8月のニュース
 

2005年8月10日
2005年8月1日

2005年8月20日
機関紙「けんせつ」第1794号より

Index

小泉首相の靖国参拝は「戦争する国」への道
政治の流れ変える絶好の機会
感動の涙で平和の誓い
原水爆禁止2005年世界大会・長崎
労働局前座込み 最低賃金引上げへ
日本母親大会開く 51の分科会で討論深める
青年部 支部をこえ交流 サマーキャンプに169人
経営センターが総会 33支部300人の組織へと前進
シニアの会設立 「日野古木の会」
どうする石綿問題 町場の事業所としての対策
空と陸の労働組合 戦争に協力しません
航空労組連 民間航空機の軍事利用反対 安全無視の合理化、兵員輸送など
相模鉄道労組 私鉄で初の事前協議 有事法制に基づく命令
産軍一体化で受注拡大 憲法改悪は軍事大国への道
戦後60年 平和を誓う 国民の暮し、思想破壊した戦争
2005国民平和大行進 北海道から東京まで歩き続けた清水さん
各支部で平和イベント開催
三鷹主婦の会 「あの日から」を朗読 出島艶子さんが被爆証言
目黒 平和ウォーク100回 米はイラクから撤退せよ
荒川 夏の平和大学習会
清瀬久留米 「父と暮らせば」上映と伊藤真先生の講演
急増する自衛官の自殺 背景に酒、女、ギャンブル、イジメ
都連第19回青年技能競技大会 東京土建が三賞独占
住宅センター前進へ 「新職人憲法」を生かして
「削ろう会」大会
「9条の会」有明講演会 9500人が護憲の誓い新た
ヒロシマ、ナガサキの原爆を賛美 メリカ原爆博物館
侵略・占領の真実隠すアメリカ
米の同時多発テロの遺族「報復でなく平和求める」



小泉首相の靖国参拝は「戦争する国」への道
徹底して戦争を美化
太平洋戦争は米国の責任だ
 中国、韓国はじめアジア諸国から批判を浴びながら、小泉首相は靖国神社参拝を続けています。靖国神社は日清、日露はじめ「満州事変」から太平洋戦争までをすべて「自存自衛のための正義の戦争」と美化し、付設の博物館「遊就館」には戦闘機や戦車、野戦砲、特攻の人間魚雷まで展示し、日本国憲法と民主主義を罵倒しています。

遊就館にはゼロ戦をはじめ数多くの兵器などが展示されている
 「兵器を飾りたて、戦争に駆り立てていった人たちを一緒に祭っている神社では、安らかに眠れないのではないでしょうか」。こう語るのは本多イツさん(北支部)、実兄の井上鉦一さんが昭和18年1月2日に戦死し、靖国神社に祭られています。
本多さん
遠藤さん
 「靖国には15年前に一度参拝しましたが、A級戦犯が合祀されていることを知っていたら参拝しませんでした。戦争を命じた人と、応じざるを得なかった人とは違います」と、A級戦犯は分祀すべきだと話します。
 「宗教をこえた追悼の国立施設ができることが一番いいが、それはむずかしいでしょう」と語るのは遠藤信吉さん(八王子支部)です。遠藤さんは昭和17年にビルマに送られ、インパール作戦にも参加10数発の弾を受けましたが九死に一生を得ました。240人の同年兵で生き残ったのはわずか12人でした。
 (死んだら)靖国で会おうと誓い合った戦友を思えば、靖国参拝は否定できません。「武力で国際問題を解決しようとした戦前の政策はまちがっていたが、戦後の平和と繁栄の基礎に戦争の犠牲となった人たちがいることは忘れずに追悼を続けてほしい」と話します。
 しかし、靖国神社によれば日本は東洋の平和を求めていたのに、アメリカのルーズベルト大統領の陰謀で、太平洋戦争開戦に追い込まれた、となります。さらに、日本の傀儡国家「満州国」まで「五族協和の国」となっています。
 そこでは誰もが英雄的に戦って戦死し、輸送船が沈められ海の藻屑と消えた本多さんの長兄や、弾薬はおろか食糧もなくマラリアや疫病に倒れ、白骨をさらした遠藤さんの戦友たちの悲惨な死などなかったかのようです。

憲法、平和主義を否定
A級戦犯を「昭和殉職者」と

 靖国神社は1869(明治2)年、明治天皇の名によって「東京招魂社」として創建された「天皇のために死んだ人のための神社」です。だからこそ、「大日本帝国」を滅ぼしたアメリカ、イギリスへの敵意をむきだしにし、日本国憲法は「日本の弱体化のためにアメリカから押しつけられた」という憲法否定と、日本の戦争犯罪を裁いた「東京裁判」の否定を力説してやまないのです。
 中国、韓国などが小泉首相の靖国参拝を問題にするのは、靖国に自国への侵略戦争を指導した東条英機らA級戦犯を「昭和殉難者」として祭られていることもありますが、戦後の日本の平和主義を公然と否定する神社に内閣総理大臣という政府の責任者が参拝するからです。戦死者を追悼することに抗議しているのではないのです。
 「外国への配慮」ではなく、「平和を守る日本国民の総意」で靖国参拝をやめさせ「戦争する国」への道を阻止するときです。

政治の流れ変える絶好の機会
東京土建一般労働組合常任中央執行委員会
総選挙の真の争点
「構造改革」と改憲許すのか
 小泉首相が衆議院を解散しました。郵政民営化法案が参議院で否決されたのを受けてのことですが、小泉内政・外交の完全な行きづまりの結果であるのは明白です。
 郵政民営化は、郵便貯金と簡易保険をアメリカと財界に明け渡し、国民のなけなしの貯金、保険を大資本に収奪させるものであり、百害あって一利なし、です。
 マスコミは、自民党の分裂選挙、郵政民営化、自民と民主の政権交代、などが今回の選挙の「争点」であるかのようにさかんに宣伝しています。しかし、これらのいずれの勢力も、憲法改悪や大増税、社会保障改悪など、私たちの生活に直結する重要問題に関しては改悪を推し進める立場で同じであり、違いはありません。
 真の争点は、小泉首相と政府与党が4年余にわたり進めてきた、大企業を優遇しながら庶民には痛みを押しつけるだけの「構造改革」と憲法改悪によって軍事大国化・戦争への道を、さらに進めるのか、それとも、07年決戦に向け、憲法改悪や庶民大増税、社会保障総改悪を阻止し、政治の流れを変え、私たちの要求実現のたたかいを前進させるか、が問われています。
 今、日本の歴史が大きく動こうとしています。今回の選挙は、政治の流れを変える絶好のチャンスです。私たちは、仲間の要求を前面に掲げ、小泉「構造改革」と対決し、国保補助金の確保と、憲法改悪、社会保障総改悪、庶民大増税を許さず、大手建設資本とのたたかいの強化、公契約運動の前進、地域建設産業の育成強化を勝ち取るために、政治を大きく転換しなければなりません。
 全力で奮闘しましょう。

