません。
 何をつくって、また何に使うのか、いまでも私の口からいえません。毎日決まった時間に出社して、定時までの作業の繰り返しです。そのものが、どこでどのように使われるのかわからないことに疑問をもったものです。
 そんな時思い出したのが、父親の仕事、建具屋です。自分のつくった製品が誰にも見てもらえ、わかってもらえるのです。そうだ。第二の人生はこれだと決めたのが、いまのタイル工事業なのです。
 独立した時は、すでに31歳です。夢中で働きました。
 いまの仕事は、好きな仕事です。建設職人になった自分をほめてあげたい。
日支事変勃発の年 13歳でブリキヤの小僧に
川島さん
【渋谷・板金・川島恵一通信員】
 いま思えば、昭和12年、13歳のあの不況の時代、日支事変勃発。5人兄弟の長男に生まれ、将来のことは考えてはいなかったと思う。
 軍人がいいな、そんなことを感じたことがある。なんせ不況の昭和の時代、どこの家庭も5、6人の子持ちは普通でした。
 米一升30銭の時代、誰か働きにでなければならない。手に職をつけるのが一番よいと親にいわれた。そして小僧にだされた。板金加工、昔のブリキヤです。現在も続けています。
故郷の甑島から 職を求めて本土へ上陸
新保さん
【練馬・板金・新保光香通信員】
 建築板金の職人になってもう45年長いようで短かったような気がする。
 私の故郷は鹿児島県の西の東シナ海に浮かぶ甑島(こしきじま)である。人々は切り立ったけわしい山肌に猫の額ほどの耕地をたがやし、山からの恵みを得る一方、朝まだ明けぬ海に舟をこぎ出し網をおとし、海の恵みを得る半農半漁の暮らしでした。
 産業らしい産業、仕事らしい仕事もなく、父は漁をしながら木びき職人でもあった。
 男兄弟は何か手に職をつけないといけないと、大工やブリキ職を身につけていた。盆や正月に兄たちが帰ってきて、近所の家の小さな工事や手づくりの板金かざり工事をするのを中学生の私はじっと見ていて、子ども心にも感銘した。
 自分も兄たちのようになりたいと心に決めて本土に上陸し、この職を定めることとなった。その思い出を原点として、大切にしていきたい。
中3のアルバイトで 建築の仕事の楽しさ覚えた
寺内さん
【江東・左官・寺内博通信員】
 私は中学生の時、朝4時30分に起きて新聞配りをしていました。このころ家の増改築工事をしていました。その時に、大工、左官、その他の職人さんが働いているのを見て、おもしろそうだなと思っていました。
 中学三年生の夏休み、現場でアルバイトで働き、建築の仕事の楽しさをおぼえました。親にも、将来は手に職をもった方が生活するのに不自由しないといわれました。
 中学を卒業してすぐに上京して、いまの職業につきました。昔は手に職をつけるので一生懸命でしたが、いまはものをつくる喜びをしり本当に左官になってよかったと感じています。
弓矢で右目失明 憧れの宮大工あきらめた
平岡さん
【西多摩・建具・家具・平岡利明通信員】
 思えば55年も前になりますが、小学上級の頃から木で工作することが得意でした。
 中学2年の夏休みの宿題の工作に、奈良の法隆寺の金堂の模型を作り、最優秀賞の金賞をいただいたことで、宮大工になりたい気持ちが強くありました。
 ところが私にとって、大きな転機がおきたのです。弓矢で遊んでいる時、矢が右眼に当たり、失明してしまいました。高所の仕事は、遠近の感覚がとれなくなり、宮大工になることはあきらめざるを得なくなりました。
 そのころ家は半農の大家族で、中学をでたら働くしかなかったのですが、自分の人生に失望していました。
 その後3回に渡る眼の手術をし、そんな中で自分より不幸な人はいっぱいいることに気づき、細かい工作が好きだったこともあり、近くの建具店に8年間修業をし、その後独立しいまに至っています。
 これからも人生を大切に生きたいと思うこのころです。
毎月100時間超す残業 コンピューター技術者やめて
真利子さん
【江戸川・ビルメン・真利子文夫通信員】
 ここ(新宿)にきたのは、何年ぶりであろうか。正確には、東京土建本部会館であるが、私が21歳の頃このあたりに職場があり、その頃は、「科学技術」という言葉が飛びかっていた時代。いまから23年前であった。
 せっかくきたのだからと近くを歩いてみると、劇団「プーク」は当時のまま。その目の前にある大型マンションの一室がそのころ勤めていた会社があったのだが、いまは移転したようだ。
 当時をふり返えると、コンピューターシステムエンジニアとカタカナの花形産業。週休2日で、9時から17時までと聞こえはいいが実際は、残業、残業の連続で月に100時間はざらであった。
 こんな生活はいやだと考えても名案がうかばずに、とりあえずと始めたのが、ビルメンテナンスの仕事であった。前職は3年ほどであり、現職は20年になることを考えると、これは天職なのかなと思ったりもする。
 子どものころは、建設関係の仕事は好きでなかった。しかしいまは、人間が社会生活をしていく以上なくてはならない職業だと思えてきたのだ。

