テレビ放送は今年で62年。これまで放送されてきた膨大な番組の中から、もう一度みたい番組を仲間に書いてもらいました。2147号につづく第2弾です。
科学、物理に興味
「世にも不思議な物語」
【台東・看板・今井彰通信員】たぶん40年くらい前だったと思います。「世にも不思議な物語」というタイトルでした。日本より外国のことの方が多くあつかわれていたようです。
世の中には本当に不思議なことがあるものだと感心しました。あの番組の影響なのでしょうか、今も科学とか物理、UFO等をあつかう番組を好んで観ています。「世界ふしぎ発見」も観ていますが、ちょっと物足りない感じです。
こう書きながら、どんな内容であったかと思い返してみるのですが、はっきりとはおぼえていません。これから先に起こることが予言めいて事前に何度も起こったとか、現在では継承されていない工業技術だったりとか、そんな内容だったと思います。
アニメも報道番組も
今は長く見ると翌朝つらい
【台東・塗装・遠藤顕寛通信員】生身の人間が出演の「鉄腕アトム」、アニメも見たい。時代劇では「隠密剣士(大瀬康一)」、「忍びの者(品川隆二)」、NHKの特派員報告、NHKスペシャル、ドキュメンタリー、特に薬害患者の一つ、サリドマイド被害者の映像、証言などが当時強烈だった。
チェルノブイリからの報告も衝撃的だった。当時の日本の原発立地地域に住んでいる人は暗い予感があったと思う。(原発の型が違っているにしても)
現在はなくなった映画番組も若い時から楽しみだった。私もいつまでも若くなく、ここ数年テレビを長く見ると、次の朝がかなりつらいので選ぶようにしている。
話を広げれば、数多くのタレントと称される人たちの健康保険が気になって仕方がない。時代の流れなのかスポンサー企業もはっきりした記憶がないが、随分変わった。
家族全員が車座で
カッコいい「七人の刑事」
【八王子・主婦・小林八州美通信員】「七人の刑事」。とにかく7人ともカッコよかった。特に芦田伸介は渋くて、声がよくて、すっかりおまわりさんのイメージが変った作品だ。
1時間で陰惨な事件が解決していく。家族がみんなで車座になって、同じテレビを見ていた。人間模様と社会性の高さがあったのではないか。
今はケータイでもテレビ番組が見られるし、録画もあるから、朝ドラがゆいいつ見始めたら毎日みたくなるだけ。一週間待ち遠しくなるテレビドラマが少なくなってしまったのではないか。チャンネルの権利でケンカすることもなくなってしまった。
原発政策鋭くついた
NHKのドキュメンタリー
【八王子・書記・伊藤仁通信員】福島原発事故とそこに至る日本の原発政策を追ったドキュメント「原子力政策研究会100時間の証言」(NHK)は、地上波放送におけるドキュメンタリーの一つの峰を築いた番組でした。
番組冒頭は、福島原発の警戒区域に取材車両が到着するところから始まります。車窓から見える建屋は爆発で屋根が吹き飛び、事故のすさまじさを物語っています。
悲惨な事故はなぜ起きたのか、番組の視聴者の疑問に寄り添い、日本の原発政策をひも解いていきます。戦後、国は高度経済成長と冷戦構造下で日本原連を立ち上げ、原発推進政策を推進してきました。
番組を立ち上げた当時の会合を記録した音声テープにたどり着きます。安全問題を矮小化し、無責任な原発政策をつぎつぎと決めていく参加者たち。
見る者に真実を突きつけるこのような番組を、籾井勝人NHK会長がいる限りは、再び見ることはできないでしょう。
迫真の殺陣に感動─子連れ狼
【板橋・内装・成瀬晃一通信員】昭和40年代、白黒ブラウン管テレビはやっと庶民の手の届く値段になり、立派な布のカバーが掛けられ、応接間のシンボルとして大変貴重なものだった。子どもたちは親の許しを得た上でテレビに一礼し、見終ったら拍手したのである。
当時、「忍者サスケ」、「カムイ外伝」などといった白土三平のテレビ漫画時代劇が人気で、子ども向けの番組のはずが流血シーンや拷問等の残虐な場面も印象深く描かれていた。恨み、妬み、かけ引き等、裏社会で生きてゆくことのきびしさをしることになった。