感動の涙で平和の誓い
原水爆禁止2005年世界大会・長崎
米国より原爆落とさせた日本が憎い
 原爆投下から60年を迎えた8月9日、原水爆禁止世界大会・長崎大会が開かれ、市民会館体育館には世界の29カ国から264人の参加を含め、4500人が集いました。閉会総会では「国連および各国政府への手紙」を満場の拍手で採択。核廃絶を求める運動が世界の大きな流れになっていることを確認する大会となりました。

閉会総会では国内外の活動に総立ちで拍手を送った
【本部・書記・浅岡彩子記】
 原水爆禁止世界大会長崎に、本部代表団として19人が参加しました。一日目、4500人が集った全体会は、長崎の被爆者・故渡辺千恵子さんの一生を合唱と日色ともゑさんの語りで構成された話には、心の動きや痛みが伝わり、絶望の淵から立ち上がり、力強く前向きに生き語り続けたという姿に、本部代表団のそれぞれの目にも感動の涙が浮かんでいました。
 二日目は各自分科会に参加し、世界の全国の平和活動家とともに学び語り合いました。「被爆者・核被害者との連帯」分科会では、長崎集団原爆認定訴訟原告の原さんの「原爆を落としたアメリカよりも落とさせた日本が憎い」という言葉が印象的でした。
 夕方開催した「土建のつどい」には各地域から参加した支部の仲間も集結して45人が参加し、分科会報告や参加の感想を活発に交流。
 今回の参加者には長崎出身者も多く、ご自身が被爆二世の方やご家族を亡くした方が自分自身の経験も語り、参加した青年から「来年はこの会場を青年で埋め尽くしたい」という発言も出て、平和運動の勇気と展望を示しました。
 三日目の閉会総会では海外代表の発言があいつぎ、特にフランスからは100人の青年が参加して核廃絶に向けた草の根の連帯を表明し、被爆60年という節目の年、平和への思いを再確認し、核廃絶への決意を固める大会でした。

労働局前座込み 最低賃金引上げへ
【本部賃金対策部・白滝誠記】
 8月8日、東京労働局前に東京春闘共闘主催による、最低賃金引き上げを求める座り込み行動が、猛暑をついて行なわれました。
 この行動には建交労、全国一般、自治労連東京、都教組から47人が参加(東京土建12人)、4万筆ちかい署名を局側に提出、各団体から賃金の実態や各地でとりくまれた要求運動を報告。「生活できる賃金に、大幅に引き上げを」と口々に訴えました。
 また、東京土建各支部は、9月7日まで秋の賃金行動にとりくみます。中野支部は8月26日に中野駅北口で公契約宣伝と9月5日には地元建設現場訪問。荒川支部は9月5日に学習と現場・事業所訪問するなどの予定をしています。

日本母親大会開く
51の分科会で討論深める
大会アピール採択を大型スクリーンが映し出した
【大田・主婦・田之上よし子記】
 「命を生み出す母親は、命を育て、命を守ることを望みます」をスローガンに第51回日本母親大会は茨城県ひたちなか市とつくば市で開かれ、2日間でのべ1万2500人が参加しました。
 東京土建主婦の会では、母親大会を学習の場と位置づけ、全体で200人をこえる会員が個人や地域、ブロック、あるいは支部単位でといろいろな立場で参加しています。
 本部から参加した12人は筑波大学で開かれた51の分科会へと散らばり、私はこれからの自分たちの介護がどうなるのかについて学ぶため、「介護は金持しか受けられないの」という分科会に参加しました。
 分科会では、ホームヘルパーからの発言が活発に出され、介護のきびしい現実が見えるようでした。制度を利用したくても受けられないシステム。施設への入所者はホテルコストと言われて費用が高くなり、お金がないと入れなくなるなど、どんどん悪い制度になっています。発言の中には「住民が役所へ大勢で押しかけ、実態を知らせる必要がある」との訴えもあり、充実した分科会でした。
 帰りのバスではそれぞれ参加した分科会の感想を発表しあい、まさに生きた学習の場となりました。主婦の会では参加者の文集を作成することにしていきます。

青年部 支部をこえ交流
サマーキャンプに169人
支部紹介でポーズを決める仲間
【本部・書記・中宿稔記】
 7月23・24日に山梨県西湖にある「浜の家キャンプ場」で青年部のサマーキャンプを開催。23日は、子ども向けの飛行機の工作教室とスイカ割りが大好評でした。
 夜は全体で交流を深めるために支部紹介とゲーム、そして花火大会で盛り上がり、支部の枠をこえた仲間の交流をしました。翌日は朝からラジオ体操と会場内のクリーンアップをし、最後に大抽選会で盛り上がり、秋の拡大月間成功に向け団結ガンバロウで閉会しました。今までで最高の19支部・他団体あわせて169人が参加し、大いに全都の交流を深めました。

経営センターが総会
33支部300人の組織へと前進
【本部・書記・森山正男記】
 7月17日、本部会館で東京土建経営センター第9回定時総会が27支部52人、来賓9人の出席で開催。小沼理事長より「1年間に17支部51人が新たに加入し、33支部300人余の組織へと発展した、今後の発展にご協力をお願いします」とのあいさつ。そのあと、総括と方針などが承認されました。
 役員は2年任期のため、ほとんど留任ですが一部補充と交代をして新体制が決まり、また、定款変更も行ない、次年度からは、4月に総代会が開催されることになりました。
 新役員は以下の皆さん。
 理事長・小沼正和(北)。副理事長・坂本秀夫(西東京)、清野邦利(江戸川)。専務理事・森山正男(本部)。理事・山岸郭志(小平)。宇野勲(江東)、渡辺輝明(北)。監事・田中良己(府中国立)、秋本晴夫(西多摩)。

シニアの会設立 「日野古木の会」
日野設立総会であいさつする山崎さん
【日野・書記・古舘秀哉記】
 日野支部は「シニア友の会」設立総会を7月24日、日野支部会館で開催。4月の支部定期大会で確認したとおり、65歳以上の組合員に設立総会参加の確認をして、当会の登録は31人となり、設立総会の参加者は21人でした。
 設立総会では、本部シニア友の会山崎正人会長からあいさつをいただき、新会長については土方茂特別常任の承認と就任のあいさつをおこないました。名称は「日野古木の会」が選ばれました。
 今後の活動方針は、会員の親睦・交流や技術継承活動、工作教室や住宅相談などの活動を通して地域の中で活躍していくことにしています。
 昼食の後、健康教室を開催。立川相互ふれあいクリニック訪問看護ステーション所長の芹田さんより成人病予防の講演をいただきました。
 会長・土方茂、副会長・新関吉榮、事務局長・小黒國男

どうする石綿問題
町場の事業所としての対策
解体すれば石綿が
飛散防ぎ除去は専門業者に
高木史雄労働対策部長
 施主からアスベストの点検を依頼されたらどうすればいいのか、使用材料の含有はどう判断したらいいのか、町場の工務店・事業所向きに高木労働対策部長にポイントを執筆してもらいました。