豊かに生きたい私の老後大作戦
 「少子高齢化」の日本、これから100歳を越えて長生きする人が増えるのだそうですが、問題は「豊かな老後」、「幸せな老後」生活をすごせるかです。「けんせつ」通信員のみなさんに「老後の生活設計」を書いてもらいました。
三つの「く」苦にせず 組合で地域活動していく
黒澤さん
【目黒・塗装・黒澤利時通信員】
 私は生きがいを持って生きていきたいと思います。
 話し相手がほしい、話をきいてほしいお年寄りが地域にはたくさんいます。この人たちの話を聞くことです。これが第一の「く」です。第二の「く」はこれを書くこと、この二つを大切にするための第三の「く」は、地域をマメに歩くことです。この三つの「く」を苦にしない活動が私たちに求められていると思います。
 私は青年時代から、うたごえ運動に参加していました。歌がうまいかどうかは別のこと。お年寄りを訪問して一緒に昔の童謡や小学唱歌を歌えば、昔話に花も咲きます。みなさん、戦争のこと、つらかったことを語りあっています。
 目黒支部教宣部では、私に400字以内で書くように指示します。自分が書いたものを削るのは苦しいことですが、勉強になります。今年で私も「古希」を迎えます。三つの「く」を苦にせず、活動に大いに参加していきたいです。
夫と沖縄でくらす 「なんくないさー」の心意気
瀬田さん
【足立・電気・瀬田初枝通信員】
 夫婦で老後のことをちょっと考えてみたが、年金生活を考えると、物価の安い所でくらしたい。東京はあまりにも物価が高い。それに自然がなく、ゴチャゴチャし、気ぜわしい。
 ここ数年沖縄に旅行に行き、沖縄でくらしてみたいという気持になってきている。また私たち夫婦の出会いも一九七二年の沖縄闘争の時だから、沖縄は第二の故郷のようだ。そして、沖縄の「なんくるないさー」「てーげー」の心意気はO型人間の私にも合っているし、土地の人ともすぐ友達にもなれそうな気がしている。
 来年のはじめに下見のつもりで沖縄に行く予定である。観光といっしょに下見もしなくては……。
 しかし、今後の年金改悪増税、介護改悪は考えるとつらいものがある。まあ、10年先を考え、のんびりとしかし計画的に老後を考えていこうと思っている。
スイミングに卓球 10歳は若く見られます
荒川さん
【墨田・内装・荒川忠助通信員】
 自分の健康管理は医者でもなければ、家族でもない、自分自身であると、いつも心にかけ、生きてきました。介護保険の世話になるなどとは死んでも考えたくないと思い、53歳の時に近くのスポーツクラブに通い、水泳をおぼえました。まるっきりカナヅチだった私が25m泳げた時には私の世界観が変りました。
 いま67歳になりますが水泳は私の生活に欠かすことのできない物の一つです。また数年前から女房が卓球をやっている関係で、卓球の道にもはまってしまい、目下、週2回は区の施設を使った卓球教室に通っています。時おり人に年齢を聞かれますが「実年齢より10歳若いよ」といわれて、自己満足しています。できることなら、水泳と卓球を通して自分の健康管理をしながら80歳くらいまでは生きたいと考えています。
故郷長崎の海辺 澄んだ空気と光の下で
和田さん
【中野・塗装・和田武文通信員】
 先に社会保険事務所に出向き、年金支給資格の有無を調べてもらったが、厚生年金も国民年金も払い込み期間不足で資格なしとのこと、がっくりして帰宅した。さて老後の設計はどうする、と考えこんでしまった。
 幸い長崎の片田舎、海に面した所に老母が独り住まいしている小さな家はある。これで雨露はしのげそう。食は、小舟を亡父が残してくれているので魚を釣って調達しよう。米と野菜は本家が農家、手伝いでもしていただこうか。後は光熱費などの雑費、最低でも三万円くらいあれは生きていけよう。子どもが四人、一人一万円を月にカンパしようか、それでどうにか生きていけそうだな。考えているうち何か寒ざむとした老後になってくる。
 ダメな時には舟で沖合いに出て、ニラカイナ(西方浄土)方式で、この世から消えるのみか、澄んだ空気と大陽の光があるではないか、都会のごみごみした所での生活よりは快適な田舎生活を楽しもうではないか、自分でニヤリとする。少くとも病院のあの臭いよりは立派なご馳走だ。そう思うとどうにか納得できる。
子や孫大勢持ちたいが 徴兵制など不安が一杯
木村さん
【足立・設計・木村美紀記】
 31歳になった私は誕生日がくるのをうれしく思っていないことに気づきました。いつからかはわかりませんが、私の誕生日を一番うれしく思っているのは両親だろうと思ったのです。
 10ヶ月間腹を痛めた母と、経済的に苦しいからと自分の夢だった俳優をあきらめて仕事を探す父。私は何も知らずに生まれてきただけですから、誕生日は両親のお祝いだと思ったのです。
 そんな私の老後の楽しみ(希望)は大勢の子ども、孫に誕生日を祝ってもらうことです。しかし、私はまだ結婚もしていない状態です。すべてを今の政治や経済のせいにするつもりはありませんが、働きながら子どもを安心して育てられるのか、子どもが大きくころは徴兵制になっていたら…。そこまで行かなくても、自分の住宅の上を戦闘機が飛び回っていたら、郵政だけでなく、国保まで民営化されたら、考えると不安はきりがありません。
 でも、私は思うばかりで具体的な行動が起こせません。どこでなにをどうしたらいいのかわからない自分がいます。とりあえずは結婚相手を見つけることかなあ、と思っていますが。
ガン克服し夫婦で自転車旅行楽しむ
大野さん
【新宿・タイル・大野守通信員】
 小泉暴政で増税、福祉の切りすて、最後には憲法改悪を押しすすめ、老後はお先真暗です。そのおかげで、アルコールの量も増え、病院に行けば、肝臓の数値が高いので酒量を減らすように医者にいわれます。
 61歳になる私は、八年前に癌の手術をし、そのリハビリに、折りたたみのサイクリング車を買いました。今はそれが楽しみです。毎朝、荒川土手や石神井公園まで走っています。カミさんと二人で輪行で「しまなみ街道」を走ったり、京都へ日帰りで花見に行ったりしました。
 これからの足の力は落ちたとはいえ、能登半島や淡路島や東北の奥の細道を走ってみたいので、まだまだ老化(ふけ)こんではいられません。組合の教宣活動もまだまだがんばります。
生涯現役貫きたい やりたいことがヤマほど
杉本さん
【杉並・電工・杉本信義通信員】
 老後とは、いつからのことをいうのかわからないが、一般的には65歳の定年を境に老後というのだろう。私はすでに68歳だから、とうに老後に入っているわけであるが、自営で電気工事業を営んでいる私にとって老後などという概念は存在しない。
 さすがに寄る年波には勝てず足腰は弱くなってきたが、毎日、営業や積算、図面書きまた一番の悩みの種の資金ぐりなど忙がしく働いている。
 それでも年だから体を一番大切にして無理はしないことにしている。忙しい中でもやりたいことはヤマほどあって、パソコンや旅行、ゴルフや読書など欲の深い限りである。
 そして時間の余裕があればもっと組合の活動に精を出したいのだがなかなか思うようにはいかないものだ。
 「生涯現役」を自認している私だが健康で仕事ができ、生活に困らない程度の経済的裏付けがあって、好きな趣味や組合活動ができれば一番幸ではないかと思っている。

