ジャーナリスト 布施祐仁
東京電力福島第一原発では事故収束のための作業が続けられています。「イチエフ」と呼ばれる苛酷な現場で奮闘する労働者の実態を、事故後から取材を続けているジャーナリストの布施祐仁さんに寄稿していただきました。
1年で倍増し7千人
汚染水対策など工事量増加
2015年10月に完成した海側遮水壁
(東京電力提供)
あの事故から、まもなく5年が経つ。
時とともに世の中の関心は薄れつつあるように感じるが、事故現場で働く労働者の数は逆にふえている。現在、同原発で事故収束作業に当たる労働者は約7000人で、この1年間で倍増している。労働者が急増したのは、汚染水対策などで工事量が増加したためだ。
10月26日には、「海側遮水壁」が3年以上にわたる大工事を経て完成した。鋼管594本を護岸に沿って約780メートルにわたり打ち込んで造った「鉄の壁」で、汚染された地下水が海に流出するのを食い止める。
このように、現場の労働者の奮闘で事故収束作業は一歩一歩前進している。一方、その裏で、けっして小さくない犠牲が生じていることも忘れてはならない。
ふえる労働災害
現場変えた死亡事故
労働災害の発生件数は、文字通りの緊急作業であった2011年度の59件は別として、現場が少し落着いた翌年度以降、25件(12年度)→32件(13年度)→64件(14年度)と年を追うごとにふえていった。2015年1月には、汚染水を貯めるタンクの検査に立ち会っていた50代のゼネコン社員が、高さ約10メートルのタンク天板部から落下して死亡した。
結果的には、この死亡事故が東電の姿勢を変えさせた。それまでの東電は、(1)安全より工程(スピード)優先(2)安全対策は元請まかせ(3)発注はとにかくコストカット――であった。これが労働災害多発の原因でもあったのだが、そのことをかたくなに認めようとしなかった。
しかし、この死亡事故を受けて、ようやく認めた。そして、(1)スピードより安全優先(2)東電と元請が一体となった安全管理体制の強化(3)作業員の被ばく低減や安全対策もコストに盛り込んだ発注――に大きく舵を切り替えた。
安全管理は強化されたが
事故の1年目から作業している労働者数人に、実際に現場は変わったかときいてみたが、「工程に追われている感覚は減った」「『できないものはできない』という現場の意見が通じるようになった」「『ルール、ルール』と安全管理はきびしすぎるくらい」といった答えが返ってきた。
事故発生直後から取材を続けている身としては、東電の変化は「大きな前進」だと感じるが、冷静に考えれば「4年目にしてようやく当然の姿勢になった」といった方が適切かもしれない。
ベテランに重い負担が
夜間、凍土遮水壁の作業を行なう作業員ら
(東京電力提供)
事故収束作業は一歩一歩前進しているが、ゴールである廃炉までの道のりは果てしなく長い。
いまだにメルトダウンした核燃料がどこにあるかも判明しておらず、それがわかっても安全に取り出す技術はこれから開発しなければならない。政府と東電の計画では30~40年で廃炉まで持っていくとしているが、それで済む保証はどこにもない。
そこで重要になるのが、継続的に作業をになう人材の確保である。とりわけ、作業の中核をになうベテラン作業員の確保がきわめて重要であるが、現在、そのベテラン作業員が次次と辞めている状況である。
ベテラン作業員が減り、経験のない素人の作業員ばかりがふえる。それによってベテラン作業員にのしかかる負担は増大するばかりだ。
事故発生直後から汚染水処理にたずさわってきたあるベテラン作業員は、次のように嘆く。
「下の業者はイチエフ(福島第一原発の呼称)に作業員を入れればお金になるので、ろくに教育もせずにボルトやスパナの使い方もしらないような素人をいきなり現場に出してくる。班長も監督も(素人の作業員の)人数が多すぎて面倒をみきれないし、結果やっつけ仕事にならざるを得ない。これで事故収束や廃炉なんてできるのかな、と思う」