昔はアスベストむきだしで工事をしていた
アスベストはどう使われているか
 建築物(工作物含む、以下同じ)におけるアスベスト及びその含有建材は、耐火材、断熱材、保温材、防音材等に使われています。
 部位別にいえば鉄骨造の耐火被覆、結露防止のためのデッキ材裏など「吹付アスベスト」がもっとも代表的な使用例です。鉄筋コンクリート造の場合、学校やホールの天井、壁に断熱や防音のために吹付アスベストが使われ、木造の場合、屋根材、軒天材、外壁材に使われています。
 内装材は壁、天井、床すべてに含有建材が使われている可能性があります。
 配管材では今回の報道のきっかけになったクボタの水道用の石綿管は主に水道本管に使われており、排水管用のトミジ管、空調も含め配管の保温材にも使われています。
 見つけ方ですが対象建物が何年に建てられたかが目安になります。
 吹付アスベストについては、1975年以前施工のものはほとんどがアスベスト、石綿含有ロックウール吹付は1980年まで使用されています。1985年ぐらいまでは怪しいと考えてください。
 吹付以外の含有建材ですがこれも年代や材料によってさまざまです。大きな目安として、1995年以前に建てられた建物の外壁材(サイディング等)、屋根材(コロニアル等)は石綿含有建材、ロックウール吸音天井材、保温材(ロックウール保温材も含む)などはすべて含有していると考えてください。
 また軒天や水回り、台所などに使われている大平板、フレキなどは昨年10月まで使われています。
 内装材では耐火ボードは1986年までのもの、Pタイルは2000年頃までが含有ありです。
 あまりにも多くの建材に含有されていますので、一つ一つ説明できませんが、石綿協会発行の「石綿使用の事前診断管理指針」という資料があり、各メーカーのホームページにも、その会社が作ってきた製品がいつまで石綿を含有していたかがかなり細かくでています。
 解体作業(リフォームに伴う一部解体も含め)についていえば、ほとんどの仕事で石綿含有を疑わなければならないのが現状です。

見つけたらどうすればいいのか
 石綿含有建材の場合、特定するには、専門家にみてもらうか、分析調査をするなど大変お金がかかります。
 どうすれば良いのかのポイントは、アスベストはその繊維を肺に吸い込むことによって健康被害をもたらすわけで、固まっている建材の中に入っていても、それを砕いたり切ったりしなければ粉塵は発生しないということです。
 吹付材や断熱保温材など、綿のように見えるものは「飛散性アスベスト」といってこの除去作業は原則として専門業者に任せるしかありませんが、内装リフォームや木造建物の解体など「非飛散性アスベスト」の場合、繊維として飛び散らないように、つまり可能ならば水で濡らして解体する、ビスや釘をていねいに抜いて手こわしをすればよいのです。

除去したらどう処分すればいいのか
 吹付材など「飛散性」のものは「特別管理産業廃棄物」として処理方法が定められています。2重に袋に入れコンクリートで固めたり、高温で溶融してアメ状にして埋め立てるのですが、除去工事も含め専門業者に頼む以外ないのが現状です。
 「非飛散性」の含有建材の場合、2005年3月30日付で環境省通知「非飛散性アスベスト廃棄物の取り扱いに関する技術指針」が出され、分別が義務づけられ、マニフェストも一般と別になっています。ただしこの間のアスベストパニックのため、民間の産廃処分場では、引き取らないとか法外な処分費を請求されるケースが出てきています。私たち零細業者としては大問題で、役所などに申し入れていきますが、現行法ではこのように定められています。

在庫の材料は使ってもいいのか
 昨年10月1日より石綿含有建材はほとんど無石綿になっていますので、新規に仕入れた材料はほぼ大丈夫です。ただし波型スレートやフレキはいまだに在庫を売っているのが現状です。また皆さんが以前から在庫で持っている材料は残念ながら石綿含有の可能性があります。
 昨今のアスベストパニックを考えれば、処分が必要だと思います。

お客さんにどんなアドバイスを
 吹付材をのぞいて、天井や壁などに石綿含有建材が使われていたとしても、それをこわしたりしなければ健康被害はないことをはっきり言ってよいと思います。
 吹付がある場合はちょっとやっかいです。対応としては、除去、囲い込み、封じ込めの3つの方法があります。要するに石綿繊維が飛び散らないようにすればよいのですが、いずれも費用がかかります。特に除去は大変です。
 生活の状況によってケースバイケースになりますので専門家に相談しなければならないケースもありますが、たとえばむき出しの場合、下に天井を貼るなどすれば良いわけで、現場状況に合わせ工夫していくしかありません。

これまでに石綿そ吸いこんだと思ったら
 一度肺の中に入ったアスベストはもうどうしようもありません。しかし吸い込んだ人すべてが必ずガンになるわけでもありませんし、30年とか40年という非常に長い時間をかけて健康被害が出てくるのがアスベストの特徴です。
 組合がやっている「じん肺特別検診」をきちんと受け、万が一発症しても早期に発見することが大事なことと考えます。
 どうしても心配な方は、費用はかかりますが、CT検査をするなど、精密検査を受けてください。
 いずれの場合も一般病院でなく「専門医」に受診してください。今組合が推奨している医療機関は3つ、「しばぞの診療所」「芝病院」「立川ふれあいクリニック」です。受診に当たっては専門医が診察をする曜日等ありますので、組合にご相談ください。
 東京土建本部に「職業病対策チーム」があり、支部の担当の書記や役員と一緒にアスベスト対策にとりくんでいます。すでに症状のある方、肺ガンや中皮腫でお父さんがすでに亡くなってしまった方は、労災適用の道がありますので、相談してください。

高まる市民の不安の声
 7月24日の東京都連「建設労働110番」には、建設関係74件(本人64件,家族10件)、一般105件、その他(製造業等)40件、あわせて219件の相談がありました。一般からのアスベストに関する相談の一部を紹介します。
 Aさん=15年前、自宅のリフォーム工事の際に、ボード解体工事があり、石綿を吸ったと思う。工務店に問い合わせたら、1%〜4%含有の建材を使用していた。工務店に責任がある。少量の石綿でも不安。
 Bさん=昭和48年、木造から鉄骨建てに改築。物置の露出部にアスベストが吹き付けられているのではと心配。
 Cさん=写真のスタジオを借りようとしているが、そのビルが古くてアスベストが付着している。オーナーに話をしたら、ゼリー状のもので固めているので大丈夫だとのこと。作業環境測定等をして十分調べたい。
 Dさん=天井、外壁のアスベストが心配で、38歳の娘が石綿ノイローゼになっている。