2000年ベイビー もうすぐ一年生
 この4月から、早生まれの2000年(ミレニアム)ベイビーたちが小学校に入学します。21世紀の後半まで確実に生きるこの子たちが、幸多き道を歩んでいけるように、20世紀に生まれた大人たちも精一杯がんばりましょう。
【渋谷支部】
プールとアニメが好き 伯喜(ほうき)賢太君
賢くて芯の太い子にと期待の賢太君です
 伯耆(ほうき)賢太くんは、身長180センチのお父さんの賢治さん(渋谷支部・解体・土木・39歳)と167センチのお母さんの美香さんの長男で、とてもジャンボです。
 プールとアニメが大好きで、ドラえもんの絵もとても上手に書いてくれました。
 美香さんは「人を思いやれるやさしい子になってほしいですね。私たち夫婦はダイビングをやっていますので、将来一緒にやりたいなー。主人の後を継がせたいとは全然思っていません。親としては、いろんな可能性を広げてあげたいですね」と話します。
【狛江支部】
待ち遠しい入学 玉那覇空海(くみ)ちゃん
家族と一緒の空海ちゃん
 狛江支部の玉那覇英(たまなは・えい・防水・30歳)さんの長女、空海(くみ)ちゃんは、いま水泳に夢中になっている元気な女の子です。
 「空海」ちゃんの名は、お父さんの故郷、石垣島のきれいな空と海、広くやさしい気持ちをイメージしてつけてもらった名前です。
 お母さんの敏子さんは「幼稚園でお店屋さんごっこしていますから、大人になったらレストラン屋さんになりたいといっています。包丁を使ってお野菜を切ったり、お皿洗いも手伝ってくれます。お肉も大好きですよ」。
 空海ちゃんには3歳の弟、晃くんがいます。お友だちもいっぱいいて、小学校に上がるのが待ちどおしい空海ちゃんです。

