「週刊金曜日」発行人 北村肇
「週刊金曜日」発行人の北村肇さんに、マスメディアの腐敗ぶりと、これとたたかうジャーナリズムとは何かについてお聞きした東京土建通信員総会(11月13日)での講演の一部を紹介します。(文責・編集部)
冷めた報道と紙面作り
圧力かけられたマスメディア
5・3憲法集会
TPPを批准させない!10・15中央集会
この間の参院選挙の時、テレビ報道の量が圧倒的に前から比べると減っていました。トータルすると30%減になっています。3分の2の議席をもし改憲派がとったら憲法が変えられるかもしれなというような極めて重要な選挙の時に、報道量が減るということは普通はあり得ません。
新聞も同じようなものでした。僕が29年間、毎日新聞にいて、社会部で選挙にずいぶん関わった報道をしてきましたが、こんなに冷めた紙面づくりというのは国政選挙でないですよ。それぐらいにひどかった。
憲法が重要なのだというトーンのキャンペーンもまずなかった。テレビはもちろんのこと、新聞も。明らかに報道から逃げた。新聞は政治部の記者と話をしていると分かります。「面倒くさい」ということなのです。
そんなことを言っていたら、新聞、メディアではないです。安倍政権の圧力というのは実はじんわりと本当に効いてしまって、だから直接の圧力がなくてもそうやって、圧力がかかるかもしれないから、そうすると面倒だからという雰囲気が、新聞もテレビもできてしまったことは事実です。誠にこれは由ゆしき問題です。
今、マスメディアの現場では、自分たちは中立で行こうということが言われています。「中立で行こう」というと、それ自体が何か正しいことのように思えますが、ジャーナリストが中立であるということはあり得ません。
ジャーナリズムは弱者の側に
権力というものにはいろいろあります。政治権力もあるしゼネコンのような権力もある。そういう権力はものすごい力を持っている。お金もたくさんある、権威もある。まして政治権力などはすごい力を持っています。私たち市民はそんな力を持っていません。その時にジャーナリズムというのはどこにいるのかというと、力のない市民の側に立つからジャーナリズムなのです。もし、真ん中に立ったら、権力の思うがままになるではないですか。
安倍さんの言っていることと市民の言っていることとどちらが正しいか、真ん中に立ちましょうと言ったら、いつも安倍さんが正しいことになってしまいます。それは駄目です。
だから、ジャーナリズムというのはいつも弱者の側に立つ。そこで初めて中立です。そのうえで判断をして、これは政府の言うことが正しいということは、もちろん、場合によっては出てきます。しかし常に、弱者の側に立って中立です。高江・辺野古に行ったら、機動隊の側に立ってはいけません。民の側に立って、そこで初めて中立になります。ところが今の新聞・テレビの中立というのはそういうことではない。真ん中に立ちましょう、だから必ず権力の都合のいいふうに報じることになります。
字数合わせて中立か
安倍政権に都合よい報道
今年の5月3日、有明の憲法の集会に5万人くらいの人がいました。大変大規模な集会になりました。その日、平河町の砂防会館では、櫻井よしこさんなどが講演した改憲派の集まりがありました。参加人数は1100人です。
しかも、この砂防会館の集まりのほうは安倍政権寄りの集まりですから、では僕が例えば新聞記者だとしたらどういう立ち位置で書くか。簡単ですねこれは。5万人集会のことだけを書きます。
毎日新聞の記事では護憲派の集会のことだけを書いてある。当然です。朝日新聞では前文で、両方、いろいろな集会があったと、本文が東京有明のうんぬんと書いてあって、護憲派の集会の記事が22行。改憲派のほうの記事が22行。お分かりですか。今の朝日新聞は22行ずつ、これこそ中立だと言っているのです。
これが中立ですか。こんなものが中立だったら、日びの報道が全部安倍政権にいいことになります。読売新聞ははっきりしています。改憲派のほうが16行。5万人集会が10行。人数すら載せていない。これは逆に中立を超えて、自民党の機関紙です。いい機関紙と悪い機関紙があります。
残念ながら、昨今のマスメディアの中立というのはこの朝日の記事が示しているとおりです。だから現場の記者たちの不満はすごい。
例えばTPP。現場の人からすればあんなもの賛成なんかあり得ない。TPPの紙面を作ると、反対派の声はたくさん集まる。それで記事を書く。必ずデスクから「賛成派のも取って来い」と言われるから、これは探さないといない、それでも取ってこなければいけないと。
「これは一体私たちの仕事ですか」。そういう不満が、まっとうな若い記者の間からがんがん出ています。無理やりでも取って来いというわけです。こういうことは安倍政権のメディアに対する圧力が効いてしまっているということです。
日本のメディアはガタガタ
では日本のこういう状況が海外からどう見られているのか。デービット・ケイさんという国連の特別報告者が、特定秘密法などができて、どうも日本のメディアが国家権力の圧力を受けているのではないかという疑念があるために調査に来ました。総務大臣の高市さんは逃げてしまい聴取に応じていませんが、彼はいろいろな関係者に事情を聴き報告書をまとめました。そこにはもう日本のメディアはガタガタと書かれています。
特にデービットさんが驚いたのは政治部関係の記者にちょっと話を聞かせてくださいと言ったら、全員が「自分の名前を出さないでくれ」と言った。こういう国は先進国の中ではないと言って驚いていました。
つまり欧米の記者は自立しているので、堂どうと名前を出して答えるわけですが、日本は上に何を言われるか分からないから匿名にしてくれ。そのこと自体がいまの日本のマスメディアの状況を本当にはっきりと示しています。
まっとうな記者はいる
市民の力でマスコミ開眼
ジャーナリストの仕事は権力の監視と批判。これで7割、8割、そういう仕事です。権力を監視して批判しないといけない。若い人だとか記者希望の人達には言います。格好いいでしょうと、格好よくないですかと。力の強いいじめっ子が弱い人をいじめていて、それを助ける。こんな格好いいことないと。こういう仕事でしょう。
先だって山形県で講演を頼まれて行ったら、山形大学の学生さんが来ていて、戦争法反対のいろいろな学習会とかやっているのだけれども、なかなかみんな来てくれない。それは男性でしたが、「全然誰も来てくれない」と言うから、「何を言っている」と。君のやっていることはものすごく格好いい。胸を張りなさい。こんな悪さをしている力の強いものに、自分たちは力がないけれども立ち向かう。これは社会のためだと、こんな格好いいことはないのだから、「もっと胸張ってやれ」と言ったら、「そうですね」と目をキラキラさせました。
だから、そういうことだと僕は思っているよということを若い人に言うのです。われわれの仕事は格好いいのだから、がんばってやろうよ。機関紙も格好いいです。大変ですけれども。
「市民の力でマスコミを開眼させましょう」と、何度でも言うように、メディア全体が駄目になっているが、まっとうな記者はたくさんいますから、そういう人たちを私たちが助けなければいけない。やり方は簡単です。「この記事、いいですね」というのをたくさん投書とかメールで送ることです、社長宛に。社長宛に送らないと効果がありません。
それからNHKの場合には100本クレームが来るとその番組を何とかしようと考えるそうです。ですから、「これはおかしい」というのをメールでも電話でもいいから送る。100という数字は必ず動く数字だと言っています。
そういうことをやってマスコミに私たちも関与する。そして今度私たちは自分たちでメディアを作る、発信する側ですから、私たちが事実と真実をもって、言葉の力で戦っていくということです。なんだかんだ言っても言葉は強い。何ものにも負けませんからそれでいきましょう。