空と陸の労働組合 戦争に協力しません
 戦争中建設労働者は工兵として道路、橋、砲台や兵舎の建設に従事させられました。空と陸の輸送労働者も戦争を遂行するために、食糧や弾薬などの軍需品を輸送する作業に従事させられました。いまイラクに自衛隊が派兵されている現状は、事実上の参戦状態です。なしくずし的に戦争に参加させられることを拒否する空と陸の組合を紹介します。

航空労組連
民間航空機の軍事利用反対
安全無視の合理化、兵員輸送など
内田さん
【航空労組連絡会議長・内田妙子さん談】
 私たちは、日本の民間航空が軍事利用されることに監視が必要だと考えています。航空機が世界の空を安全に飛べるのは、国際民間航空条約があるからです。日本は1953年に締結しました。これに基づいて日本の航空法が制定されています。しかし「国の航空機」とみなされたときには、攻撃の対象になりうるのです。

国の航空機は攻撃の対象に
 国の航空機とみなされるとは、民間航空機の場合戦争用の物資を輸送するとか、兵士の輸送であるとかに通じることで、非常に危険な状況となります。そのように民間航空機が戦争用の物資、兵員輸送に利用されてはならないと考えておりますし、過去その疑いの強い行為が行なわれたこともありましたが、その都度声明を出したり反対行動をとってきました。そのことで民間航空機の軍事利用を一定阻止してきたわけですが、しかし有事法制が成立して、いよいよ憲法改正の動きがあからさまになると、軍の行動に私たちが乗務させられることになりかねないのです。

平和でこそ航空産業も発展
 平和なくして産業発展なし。これはアメリカの航空会社が痛いほど感じていることだと思います。ユナイテッド航空は米国大手企業でしたが、破産申請したうえでリストラで人員を大幅に減らし、そのために安全まで犠牲にされています。私たちは、航空の安全そのものがこの産業に働く者の社会的責務であるという立場に立っています。
 航空機がひとたび事故を起こすと、大勢の方々に大変迷惑をかけることになります。いま、合理化、リストラもふくめてテロ、戦争と事故発生につながる要因が次々と問題視されているとき、私たちは企業が安全を最優先しない政策をとったり、平和を求めず国の言いなりになったりすることで客観的には加害者になったりすることを拒否します。ましてや戦争に協力することで乗客のみなさんを危険にさらす方向性には、絶対反対です。

ひっきりなしに離着陸する羽田空港
陸、海、空、港湾と協力し
憲法守り有事法の発動阻止

 私たちは「無知は犯罪、傍観は共犯」という言葉を思い出さなければいけない時期なのだと考えているところです。
 航空労働者も、まだ1997年の新ガイドライン法が問題視されるまでは、いわゆる政治的動きに鈍感でした。しかし日米安保体制が新ガイドラインというかたちで具体化され、これが法制化されて国会上程されるなかで「このまま航空労働者が黙っていていいのか」という疑問が話しあわれるようになりました。
 私ども航空3団体、つまり航空連と安全会議と日乗連の3団体で「少なくとも交通関係の労組が集まって、何かできないものか」と呼びかけたのが、最初の活動ということになるわけです。陸、海、空港湾の20団体が中心になって、この間数え切れないほどの集会を開いてきました。

一人ひとり個人で考え行動
 「おかしい」と感じたとき、できることから行動をはじめたのです。そのもとになるのは一人ひとりです。個々の人が考え行動する、このことが繰り返し行われれば、連帯の広がりはまさに際限がないといえるのだと思います。
 日本航空乗員組合は、軍が関係する物資や兵員の輸送業務につかないという立場を、スト権をかけて会社と交渉した経緯があります。職場では90%以上の賛成を背景にした交渉になりました。
 有事法制が発令されると日本航空は指定公共機関に指定されます。そこで再度個々の労働者が命令を受けたとき、それを拒否できるかが問われてくるのです。いまや憲法が最後の砦となった感じがします。そして憲法を守りぬくことが、有事法制を発動させない決め手だと思います。

相模鉄道労組
私鉄で初の事前協議
有事法制に基づく命令
本間さん
 戦時に軍事物資の輸送に協力させられるおそれのあるのが、鉄道関係の労働者です。相模鉄道は横浜駅を起点に海老名まで(本線)、途中の二俣川から湘南台まで(いずみの線)横浜市の東西を走る通勤・通学電車です。
 相模鉄道労働組合副執行委員長の本間秀明さんに、組合として戦争に協力しないとりくみについて話してもらいました。
 「いざという時に、国策として兵員や燃料などの輸送の要請があるかもしれません。沿線には厚木基地もありますし、いまも引込み線があります。ジェット機の燃料は、現在トラック輸送されています。しかし、有事になってから労働組合として反対するのはむずかしい。今年の2月に労使間で有事に関することは事前協議をするという協定を交わしました。私鉄でこのような協定を交わしたのは、全国で相模鉄道だけです。組合員にも、この協定は高い評価を受けました」。
 「事前協議といっても、実際には会社に協力させないということです。ですから、他の労働組合も、そのような“協定”を結ぶといいと思います。そうしないと、そんな協定を結んでいるところには仕事をだしません、ということになるかもしれません」。
相鉄線の横浜駅構内
 「組合としては、神奈川県とも防衛庁とも交渉し、戦争に協力するような業務従事命令をだすなと要求しました。私たちの根拠は、日本の憲法です。有事法制ができたから従わなくてはいけないと考える人もいますが、良心に基づく戦争協力拒否権は私たち一人ひとりにあると確信しています。また、平和的生存権として主張していかなければいけないと思います。平時を前提にした労働契約をとびこえた危険な軍事的な業務命令には、従う義務はないと思います」。

乗客の安全と一体の闘いを
 1964年(昭和39年)厚木基地を飛び立ったジェット戦闘機は滑走路から1700メートル先の館野鉄工所に墜落、5人が死亡しました。事故後、そばを走る東名高速と相模鉄道に鉄筋コンクリートの屋根がつけられました。
 本間さんは「乗客の安全と私たちの労働条件や平和を守るたたかいは一体のものです」と結びました。

産軍一体化で受注拡大 憲法改悪は軍事大国への道
武器輸出解禁ねらう財界
アスベスト関連2社に申入れ
 憲法9条を改悪し消費税率引上げ等大増税などの国民的問題が迫っています。衆議院が解散となっても事態の重大さは変りません。政府の解釈だけで自衛隊がイラクへ派遣され、国民は戦争体制にしっかりと組み込まれています。自衛隊の装備増強とそれを支えながら利益を追い続ける軍事産業、そして企業内組合の現実。戦争の悲惨さに目をつむり、軍事景気を夢みているような「町おこし」の動きなど追いました。

