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○ 焼け出され栃木へ/東京大空襲に遭った加藤さん

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台東区石浜小学校の前の加藤さん
空襲にあう前この付近で暮らしていた

 【足立・大工・加藤隆己記】今から71年前。1945年3月10日、東京大空襲によって東京の下町が焼きつくされました。10万余名の生命が失われました。
 私は7歳で、現在の台東区石浜小学校の近くに住んでいました。
 父は軍人で外地にいっていましたので、母と長男の私と姉妹の4人暮らしでした。当時でも家には電気・ガス・水道があり、便所も水洗でした。庭には父の作った防空壕がありました。
 家を焼け出された私たち家族は、着のみ着のまま、とりあえず母の実家である、栃木県益子に行きましたが、つらく悲しい日びの始まりでした。

物置で寝起きする日び

 母の実家も私たちの世話する余裕は有りません。とりあえず物置のすみの土間の上に板を並べて、畳はなくワラで編んだむしろを敷き、しばらく暮らしていました。
 電気はなく、当然ラジオも時計もありませんし、食べるものは、ようやく生きていけるぐらいを恵んでもらっていました。
 井戸水をもらい、食器などはほとんど洗えません。石鹸もなく着るものは水で洗ったまま干して、下着にはしらみがつき、血を吸われました。
 庭の片隅に流れていた“小川”で顔を洗い、ハブラシなどもないので指で歯をこすってすませました。
 風呂はときどき入らせてもらいましたが、便所は土のカメを埋めて、足の踏み板が2枚だけ。すべり落ちるのを心配しながら用を足していました。
 学校は3月いっぱい休校で、3年生になって地元・益子の小学校に入学しました。教科書も買えないので従兄弟に借りましたが、学校では「疎開っ子」などと言われ、いじめられてずい分泣きました。
 今でも世界ではさまざまな軍事紛争が頻発していますし、日本では原発事故や自然災害なども起こり、世界中で自分の家に住めない人が大勢います。人間が平和で暮らせる社会、命が大切にされる社会をめざして、がんばる時です。

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