独立後に仕事の依頼
認めてもらえてうれしかった
【西東京・内装・白石優通信員】学生時代、ガス工事会社でアルバイトしていた時にお世話になったKさん。現在の職種と異なりますが、私の仕事への姿勢に深く影響を与えた師匠と呼べる存在です。
キッカケはオートバイを買うために始めたアルバイトでした。生まれて初めて経験する職人としての仕事の魅力に未熟で多感な私はグイグイと引っ張られていきました。
4歳上のKさんはまるで兄弟のように、優しくていねいに、時にはきびしく私を指導してくれました。お客様に対する熱意と誇り、誠意と責任感、周りの人間にへの心づかいなど現在の私自身の仕事への向き合い方をKさんとの出会い、ともに仕事をすることから学ばせてもらいました。
内装職人として独立後、Kさんからも仕事の依頼を受けるようになりました。Kさんに認められたようでうれしくもあり、その時の気持を忘れないように心がけています。
ヤネ屋からヤマ屋へ
登山の魅力教えてくれた
【西多摩・瓦・高野初雄通信員】山歩きを始めたのが10年ほど前。夫婦で奥多摩方面へドライブに出かけ、食後の腹ごなしにと山道を散策したのがキッカケだった。
それから休日には夫婦で身近にある奥多摩の山を歩くようになった。そんな時にしり合ったのがK氏だ。
K氏は高校時から山岳部で活躍。社会人になっても、有給休暇を毎年100%以上消化し山に登り、退職した今は山岳ガイド、鳥獣保護員、東京都山岳連盟の役員と、生活のすべてで山とかかわっている。
K氏に誘われ真冬の八ヶ岳に山小屋泊で登ったのが4年前。それからスッカリ本格的な登山に魅了され、今秋、北アルプス北鎌尾根縦走をめざし、月1ですがK氏の指導の下クライミングの練習に汗を流し、平日はヤネ屋、休日はヤマ屋(自称)としてがんばっている。
幼いころは父親以上
働いてからはきびしい先輩
【文京・電気・本多健一通信員】私は電気工事と家電販売を行なっている家に生まれました。
高度経済成長期だったこともあって、それなりに忙しく、母が店番、父が世間づきあいをしていました。何人かの従業員が住み込みで働いていて、幼いころは家族と同じ感覚でした。
その中で当時、最年長のある人は今思えば、父親以上の存在でした。プラモデルを作ってもらったり、鬼ごっこをしたりとよく遊んでもらった記憶があります。
やがて迷いながらも家業を継ぐことを選んでからは、一転きびしい先輩、後輩の間柄となりました。
最初はもっぱら現場の道具の整理、後片づけや掃除にあけくれ、技術的に何も教えてもらったわけではなく、一緒についておぼえろ、だったはずです。
私の人生の師匠といえる人をあげるなら、真っ先にその人を思い出します。
友だちから親方に
人生のことも相談する
【足立・瓦・森和夫通信員】私は、今の親方にあったのは10代のころで、そのころ私は食肉店の店員でした。
親方は父と二人で瓦業をしていて、私が30代に向かったころ、親方の父が倒れ、一人でがんばっていました。私の仕事が休みの時に友だちとして手伝うようになったのがキッカケで30代半ばに使ってもらうことになり、友だちから親方に。本格的に仕事をおぼえるのは大変でしたが、我慢強く手取り足取り教えてくれて感謝しています。
仕事が終れば友だちとして遊び、人生のことも親身になって相談に乗ってくれました。今も一緒に仕事をしていますが、仕事が甘くきびしい今日このごろです。
親方に分会長の依頼があった時はまだ子育てに忙しく、代わりに私がうけ、今では支部教宣部長になり、よかったのか悪かったのか?です。
おしんのような母
苦労してもおれは幸せ
【調布・大工・平山エイ子通信員】私の心の中の師匠は母親です。母は岩手の山村の貧しい生まれで、NHKの朝ドラで有名な「おしん」を地で行くような人でした。
6人の子どもを産み育てながら、父親があまり丈夫な人ではなかったので、苦労の連続でした。山から木を切り出して炭に焼くまでの、男の人でも大変な仕事をしていました。
仕事の合間に野菜を作り、つぶしあんのゆでまんじゅうまで作ってくれました。食事の仕度から針仕事まで休んでいるのを見たことがありませんでした。
そんな母が「おれは幸せだ」とよくいっていました。いなかでは女の人でも「おれ」といいます。幸せとはほど遠いと思える生活の中で、幸せといっていた、そんな母の姿を今でも思い出します。
幸せは自分で見つけるもの、感じるものと身をもって教えてくれたのです。つい愚痴をいいたくなったり、弱音を吐きたくなる時、母のことを思うだけで背筋が伸びる気がします。心の中の師匠です。
若くてかわいい先生
ほめられるとうれしい
【府中国立・型枠大工・畠山京子通信員】私の先生はお花の指導方法二つを教えていただいている若いくてかわいい女性です。
私はヘタの横好きでフラワーアレンジメントを趣味にしています。キッカケは一人になれる時間がほしくて始め、とても気分のよい時間を過ごしています。ときどきの参加で、自分自身気にいらないデキ上がりでも、先生はとてもほめじょうずで「いいですね」「そうですよ」と私の気持を高めてくれています。
出席できそうだと思うとワクワクしています。同室では8人いますが、同じ花材でも同じ作品には仕上がっていません。先生は「個性ですから」とまたじょうずなほめ言葉を使います。
私にはなかなかできないことでこうありたいと思う私は先生に会いに時間を作っています。
よそ見もせず好きなことだけ
【練馬・設備・松尾浩道通信員】私の趣味に温泉やそば屋めぐりなどが目的のドライブの師匠がいます。
お互いかなり多忙のなか、何とか時間を見つけ奥多摩や福島の羽鳥湖などに出かけ、「次は筑波山に行こう」と話しています。実はルートや立ち寄る温泉やそば屋はほとんど私が決めるので内心かなり緊張しているんですけどね。
そんな師匠は私より年下なのに趣味が高じレースも積極的に参加、私に「参加して」とプレッシャーをかけてくるので困ります。一昨年はイギリス、今年はフランスで走るようです。
寄り道もよそ見もせず好きなことのためだけに生きているのが私の師匠です。
本の世界のすばらしさ私に
【三鷹武蔵野・タイル・渡辺義久通信員】本のデジタル化が進む中で、やはり紙の本が好き、本を読む習慣が身についたキッカケはバスケットボール部の先輩からの本の差し入れだった。
高校1年の春、急性虫垂炎いわゆる盲腸で手術。入院中、ヒマだろうと1冊の本を先輩が届けてくれた。夏休みの読書感想文のために、いやいや本を読むくらいで、まったくといっていいほど読書経験はない。
そんな私に、ページ数が少なくなるにつれ、もう終ってしまうのか、もう少し読んでいたい、という初めての体験で最後まで読み終えた、完読したという達成感をベッドの上で経験させてくれた。
クラブ活動では当然ながら、本の世界のすばらしさを私に教えてくれた彼は、まさに「人生の師匠」であろう。
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