装備開発と受注調整の場か
 地下鉄銀座線「溜池山王」駅12番出口から6分のところに「(社)日本防衛装備工業会」があります。この会には防衛装備品の製造にかかわる主要企業の多くが加盟し、経済産業省から委託費として平成13年度には988万余の補助金を受けています。
 この会の前身は1951年に創立された((株))日本技術生産協力会にさかのぼり、昭和28年に日本兵器工業会と改称、さらに昭和63年に(社)日本防衛装備工業会を設立して現在に至っています。
 会長は石川島播磨重工業の伊藤源嗣会長、また通産省・中小企業庁長官を退官した太田洋次が常勤の専務理事、理事には防衛庁の退官者2人もいます。参加企業は137社で日本の主要な大企業グループ各社が名をつらね、軍需産業が自衛隊を支えている姿がうかがえます。
 最近、憲法改悪と日米軍事態勢の強化、これに歩調を合わせるかのように経済界から武器輸出3原則の解禁が叫ばれています。瀬島龍三が会長の「日本戦略研究フォーラム」は昨年11月、「武器輸出三原則の見直しについて」の研究会を開き、4人のパネリストに「武器輸出は可能」という方向で発言をさせています。自衛隊も武器輸出解禁で装備費が安くできると考え、推進しています。
 2001年秋にはテロ対策特別措置法を成立させて11月から12月にかけて自衛隊がインド洋に行き、米軍への後方支援。さらにアメリカのイラク侵攻では「非戦闘地域での人道支援」として自衛隊を派遣し続けています。
 日本の軍需産業は随意契約のもとで高価格で受注を独占。一方、自衛隊は軍艦や軍用機、車両などに搭載する高度な電子技術をもつ企業に対し、労働組合の御用組合化と労働者への思想差別、従順で物言わぬ労働者つくりを進めさせています。

渡辺鋼さん
人権無視し差別徹底
利益求めて暴走する会社

【「人権回復を求める石播原告団」団長・渡辺鋼さん談】
 企業は利益を追い求めて暴走します。会社のためには悪いこともする。差別もする。愛社精神や愛国精神の押し付けは会社をダメにします。会社のためが防衛産業のために変わり、国全体がそういう方向へ動いていると思います。憲法を変え、防衛義務が課せられ、人権の主張もできない入り口まできています。
 石川島播磨では、工場ごとに「個人カルテ」を作り、徹底管理をしています。会社と一体の労組に苦情を申し入れたらAランク(最低ランク)にされた労働者もおりました。差別の仕方も賃金差別や昇給差別から「あいつに付き合うな」というように徹底的に断ち切る。あるいは何年でも仕事を取り上げ、ただ座っているだけにする。そして新入社員には「会社にたてつくとああなる」と見せしめにするのです。さらに通勤不可能なところへの配転などそれはひどいものです。
 防衛産業だけにこだわらず、世界の人々に役立つような発展をめざしていくときです。

「軍需工場は、今」から収録
修理でイラクへ派遣
民間人も機密保持義務か

 石川島播磨重工では、会社と一体となって労働組合が、労働者差別をおこなっています。2002年にはペルシャ湾に派遣されたイージス艦の修理に7人の労働者が派遣されました。自衛隊法122条の改正により、民間人も防衛上の機密を守る義務を負い、イラクへの派遣されることも言えなくなりました。この問題では新聞でも取り上げられ、国会でも質問がなされています。
 同社の武蔵支部の役員は「当社は防衛上の重要なことを担っている。これを否定するものは会社にいられない」と答えています。防衛庁も「これは単に修理計画だ、契約には応じたほうが良い」と答える。厚生労働省も防衛庁には逆らうことは言わない。労災保険適用などもはっきりせず労働安全衛生法さえ無視した取り扱いなのです。
 国会議員選挙では企業代表として組合の委員長を立てる。防衛生産推進の議員も管理職中心に応援しています。

町おこし」に戦艦大和
石川島播磨重工が支援

 広島県呉市は、旧海軍呉工廠で戦艦大和を建造した町。今年4月23日「呉市海事歴史科学館」(大和ミュージアム)を開館。20分の1で作られた戦艦大和(全長26・3m)が再び戻ってきたようなイメージで館のシンボルとして置かれています。
 展示物も特殊潜航艇「海龍」や零式艦上戦闘機、大小の砲弾、大和から引き揚げた品々が展示され、どれもが武器を作る技術のすばらしさと、いかに戦争で活躍したかを演出。
さらに「呉の歴史絵本」を作り、軍港建設にふさわしかった町、日本一の海軍工廠へ発展、華やかな市民生活を楽しむ人々、願いを託した「大和」の建造、などが書かれ、小学校5年以上中学生まで配っています。
 こうしたことが「町おこし」で行なわれているのです。
 石川島播磨重工も深くかかわり、ミュージアムから見える呉工場外壁には「大和のふるさと」の大文字が書かれ、社報にも紹介しています。

戦後60年 平和を誓う
国民の暮し、思想破壊した戦争
板壁に残ったハシゴと兵士の影(アサヒグラフ原爆の記録・昭和57年8月10日発行)
中尾さん
18の夏 おやじは48歳
60年目のナガサキ

【小金井国分寺・瓦工・中尾慶一郎記】
 あなたが長崎の原爆で亡くなってから60年たちました。もうじき長い戦争も終る夏の暑い日でした。浦上の爆心地に近かったのでみんな死にました。
 世界で初めて完成した2発の原子爆弾でした。無差別大量殺りくの兵器です。アメリカ軍はこの新兵器をヒロシマとナガサキで試しました。2発の原爆で20万あまりの市民の命を奪い、数知れない人々を傷つけました。
 はるか遠くまで拡がるこの世とは思えない原子野に息をのみました。そして異状な臭いが全市をおおっていました。東京からかけつけて原子野と変りはてたふる里に声もなく立ちつくしたあの日を忘れることはありません。18の夏でした。石の鳥居のそばにはたくさんの白い骨が散らばっていました。
 おやじは48歳の働き盛りでした。小さな町工場を経営していて、熟練工が次々と兵隊にとられるので苦労していました。帰って手伝うようおふくろからは時々便りがありました。空襲が多い東京を心配していたのです。おやじは当時長崎の市議でもありました。左翼でもないのに翼賛選挙に反対していた唯一人の市議会議員でした。そのため選挙では官憲の妨害がはげしかったようです。
 昭和15年から1人で上京していたので話し合う日はとうとうありませんでした。一度くらいおやじと飲みたかったな‐‐。
 おやじの跡はつげなかったけど再度の東京大空襲を生きのびて、今は瓦の仕事をしています。らくではありませんが気のいい建築職人の仲間と好きな仕事を長く続けてこられたのは幸いでした。戦争が無いのはやはりいい時代です。家族がいて仲間がいて、このくらしを大事にしたいと思います。
 世界中の核兵器を無くそうの願いを込めて原水爆禁止世界大会が長崎で開かれます。地球を小さな灰色の星としないため切実な大会です。仲間の代表として長崎へ行きます。

