独協大学教授 右埼正博
あめとムチの戦略で
意に沿わぬ意見は排除する
2月19日に開催されたシニア友の会第15回定期総会での右崎正博独協大学教授の講演、「安倍政権によるメディアへの介入とその問題点」の大要を紹介します。
第2次安倍政権にいたり、メディアや市民の言論・表現活動に対する政権や与党による介入事例が非常に多発しています。その特徴は政権や与党の意向に沿わない異なった意見を排除する、あるいは異論に対する不寛容さにあります。その実態の一部を明らかにするとともに、そのような介入が持つ法的、ないし憲法上の問題点を検討していきます。
はじめに安倍政権下でのメディアへの介入事例として挙げるのは、2014年2月23日付の沖縄の「琉球新報」が石垣市の2カ所が陸上自衛隊の部隊の配備先として予定されているという記事です。その日がたまたま石垣市長選挙の公示日であったこともあり、政府はその報道に対し猛烈な抗議をしました。誤報であるとし、琉球新報に強く抗議するとともに、日本新聞協会に対しても抗議書を送付したりしていました。
ところが昨年11月、中谷防衛大臣が実は石垣島について陸上自衛隊の配備を検討中であるという事実を発表しています。今年の1月には糸数慶子参議院議員が石垣島への自衛隊配備の問題に関して政府に対し質問書を提出しています。それに対して安倍首相が答えていますが、南西地域の防衛態勢強化の検討を進める中で石垣島を自衛隊の部隊の配置先の有力な候補地と考えていたことから、同島内で現地調査を実施し、その結果等を踏まえ同島における自衛隊の部隊の配置先等についての結論を得たといったような回答をしています。そうであれば琉球新報の記事は誤報ではなく、実は真実を伝えていたことになります。ところが政府側はその報道がなされたときにはまだ検討していなかったという屁理屈をのべるわけです。
「公正中立」を名目にし威圧
2014年11月18日、総選挙を前にし、TBSの「NEWS23」に安倍首相が出演していますが、その際にはアベノミクスをどう評価するかという街頭インタビューでの市民の声の取りあげ方について「皆さん選んでいると思いますよ」と発言し、TBSが意図的な編集をしたのではないかと批判しました。その後自民党はNHKと民放5局に選挙報道の公正中立を要請する文書を送付し、テレビ朝日の「報道ステーション」には特に公平中立を求める文書を送付しています。このようなできごとは前代未聞です。
ところが2015年9月14日、安保法制関連法案が最終段階に達し、まさに国会の前には連日多くの人たちが集まり反対の声をあげている中で、安倍首相が大阪までわざわざ出かけて行き読売テレビのバラエティ番組に出演しました。そのことについて問われた安倍首相は「安全保障関連法案を国民にしっかり説明するためだ」といったようないい方をしています。自分にとって都合のいいところには出かけて行き、都合の悪いところには苦情をいうというスタンスなのです。
安倍応援団が圧力
キャスター名ざし批判
昨年の暮れ、産経新聞の11月14日付、および読売新聞の11月15日付の紙面にTBSの「NEWS23」のキャスター岸井成格さんの発言を放送法4条違反として非難する意見広告が「放送法遵守を求める視聴者の会」を名乗り掲載されています。この視聴者の会の呼びかけ人の顔ぶれを見ると、やはり皆さん安倍総理の友だちです。安倍応援団がこういう意見広告を出し、個別の報道番組に対し圧力をかけ、しかもキャスターを名ざしで批判するということも今まではおそらくなかったことです。
その結果だと思われますが、テレビ朝日の「報道ステーション」の古舘伊知郎さん、NHKの「クローズアップ現代」の国谷裕子さん、TBSの「NEWS23」の岸井成格さんの3人が3月末で交代するということがあいついで報じられています。
安倍政権のこのような報道に対する介入事例の背後にあるメディア戦略のひとつはあめとムチの戦略です。自分にとって好意的なメディアには何回も登場し、他方で自分にとって批判的なメディアには一切顔を出さない。中でも読売新聞・日本テレビ系列には好んで安倍首相は出演するのです。
そういう一部メディアとの政権の親密ぶりをシンボリックに示すできごとが読売新聞グループ本社代表取締役会長兼主筆の渡邊恒雄氏の「特定秘密保護法」の下に設けられた「情報保全諮問会議」の座長就任です。報道機関の最高責任者が防衛・外交などに関連する一定の情報について、特定秘密として報道機関や国民のアクセスを制限する法律の旗振り役を務めるのは、国民のしる権利に奉仕すべき報道機関の役割から見て、まさにブラック・ユーモアです。さらにNHKに対する政治的介入がさまざまな形でこの間行なわれていることは皆さんも耳にされていると思います。
政府は番組を監視
憲法無視の高市総務相発言
この間に放送法4条にいう公平・公正の意味をめぐり、高市総務大臣の答弁が大きく報道の中で取り上げられています。
放送法は憲法21条の表現の自由の保障を受け放送法1条で放送を公共の福祉に適合するようにその健全な発達を図ることを目的とするとされています。第2項では「放送の不偏不党、真実および自律を保障することによって放送による表現の自由を保障すること」とのべています。
それを受け3条の規定が放送番組編集の自由をうたっており、その上で放送法4条に関する国内放送等の放送番組編集等についての基準が置かれています。
この4条の規定はこれまで学者の間では放送局が自主的に守るべき基準を示した規定であろうと、ある種の倫理的な規定と解釈をしていました。そうでなければ放送番組の編集の自由やその根底にある放送による表現の自由ということが確保できなくなってしまうからです。
ところが高市総務大臣がこの4条に違反するような事実があった場合には、電波法76条に基づき電波の停止、あるいは制限を認めるといういわば強行的な規定であると読んでいるということなのです。
ところが放送法4条をそのような強制力をもつ規定であると考えると、憲法21条に基礎を置く表現の自由、それから発生して出てくる放送番組編集の自由はどこかに飛んでしまうことになるでしょう。
高市総務大臣は「いちいち一つ一つの番組を見なければ全体として公平性に欠けていると判断できないのではないか。だから一つ一つの番組を見るのです」といったような発言をくり返しています。この発言は一つ一つの番組を政府は監視する権限を持っているのだというそういういい方とイコールだと思うのです。
そうであるとすれば、これは表現の自由とは完全に逆のことを言っています。憲法21条による表現の自由は、政府による制限や圧力を受けず人びとが自由にものをいうことができるという、こういう自由の保障があるわけです。それはどの放送局の場合も同じです。
ただ、放送事業者は電波を使って事業を展開しています。この電波は放送事業者の私物ではなく国民共有の財産なのです。それを借りて事業を行なっています。人びとが勝手に放送局をでっちあげて始めるということになると電波が混線し、およそ放送が成り立たなくなってしまいます。だからそれを交通整理しなければいけません。その交通整理の役割を政府がもっともよくになえるのではないかとも思われるのですが、だからといって政府がいちいち番組内容まで口出しをしていいということにはならないのです。