「みんな、『もう疲れたよ』『普通の生活がしたい』といって辞めていく。人が減っているのに仕事はふえる。それでもみんながんばるけど、限界を超えてまた辞めていく。それで残った人の仕事がさらにふえて、辞める人もふえるという悪循環。身を削ってがんばってもボーナスは減る一方だし、何の見返りもない。これでは、やりがいなんてない」。
「何の見返りもない」
言葉を重く受け止めて
こんな状況でも辞めずに働き続けているのは「家族を支えていかなければならないという気持と、ここが地元だから」だという。「もう帰れないかもしれないけど、やっぱり故郷は故郷。そこが今後どうなっていくのか見届けたいという気持があります」。
多くの犠牲の上で、東電はようやく労働者の安全管理や労働環境の改善に本腰を入れ始めた。
付け加えるなら、東電が行なった労働者へのアンケートで本人と家族ともに「不安なこと」のトップであった「被ばくによる健康への影響」に関しても、労働者が後顧の憂いなく働ける環境を整備する必要がある。2015年10月、事故収束作業に従事した労働者では初めて、白血病になった40代の男性が放射線被ばくによる労働災害に認定された。今後は白血病だけでなく、その他のがんなどでも、「労働者補償」の観点から幅広い救済がなされることを求めたい。
最後に、もう一つ。
「何の見返りもない。やりがいなんてない」と語りながら、「ここが地元だから。もう帰れないかもしれないけど、故郷は故郷」といってきびしい現場で働き続ける先のベテラン作業員の言葉を、重く受け止めたい。こういう人たちによって、この5年間イチエフの現場は支えられてきたし、これからも支えられていくだろう。
彼らに「何の見返りもない」などといわせないために、私たちには何ができるだろうか。
除染労働者も悲鳴
・○○市で労働者7人いる3次下請の経営者。2次の社長に工事代金と必要経費を請求したらいきなり暴力をふるわれ、入院した。労基署は民民業者間の契約問題だから扱えないという。
・○○村(国直轄)の除染の仕事がすぐなくホテルに7泊。その後、隣県の寮に移った。10月は3日間働いたが、賃金は「引く方が多い」といわれ払われず。11月分は1万2000円が振り込まれただけ。
・○○市の除染。3カ月働いて「やめたい」といったら「やめさせない」といわれた。「無理やりやめた人には損害賠償を請求した」といっている。社長の上半身に入れ墨があるのを見せられた。
・○○村(国直轄)の除染。2次下請。作業中に穴に落ちた。医師に労災の話をされ、親方は「10割払う」というが未だに支払われていない。親方が来て「診断書を出せば労災になるから出せない。労災になると仕事が全部止まる」といわれた。診断書を親方が破り捨てたのを見た人がいる。
*福島県労連・労働相談センターへ相談のあった事例。交渉し一定の解決をみたケースもあり。
福島切り捨てるな
誰もが当事者になりうる/東村山 齋藤さん
東村山支部の齋藤正裕さんは「原発なくそう東村山の会」(以下、東村山の会)の世話人の一人として活動しています。
齋藤さんが原発の「安全性」に疑問を抱いたのは2010年12月ごろ。たまたまインターネットを見ていて、配管関係元技術者が原発の危険性を書いたコラムを読んだことからです。
東日本大震災の後は、急速に「原発をなくせ」の世論が高まる中、東村山の会を立ち上げ、宣伝行動、市民パレード、福島復興支援バスツアー、映画『日本の原発』の上映会などを精力的に取り組んできました。2015年11月にも飯館村などを訪問した齋藤さんは「現地を訪れると、国が福島切り捨てにかかっていると思えてなりません」といきどおります。「福島被災者や原発の報道も少なくなり、記憶の風化が心配です。全国にこれだけ多くの原発があって、事故があれば誰もが当事者になりうることを考えてほしい」と話しています。