小林さん
初空襲ですぐ疎開
大酒のみの父親に感謝

【足立・大工・小林次郎記】
 私が荒川区の第六峡田国民学校に入学して間もない昭和17年4月18日に、米軍による日本への初空襲がありました。
 低空飛行だった米軍機を私は見ておりませんが、その飛行機の猛烈な飛行音と爆音の音を聞いています。
 私の住む借家は町屋2丁目7番地で、旭電化という目標は外れましたが空襲を受けた尾久町とは1000メートルしか離れていませんでした。
 この初空襲の昭和17年4月18日から、東京大空襲といわれる20年3月10日まで実に3年近くがすぎています。
 その3年の間、天皇を中心とする国体という日本政府と新聞その他の言論機関も有識者、そしてすべての国民も新たな被害が予想される戦争を回避する行動はいっさいなかったのです。
 結局、続く全国の大空襲の果てに、広島、長崎に原子爆弾による壊滅まで日本人はまったく無抵抗でした。
 私は今日、大工であった大酒飲みの父親に唯一、大きな感謝をしています。それは初空襲を身近な荒川区で目撃したこともあってか、19年3月に4人の子どもを連れて必死に「逃げて」くれたことです。
 私はこの年になってやっと父親、そして母親の決断に思いつきました。会津の疎開先では、末の弟も生まれました。

西村さん
日の丸に送られ15歳で出征
半年後異郷で敗戦

【調布・表貝・西村明夫記】
 綾小路きみまろ風に言えば、あれから60年……。
 私は15歳の時、学校のすすめで卒業式も迎えず、義勇軍として村をあげて「日の丸」の小旗に見送られ親の元を離れた。それから半年、焼けつくような8月15日を迎えた。
 日本は戦争に敗けることはないと信じさせられ、洗脳された私たち250人の中隊は、異郷の地に放り出されてしまった。赤く錆びた東京の焼野原を見ながら命からがら親の元にたどりついたのは、8月も終りの頃だった。
 わずか半年の共同生活も、生死を共にした仲間はなつかしく、60年たった今日でも2年に1度は集まる機会をつくり、元気な姿を確認しあってきた。
 当時、親の元に帰っても仕事もなく、生きるためにまず手に職をと、建築の仕事に就いた仲間が多い。そんな仲間もすでに75歳を迎えた。
 60年平和に暮らせたのも平和憲法があればこそだ。

島崎さん
3軒に1軒の戦死者
20歳の兄は入隊40日で戦死

【西東京・大工・島崎強記】
 ニイタカヤマノボレで勃発した大東亜戦争、小学3年生だった私は、教材の地図に遠くビルマから南洋諸国を本土同様に赤い色をつけ大喜びであった。
 戦線が拡大しすぎアッツ島からレイテ、グアムと玉砕が相次ぎ、打ちてし止まむ勝つまではと月月火水木金金と教えられ、勤労奉仕の毎日で雨天は軍事教練と戦時体制一色だった。
 5年生の頃は毎朝出征兵士を送り英霊を迎えることも増え、村でも3軒に1軒は戦死者が出た。遠縁の家では兄弟とも戦死し家系が途絶えてしまった。
 わが家でもやっと20歳になった兄は終戦の年の6月22日に出征し、8月1日のわずか入隊40日にしてマニラで戦死してしまった。銃弾一つ受けなかった信州の山村にもいろんな形態の傷跡は残っていて、夫が戦死し子ども多数に老人を抱え懸命にがんばっていた未亡人は子ども心に哀れに見え気の毒だった。
 今は大平洋戦争というようになり、大東亜戦争の呼び名は風化したが、平和は人類にとって最高の幸せ。憲法は絶対守らねばと思う。

市川さん
天皇陛下のため死ぬ
硫黄島出征直前に「終戦」

【三鷹・大工・市川忠男談】
 私は「尋常高等小学校」を卒業してから、横須賀にある海軍工廠の職工養成所で軍属として軍艦などを作っていました。同じ年代でも予科練(志願して軍人になった人)に行った人もいる。
 大本営発表とは裏腹に、日本の敗戦が濃厚になっていた頃、硫黄島に出征する予定だったが、運よく終戦を迎えた。19歳だった。
 私は子どもの頃から軍国少年で「お国のために、天皇陛下のために死ぬ」と思ってきたが、いま考えると教育の恐ろしさだと思う。
 今日、憲法9条を改悪しようとする動きがあり、青年層の中にも軍国主義復活を望む声もあると聞く。しかし、戦争に狩り出された体験者として憲法9条は何としても守っていかなければならない。

野田さん
遊就館 忠君愛国思想を注入
戦没者の写真に悼みと怒り

【府中国立・表具・野田日南記】
 本部教宣部の靖国神社・遊就館「共同取材」は長谷川順一さん(新宿平和委員会)のガイダンスの見事さにただただは頭が下がる思いで、40数年ぶりの中学・高校時に習った、日本近代史の流れを遠くの方で思い出しながら、氏の歩調について行くのがやっと、といったところでした。
 靖国神社のもつ「忠君愛国」思想を見学者に植えつける「近代史教育の場」としての性格を色濃く持っている事を、腹に落として批判的に見る事を忘れなければ、多様な歴史教材を豊富に展示してある「場」として一見に値すると思われます。
 出口近くに飾られている多数の戦没者の写真には、思わず目をそらしたくなるような悲しさと悼みを覚えました。その中に「東条英機」の写真を見出した時の「怒り」と「批判」はここへきてよかったの思いを新たにしたところです。

戦争放棄は世界の模範
【練馬・設計・風間秀雄記】
 当時9歳の小学生には、昭和20年8月15日午後にラジオから流れた玉音(ぎょくおん)放送の意味、内容は理解することはむずかしかった。
 先日、靖国神社の遊就館を見学して、初めて本文と内容をしることができ、誓いを新たにした。
 今こそ世界の恒久平和を願う時と、いっそう身を引き締める気持ちで一杯です。
 『靖国で戦争(いくさ)の遺品(しりょう)みて誓う。憲法9条戦争放棄は世界の範(はん)。残りし我等が守り抜く決意』

靖国合祀は民間の人も
【日野・大工・原豊記】
 なぜ靖国神社は、戦死された軍人のみ合祀されるのであろうか。戦争で亡くなった方は、広島、長崎の原爆や各都市の空襲、沖縄本島などの戦闘で民間人の方が何百万人も亡くなっているのです。
 この人たちが靖国神社に祭られていれば、首相、天皇の名代が参拝することにアジアの諸国から何の干渉も受けないのではないか。
 そうすることで一般の犠牲者と戦死者を一緒に祭れば、首相や天皇の名代の参拝が報われると思う。

