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○ シャコ貝が伝える戦争

球場でなく戦場に散った野球部員

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亀井洋二さん 世田谷の自宅にて

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幅85センチ奥45センチ高さ45センチ重量は20キロ

 7月1日から30日まで福沢諭吉慶應義塾史・新収資料展が慶応大学三田キャンパス図書館新館で開催されました。展示品は慶應義塾創立者福沢諭吉と慶應義塾の歴史に関する有形資料のうち、戦争プロジェクト収集資料の中にハワイから持ち帰ったという大きなシャコ貝が話題を呼び東京新聞で記事になりました。
 寄贈者は、慶応大法学部亀井源太郎教授です。教授の叔父にあたる亀井洋二さんにお話をうかがいました。
 亀井源太郎教授が資料展に寄贈したものは、洋二さんの父、常蔵さんに向けて、戦地に赴いた学生からの書簡とシャコ貝です。洋二さんと兄の淳さんが暮らした家は自由が丘にありました。

父の記憶は兄の話から

 2009年兄の淳さんが亡くなります。お兄さん最後の病床で息子の源太郎さんにシャコ貝の話を伝え、源太郎さんが家を探し見つけ出したのです。事はそこから始まり、洋二さんに伝わります。
 話を聞くなり、昔の記憶を思い出したそうです。
 【亀井洋二さん談】
 私の父常蔵は、地方から学生が出てくると飯を食わせたりと世話をしていましたね。
「ハワイに行った野球部員の2人は同じ中学出身の後輩だ」と言ってましたから、野球部の生徒にも施しをしたのでしょう。想像ですが、シャコ貝を持ち帰った学生は父を驚かせようと20キロもするこの貝を選んだのでしょう。
 1940年に野球部長石丸重治さんの記録文献では、「6月29日部長、監督、マネージャー、選手15人、日本郵船『龍田丸』でハワイへ出発、7月7日にホノルル着。ほぼ1カ月滞在、現地チームと12試合対戦した」とある。ハワイに行くには大金が必要だし、予科の有志から援助をうけたのだろう。そのなかに父、常蔵もいたのだろう。このハワイ遠征から16カ月後日本軍による真珠湾攻撃がはじまり、思えば遠征帰りの野球部員は球場に行くべきなのに戦場に行って命を落としたわけです。シャコ貝と一緒に持って帰ってきたのは「希望」だったと想うとやりきれません。

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