「子連れ狼」の放送が始まると学校中で話題になっていった。柳生一族に一家を滅ぼされた拝一刀は子、大五郎と刺客として冥府魔道(めいふまどう)の旅にでるが、先ざきで襲撃を受ける。
萬屋錦之介の迫真の殺陣(たて)の演技はすばらしくまた見たいものである。差別用語や放送禁止用語が数多く使われている昔の時代劇は再放送はむずかしいといえる。
小学生時代に弟と
世にも怪奇な「ウルトラQ」
【葛飾・書記・加藤光一通信員】子どものころといわれても、もうはるかかなたのことなのでピンと来ないのですが、あえてあげるならば「ウルトラQ」(円谷プロダクション制作)でしょうか。
今でいうなら「世にも怪奇な物語」といったところでしょうが、時代が時代、特撮といっても今見たらかなりちせつではあります。オープニングの何ともいえない怪奇的なテーマ曲、宇宙のことや怪獣が出てきたりしました。カネゴンの回の時には、子どもながらにお金って魅力的であるが、怖いものであるという気持を持ったものです。
小学生でわけもわからず弟と2人で見ていましたが、たぶんDVDをレンタルするか購入すればまた見られると思います。問題はあのころのような純真な気持で見られるかどうか?そちらの方が心配です。
小学校まで走った
東京五輪アベベに魅せられ
【清瀬久留米・畳・阿部史夫通信員】57歳の私。テレビは東京オリンピックの時、7歳、小学校1年です。誰もがテレビには夢中になりました。あれもこれもと思い出すけれど、東京オリンピックの時のマラソンは忘れられません。
優勝したのはエチオピアのアベベ・ビキラ。私は「あべ」。からかわれたものです。でもそんなことより、マラソンを初めてしり、42.195キロメートルを2時間11分で走ってしまうことへの驚きでした。
「大人になったら僕も走れるだろうか」と思い、学校までの約1キロメートルを走ったのを思い出します。
それ以降、マラソンのテレビ中継は好んで見るようになりました。駅伝も大好きで、今年初めて箱根の応援に行きました。でも選手はほんの一瞬で走り去ってしまいました。あとはスマホで結果を追うばかり。
マラソン、駅伝はテレビの方がいいかなあ?
「ER緊急救命室」
ぼう大なので今はレンタル
【中野・大工・前田玲子通信員】私は医療系ドラマが大好きです。その中で長年見続けた番組は「ER緊急救命室」。
約20年前くらいからアメリカで放送されたテレビドラマシリーズで、1シーズン22話のものが15シーズンまで続いた人気海外ドラマです。
NHK地上放送で始まり、途中からBS放送になりましたが、一部のファンの間では伝説的な番組です。
物語は1人の医学生がER(救急救命室)にやってきた1日目から一人前の医師になり、やがてHIV専門の病院を作り新たなスタートを切っていくというものです。
シーズンごとに登場人物もいろいろと入れ替わりがあり、また内容も時代ごとにクローズアップされたできごとが反映され、毎回引き込まれて見ていました。
放送ごとに録画して見ていましたが、ぼう大な量なので保存することもできず、どうしても見たい時はレンタルして何度も見ています。
当時は原子力利用に期待も
【西多摩・大工・細渕日出夫通信員】昭和40年代でまだ小学生低学年の時でしたが、私の家ではまだテレビがありませんでした。
小学5年生くらいの時にテレビが入り、その時に見た英国BBC放送の人形劇「サンダーバード」。人形を使ってのテレビ番組はいくつもありましたが、当時では原子力をエネルギーにロケットや飛行機や工作機械を使用して災害現場に行き、人命救助をする国際救助隊の活躍を描いた番組です。
現在、世界各国で原子力や核兵器の話がでていますが、原子力エネルギーの平和利用として、当時はすばらしいことではないかと思いました。
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