平山さん
劣化ウラン弾は核兵器
半減期は49億年

【台東・大工・平山輝雄記】
 核兵器が人類史上初めて日本で使用されてから60年たちました。
 いまなおアメリカは少しも反省の色もなく、それどころか「今後、小型核兵器の使用も考える」などとトボケたことをいっています。
 「使用も考える」どころか、もうたくさんの核兵器を使っているのです。それは「劣化ウラン弾」です。この核兵器の原料は、プルトニウム238といい、核廃棄物なのだが非常に堅くて重く、しかも廃棄物なので安く作ることができる。
 この「劣化ウラン弾」が一度兵器として使われると、もう二度とその放射能は地球上から消えることはない。
 なぜなら劣化ウラン弾の半減期(放射能の濃さが半分になる時間)は、49億年もかかるからです。(地球ができてから46億年)
 このような恐ろしい兵器を、アメリカのブッシュ大統領は「劣化ウラン弾」は核兵器ではないといい張り、中東の国々との戦争で使いまくっているのです。核兵器がある限り人類に平和は訪れません。

宮島さん
集団疎開で私は班長
先生「戦争が終わるまで帰れません」

【西東京・表具・宮島しづ子記】
 昭和19年夏、隅田第二小学校3年生で茨城に集団疎開しました。親達は駅でみんな泣いていました。子ども達は、まるで遠足気分でした。着いた所は「銚子屋旅館」。
 二階建ての大きな家で、3、4、5、6年生全員集合し、先生よりこれからの指示がありました。
 夏の暑い日に田んぼでイナゴをたくさん取ったり、夕方お寺の鐘のゴーンと淋しげな音をきくたびに親はどうしているのかな、と思いだすこともありました。
 朝ごはんを食べ、5分くらい歩いた学校に3年生だけ通学しました。途中大きな木の下をくぐり抜けて、帰りは遠廻りして寮に着きました。
 私は班長を命ぜられ、責任を感じて人の面倒もみました。家に帰りたいという生徒も何人もいました。
 先生の「戦争が終るまでは東京には帰れません。みんなで仲よく力をあわせていきましょう」の言葉通り私は守ったつもりです。
 翌年の春に、賀美村という村に移転しました。そこは家の前に小川が流れ、雨が降ると増水するので木の橋が流され、学校の帰りにはスカートをまくりあげ裸足で川を渡って帰りました。夜、蚊帳の外に蛍が飛んできた記憶があります。また、狐の嫁入りもみました。
 次に秋田県由利郡上浜村川袋という、山、川、海のある所に移りました。昭和20年6月頃と思います。前の高台にあるお寺が、小学校でした。生徒は先生含めて、女子30人くらいでした。
 朝は川まで行って顔を洗いました。夜は農家に2人組でお風呂をもらいに行き西瓜をごちそうしてもらいました。夜のごはんのおかずは毎日お魚で、私は苦手でした。
 8月15日朝ごはんを食べた後に先生から「今日は自習です」とお話がありました。午後全生徒は部屋に呼ばれ「戦争が終りみなさんお家に帰れます」と報告があり、みんな大喜びでした。
 昭和20年10月頃、荒川の土手には多くの親達が出迎えにきていました。みんな泣いていました。浅草、上野は焼野原でした。
 戦争は絶対反対です。

2005国民平和大行進
北海道から東京まで歩き続けた清水さん
核廃絶はどこでも大歓迎
加茂市小池市長「自衛隊員騙すな」
 北海道の礼文島を5月7日にスタートした西多摩支部の清水梅夫さん(石工・62歳)は、7月27日、ゴールの上野東照宮まで82日間かけて平和行進を歩き通しました。この間清水さんの万歩計は約183万歩(約915キロ)になりました。前日は台風7号の暴風雨の中を歩き、この日は35・6度。すっかり日焼けした清水さんの顔に、笑(えみ)がこぼれました。

上野東照宮で通し行進した感想を話す清水さん
俺もちゃんと洗濯やったよ
 清水さんが礼文島をスタートした日は、気温は零度。島の人もビックリするほど寒く、みぞれの降る中での行進となりました。
 礼文島まで行って清水さんを見送ったのは、奥さんのハマ子さん、下の娘夫婦の横田肇さんと友美さんでした。
 7月27日午後5時、北海道‐東京コースの最終地点の上野公園には、奥さんのハマ子さん、長女の美和さん、横田肇さんの姿がありました。
 清水さんは奥さんに、「俺だってちゃんと洗濯したからな」と話しかけました。ハマ子さんは、ニッコリ笑って応えました。約束だった電話は毎日かかってきましたが、夫がそばにいるといないでは大違いです。肇さんも「お母さんの許可がでれば、今日は好きなだけ飲んでいいよ」と話します。
 清水さんが通し行進に参加しようと思ったのは、平和憲法があるのになんで自衛隊員がイラクに行くのか、という疑問です。その清水さんが行進中に一番印象に残ったのは新潟県加茂市の小池清彦市長を表敬訪問した際、元自衛隊の大幹部だった小池市長が、「今の政府は自衛隊員をだましている。専守防衛の自衛隊をなぜ海外に出すのか」と怒っていたことです。

仲間の激励が一番
人生勉強になった行進

 平和行進はどこへ行っても大歓迎されて、核兵器廃絶にこんなに多くの人が運動しているのかと身をもってわかった、と話します。
 こんなエピソードもありました。奥さんの親せきの佐野えり子さんが新潟のFMラジオのアナウンサーをしていて、自分の生番組で清水さんのことを放送してくれました。
 また、西多摩支部の仲間が山形と長野まで2回激励にきてくれた時は、本当にうれしかったと話します。
 被爆60周年、清水さんは「いろんな人に会って、いい人生勉強になりました。組合の仲間に支えられて通し行進に参加できて本当によかった」と自分の体験した意義をかみしめています。

各支部で平和イベント開催
三鷹主婦の会
「あの日から」を朗読
出島艶子さんが被爆証言
主婦の会が迫真の朗読をしました(右端は出島艶子さん)
【三鷹・主婦・飯塚庫子記】
 三鷹支部主婦の会では、8月6日原爆が投下されたその日の午後1時30分から、三鷹市公会堂別館で3回目の原爆詩の朗読(8月6日のあの日から)を行ないました。
 初めに主婦の会会員であり、被爆者の出島艶子さんの証言がありました。出島さんは18歳に被爆した苦しい悲しい体験を語り「被爆者にとって核兵器がなくなった時が終戦です」と話されました。
 続いて主婦の会の14人が、全員白いブラウスと黒のスカートで被爆の実相にせまる迫真の朗読を行ないました。照明を落した会場には、涙を流して聞き入る人もいました。
 交流会では、小学校の先生から「歴史が曲げられて教えられようとしている今、地域でこのようなとりくみがあることは私達にとって大きな力になります」と発言がありました。参加した40人の方がたも「来年もぜひ続けてほしい」と話されました。平和のとりくみの大切さを感じました。

目黒
平和ウォーク100回
米はイラクから撤退せよ
目黒は毎週木曜パレードを行っています
【目黒・書記・首藤甲二記】
 7月28日、100回目を迎えた「めぐろピースウォーク実行委員会」主催の平和パレード「NO WAR ピースウォークinめぐろ」が目黒区内で行なわれました。区内の労働組合や民主団体、政党から47人が参加(東京土建からは16人)。2003年の米軍のイラク侵略に抗議して始まったピースウォークは、毎週木曜日に目黒船入場公園から中目黒までのコースを「自衛隊はイラクから撤退を!」「憲法9条を守れ」とシュプレヒコールをしながらパレードを行なっているものです。
 東京土建目黒支部からも組合員や主婦の会会員が毎週欠かさず参加をしています。須藤委員長は「100回記念をバネに、これからもたくさんの人にパレードに参加してもらうよう続けていきたい」と決意を述べました。