「今年もよろしく」東京土建を支える主婦のみなさん
3代続いて主婦の会 10年前まで分会センター
中野支部・タタミ工 浜崎時子さん
浜崎さん
【中野・主婦・浜崎時子記】
 私が結婚した頃、主人の父は組合の会計をしていて、数年後、主人が引き継ぎ、現在も100人くらいのを受付けています。
 10年くらい前に分会センターができるまでは、分会の役員会や拡大行動センター等の集会は、浜崎の家で行なっていました。そして今、主人は中野支部の委員長、息子は青年部に、私は主婦の会の教宣(新聞担当)をしています。
 主人の母も20年くらい前、主婦の会の会長をつとめていましたので、よく組合に出かけていました。そのころは私は子どもが小さかったので活動はできませんでしたが、今は子どもの手が離れたので、主婦の会の皆さんと楽しく活動しています。
 いつも組合活動にどっぷりつかった家庭なので、息子の嫁も子どもをつれて青年部の行事にも、主婦の会にも時々参加。気がつけば、義母、私、嫁と3代続いて主婦の会のお世話になっています。
3世代5人の家族 「若い人に出てほしいね」
板橋支部・水道配管 小谷野みよ子さん
小谷野さんと娘の明美さん
【板橋・書記・後藤淳二記】
 水道配管の仕事をしている小谷野みよ子さんと小谷野明美さんは、明るくやさしく、がんばる親子。3世代5人の家族を支えながら組合活動で仲間をはげまします。7月と11月に行なわれる全建総連の予算要求などの集会や、住宅デー、もちつき等の分会の行事には、親子で一緒に参加しています。
 「私はお手伝いもできていませんが」という、娘の明美さんですが「日比谷の集会とかに行って、デモに出発するのに長く待っていると、人の多さを感じますね」と団結の力を実感しています。
 支部の執行委員もつとめる、母のみよ子さんは「集会も年とってる人が多いので、若い人がもっとがんばらないとね」と、ハッパをかけながら「でも若い人は仕事が忙しいから、私が張り切るしかないのよ」と言って笑います。
 明美さんは、お子さんの高校受験を前に「親の心配はお金の心配だけですね」「生活が大変とはいっても、ここは物価が安い所だから助かっています」と、しっかり家族を守ります。「今は、子どもが道を聞かれても『知らん顔して逃げなさい』という世の中。なんて不親切なんでしょう」「小さい子を安心して育てられる社会にしたいですね」と話す明美さんの目は、かがやいています。

主婦の会40周年 2万4千人めざす
 東京土建本部主婦の会は2月に総会を開き、07年1月に40周年記念行事を決めることにしており、そのために2万4000人の主婦の会めざしてとりくみます。

