明治大学教授 山田 朗
事実を誤認の日露戦争
歴史受け入れ未来の志向を
8月14日、戦後70年を機に出された「安倍談話」を、近現代の軍事史に詳しい明治大学の山田朗教授は「『侵略』などの言葉が入ったかどうかではなく、明治以来の対外膨張主義の歴史をどう認識しているのかを問うべき」と指摘。特に、安倍談話が日露戦争(1904~05年)を高く評価していることを、事実誤認を含めてきびしく批判しています。山田教授が8月16日に行なった講演(研究所テオリア主催)内容を紹介します。
安倍談話についてマスコミはキーワードが入ったかどうかに焦点を当てすぎている。確かに「侵略」などの言葉は入ったが、問題はその使い方だ。
「侵略」は「事変」や「戦争」と並べて言及されており、明らかに変。後から無理やり入れた感じだし、誰による侵略なのかが不明だ。
「植民地支配」に、直接言及しているのは西欧諸国の植民地支配のことであり、日本に関しては間接的でしかない。さらに問題なのは、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人びとを勇気づけました」とのべている部分だ。
朝鮮半島の占有が目的
日露戦争の結果、勇気づけられた人びとがいたのは事実だとしても、日本は彼らを勇気づけようとして戦争を始めたのではない。この戦争の目的は、ロシアが南下してくる前に朝鮮半島を占有すること。1870年代以来の対外膨張主義の延長線上のものだ。
しかも、欧米諸国によるアジア支配を認めるのと引き替えに韓国併合も容認してくれというのが当時の日本のスタンス。日露戦争の戦費も英米からの借金でまかなっていた。とても、列強諸国に対してアジア・アフリカの人びとを「勇気づけた」などといえるものではない。こうした実態は継承されず「勝利感」の錯覚ばかりが、太平洋戦争まで引き継がれていったのである。
軍事同盟の危険性を 過去からの教訓にすべき
当時の日本は日英同盟を結んでいた。この軍事同盟を背景に対外膨張へ走っていった。というのも、英国は当時ロシアと対立していて、ロシア脅威論をあおっていた。日本政府はそうした英国の情報、ものの見方に基づいた情勢判断で戦争に突入していった。
その後にはドイツ、イタリアと三国同盟を結んだ。今は「日米同盟」だが、過去から教訓を得るとすれば、軍事同盟による拘束とその危険性にこそ思いをいたすべきではないか。
私は、日露戦争は韓国併合、大逆事件とセットで見るべきだと考えている。
対外的な膨張主義と、国内的には思想弾圧。この特徴は昭和に入ってもずっと続いていく。昭和時代の失敗の源は、明治時代にあった。明治から1945年までをひと続きと見ることが重要だろう。
次世代への継承が大切
安倍談話のように、日露戦争を評価する歴史の見方では本当の姿は見えてこない。
戦後70年経っても、日本の侵略戦争についての戦後処理は終っていない。という認識が安倍談話には欠如している。そのことがアジア諸国との関係を不正常にしていることを考えるべきではないか。
アジア諸国との対話は忍耐が必要で、しんどいことである。「謝罪」したかどうかが前面に出がちだが、大切なのは責任究明や事実の発掘、継承であり、それは次世代に託されていくものだ。
安倍談話は「あの戦争には何らかかわりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」という。こういう部分は「戦後生まれは関係ない論」として一人歩きしていく恐れがある。「関係ない」といってしまった瞬間から、忘却が始まる。
歴史の中で生きている以上、過去と関係のない人間などいない。言葉で謝罪するかどうかの問題とは別に、過去に起きたことは受け入れざるを得ないし、それを踏まえて未来を志向する必要がある。