平和運動の活動家 きくちゆみさんが講演
東京母親大会開く
課題別分科会で学習
【多摩・稲城・主婦・福田寿美子記】
 東京母親大会は12月10日、神田の日本教育会館大ホールで開かれました。
 オープニングは「ぶち合わせ太鼓」。若者の力強い太鼓の響きと平和宣言で開幕です。記念講演は、きくちゆみさん(ピースグローバル・キャンペーンコーディネーター)から「いのちを守るために、私にできること」と題しての話を聞きました。きくちさんは、アメリカの金融機関で、キャリアとして勤め、アメリカに多くの友人をもつなど、グローバルな生き方に感銘しました。のちに自然派生活をする中で、01年の9・11同時多発テロ事件をきっかけに、日米の平和運動にとりくみはじめました。そして、ニューヨークで起きた9・11事件のビデオを上映し、マスコミでは報道しない真実を語り、「平和な国をつくるには真実を知ること」を訴えました。
 私たちも、身近なことから取り組み、運動を広げて伝えることが大切だと思いました。集会では「憲法9条と平和と暮らしを守れ」のアピールを採択しました。午後は分科会が開かれ、年金やゴミ問題、介護と平和、健康などのテーマに分かれ、助言者の方とともに学習し、東京の母親が一つになった大会でした。

どけん火災共済で安心安全
お忘れなく家財の保障
1500円で500万円(鉄筋)
 火災共済は1999年に仲間の助け合い制度として発足し、現在東京土建では1万6千件超が加入しています。また439件の罹災した仲間に対して、総額約10億円近い給付をおこない生活再建に役立ってきています。
 火災共済には他の火災保険(共済)にない次のような魅力があります。
組合が直接運営することで下の表のように断然に安い掛け金で大型保障です。
66%以上の罹災で全焼扱いにするなど罹災者の立場を考慮した給付内容になっています。
事務所・作業場、新築・増築中の建物も加入できます。
自然災害、風呂の空焚き、漏水災害の見舞金など幅広く保障します。
 賃貸住宅にお住まいで火災共済に入っていない仲間は少なくないと思います。一般的には火災の復旧には500万円は必要と言われています。賃貸住宅にお住まいの仲間には、年間掛け金1500円で500万円の家財保障(鉄筋住宅の場合)での加入をお勧めします。
 加入の手続きは簡単です。支部事務所あるいはどけん共済会(Tel03‐3379‐1422)にお問い合わせください。
雷の被災で給付
やはり助け合いの組合
【葛飾・折笠和子記】
残暑もきびしい9月、バリバリバリとものすごい音の雷。電気系統がやられ、風呂やクーラー、パソコンも駄目、テレビも被害を受けました。
 駄目とは思いつつ組合事務所に電話をしてみたら、「大丈夫ですよ」とあっさり言われ、驚きとともに安堵しました。雷の被害を補償してくれる『どけん火災共済』とはすごい。掛金は安いのに、やっぱり助け合いの土建だなーと感謝の気持ちが湧き、組合に対していっそう親近感を持ちました。みんなにも勧めたい『どけん火災共済』です。

小金井国分寺 西多摩
仲間の作品展
力作ずらり
 小金井国分寺支部は11月16日から18日まで第5回仲間の作品展を開催。作品は俳句、写真に限らず木工や竹細工、油絵、丹精こめた植物などさまざま。仕事とは別の繊細な職人技。仲間の結びつきに役だっています。
 西多摩支部は12月16日から「西多摩文化祭」を開催しました。「趣味人ぞろいの西多摩から文化を発信」と力がはいっています。

前進座・嵐圭史
「技と情」に襟を正す
「五重塔」講演成功に感謝
 昨年の『五重塔』公演につきましては、東京土建の皆様には大きなご支援を賜り、大成功を収めさせていただきました。新年のご挨拶とともに御礼申し上げます。
 このたびの『五重塔』上演では、思いもよらず“のっそり十兵衛”を演じることになりましたが、この役を取くむ中で、いろいろと感じることがありました。とりわけ“技”への究極の挑戦、それが純粋であればあるほど、それはエゴイズムと紙一重でもあるわけで、のっそり十兵衛はまさにそうした典型の職人だったと言えましょう。もし、そこに川越の源太親方の厚い“情”がなかったら、十兵衛はひょっとして、人の道を知らぬままの人間に成り下がっていたかもしれない…。
 この“技”と“情”の整合性は、個人や集団(組織)の在り方を考えた時、何時いかなる状況下にあっても決しておろそかにできぬ事柄と、ちょっと襟を正さずにはいられない思いでおります。
 貴組合のさらなる前進と私ども前進座との深い絆がさらに育っていきますことを合せて願うしだいでございます。
3228人が感激
浜崎さん
 厚生文化部主催の劇団前進座公演「五重塔」は、11月13日の前進座劇場から12月6日“北とぴあ”まで7会場、10ステージの公演を行ない、各支部とブロック単位でとりくんでいただきまして、成功裏に終了することができました。
 全体では、目標を上回るとりくみとなり、3228人の仲間が観劇しました。この間は、9月からの自動車共済見積り運動、秋の組合員拡大月間、そしてどけん火災共済加入促進月間と重要課題をとりくむ中で進められました。
 観劇した仲間からは「良かった」、「劇場を出る時は涙が止まらなかった」と多くの仲間が改めて職人の世界と生き方に感動の声を寄せています。生の舞台の醍醐味を堪能し、感動を共有できたと思います。本当にありがとうございました。
本部厚生文化部長 清水 正彦

世界スーパー・フライ級チャンピォン徳山昌守選手
「V字」王座奪回からさらなる前進へ
自分の可能性信じて
1回KO負けの屈辱はらす
 昨年秋、東京土建は「V字回復」のスローガンのとおり、一時は11万台に減少した組織を立て直し、史上最高の12万5000人の峰を達成しました。それより一足先の7月18日に組合員でもある徳山昌守選手(本名・洪昌守)は川島勝重選手に完勝して、前年6月に失ったプロボクシング世界スーパー・フライ級王座を奪回、みごとな「V字回復」をなしとげました。徳山選手に王座奪回までの歩みと、今後の抱負をうかがいました。
 徳山選手は94年にプロボクサーとしてデビュー、00年8月に無敗のチャンピオン チョ・インジュを下して、WBC世界スーパー・フライ級の王座に着きました。以降、エリートのハードパンチャー名護、敵地ソウルでのチョ・インジュとの再戦、粘りのファイターのぺニャロサ、テクニシャンのキリロフなどを撃破、04年1月までの4年間8回連続防衛を積み重ねてきました。ところが04年6月、7度目の防衛戦で圧倒した川島選手にまさかの1ラウンドKO負けを喫してしまいまし
た。
2月のナバーロ戦へ燃える徳山選手

精神的に疲れきり王座失う
徳山選手「今思うと、4年間タイトルを守ってきて精神的に疲れきっていました。負けて、これでおしまい、と解放感すらありました」。
 年齢も30歳、しばらくは練習もせず引退モードの毎日を送りましたが、まだからだと心の底にくすぶるものがありました。
徳山選手「日がたつにつれて自分は本当に全力で戦ったのだろうかと疑問がわいてきました。答えはノーです。あの試合は心身とも不完全燃焼だった。そんな試合を最後に引退したら、将来自分の子どもにチャンピオンだったと胸を張っていえない。負けたのは神様がぼくにそこからはい上がってこい、そうすればもっとすごい男になれるぞと、与えてくれた試練だと思ったのです」。
 血のにじむようなトレーニングをこなし、心身ともリベンジにかけました。しかし、この徳山・川島戦をNHKがドキュメンタリー番組にしましたが『天才徳山対努力の川島』というトーンで描かれていました。

限界まで自分を追いこんだ
徳山選手「あれは違和感がありました。あの試合の前は限界まで自分を鍛え、追い込みました。試合終了と同時に勝ったと確信しながら、勝者コールまでは、ドキドキでした。実はタイトルを奪回して、その場で引退表明するつもりでしたから」。
 しかし、徳山選手は戦い続けることを選択し、2月27日に指名挑戦者技巧派サウスポーのナバーロとのタイトルマッチを行ないます。そして、この一戦でスーパー・フライ級からは「卒業」します。
徳山選手「引退をやめたのは川島戦に向けたトレーニングの中で、ひとつ壁を抜け、まだ向上する可能性がある自分に気がついたからです。僕は酒好きで、馬鹿なこともしますけれど、人間は努力すれば何でもできる、努力は決して裏切らないことを知っています。どん底をしって人間としても強くなりました」。
 ボクシングの良さは苦しさに耐えた後の達成感とも語る徳山選手、「5字回復」から、つぎの目標へ走り続けます。