荒川
夏の平和大学習会
【荒川・鉄骨・大舘正幸記】
 7月24日、教育宣伝部主催の夏の大学習会を北区王子の北とぴあで開催、参加者は98人でした。
 「日本近代史から見る靖国問題」を新宿平和委員会会長の長谷川順一さんに、「アジアに対する戦争責任と戦後補償‐私が見た中国侵略戦争」を日本中国友好協会さいたま支部長の仙波藤吾さんに話していただきました。
 長谷川さんは、靖国神社の3つのポイントとして(1)戊辰戦争の戦歿者名簿の作成がのちに靖国神社の祭祀の根本に。(2)東京招魂社から別格官幣社となり、国家の総祀へ。(3)明治天皇が主宰するの3点をあげ、次に靖国神社の歴史をのべました。また、A級戦犯合祀に見る反東京裁判史観や小泉首相の公式参拝へと話は続きました。
 仙波さんは、1943年に現役兵として入営。お客様扱いの3日間がすぎ、やがて満州へ。班替えを願い出ると、班長から歯が抜け鼓膜が破れるほどの仕置きを受けたといいます。
 前線では白米を略奪し、また農民に電流を流して気絶させ刺殺訓練の対象とした事実を語りました。自身の体験なので真実味があり、戦争の恐しさを再認識した話でした。

清瀬久留米
「父と暮らせば」上映と伊藤真先生の講演
【清瀬久留米・書記・中山郷記】
 清瀬市と東久留米市を中心に呼びかけた「憲法の集い・父と暮せば上映会」を7月31日に行ないました。
 映画は午前、夕方、夜の3回上映し、東京土建の仲間は246人、全体で900人以上が参加し大成功でした。午後2時からは、法学館憲法研究所所長の伊藤真先生が「憲法がおもしろいほど分かる話」と題して講演し、憲法とは何か、改憲議論についてわかりやすく語ってくれました。
 講演会をきいて、青空分会の笹下美津子さんが次の感想を寄せてくれました。
 「終戦直前に生まれた私は、高円寺の家を焼かれ井の頭公園に逃げた記憶など全然ありません。あの悲惨な戦争を二度とさせたくないし、正しい戦争などありません。伊藤真先生の話はとてもわかりやすくもう一時間くらい話をきいていたかったです。日本の宝として、9条を断固守りたいと思います」。

急増する自衛官の自殺
背景に酒、女、ギャンブル、イジメ
フリージャーナリスト 三宅勝久
「たちかぜ」で自殺事件
横行する上官の暴行、恐喝
 自衛官の自殺があとを断たない。防衛庁によると、二〇〇四年度一年間に自殺した自衛官は94人にのぼった。それまでの最多記録だった78人(二〇〇二年度)を大幅に上回る史上最悪の事態だ。飲酒、女遊び、ギャンブル、借金苦、いじめ‐‐自殺の背景に必ずと言っていいほどついてくるのは、すさんだ日常だ。さらにその奥を探れば、閉鎖組織ゆえの孤独とストレスが浮かびあがる。

外国語の能力や部隊事情から外国に派遣できる自衛隊員は限られるという。イラクなど海外派遣が増えたことで、自衛隊員の負担は重くなった(写真提供・三宅さん)
 昨年秋、海上自衛隊横須賀基地所属の護衛艦「たちかぜ」の若い乗組員が電車に飛び込み自殺した。現場のホームに残された手帳には上司のS二曹の名が書かれていた。
 S二曹が神奈川県警に逮捕されたのは、自殺事件の直後だった。玩具のガス銃(プラスチック製の銃弾)を艦内に持ち込み、部下に向けて撃った暴行容疑だった。
 その後の公判で明らかになったところでは、S二曹は別の隊員とともに玩具の銃数丁を艦内に持ち込み、何人もの部下を強引に誘っては「サバイバルゲーム」を繰り返した。さらに、部下にわいせつ画像が記録されたCDを十数万円で買わせる手口で恐喝も行なっていた。
 被害者のひとりは証言する。
「S二曹は、とても怖い人で、どんなに嫌でも断れるような雰囲気ではありませんでした」
 自殺した隊員もS二曹にイジメられていたという。
 だが海上自衛隊横須賀総監部の調査委員会は「自殺の原因は、イジメと無関係」と結論づけた。
「どうしてイジメがなかったと言い切れるのか。まったく納得できない」と遺族は嘆く。

イジメ絶対に認めない
 「また犠牲者が出てしまった。自衛隊は何も変わっていない」
「たちかぜ」の事件についてそう話すのは、1999年11月に起きた護衛官「さわぎり」(佐世保基地所属)自殺事件で犠牲になった隊員の遺族だ。
 自殺した隊員は生前、上官から「ゲジニ(げじに)」(“役立たず”の意)と、さげすみの言葉を投げつけられるなどの行為を受け、苦痛を訴えていた。そして精神的に追いつめられて艦内で自殺した。
 事件後の調査で「さわぎり」艦内では、違法なとばくや飲酒に始まり、部下を丸刈りにするなどの制裁が横行。海中転落や自殺未遂事件もあいつぐ異常な状態にあったことが発覚した。
 そうした事実を前にしてもなお自衛隊は、隊員が自殺した原因について「イジメの事実はなく、関係ない」と決めつけた。まず結論ありき。「自衛隊にイジメという文字はない」と言うに等しい調査結果だった。
 「息子のような犠牲者を二度と出してほしくない」
 遺族は国を相手に損害賠償を求めて提訴。第三者機関による監視の必要性も訴えたが、一審の長崎地裁佐世保支部では遺族の訴えを完全に退ける判決を出した。本人がイジメを苦にしているにもかかわらず、裁判所もまた「イジメはない」と断定した。
 「子どもは二度殺された」
 遺族は憤り、現在控訴中だ。

インドネシア・アチェに派遣された自衛隊員(写真提供・三宅さん)
民間人刺殺や上官殴殺
ストレスから凶悪事件相次ぐ

 隊員の自殺に頭を抱えてきた防衛庁は、早くから対策に乗り出してきた。2003年には「借財を原因とする自殺が多い」として、サラ金対策マニュアルも作った。だが効果は薄く、昨年度は史上最悪の94人の自殺者を出した。
 サラ金に苦しんだ経験のある隊員は、借金の背景にはストレスがあったと言う。
「部隊生活には自由がない。外に出たくてたまらなくなる。休みの日にはパチンコや風俗で羽目をはずし、気がついたらサラ金地獄。上司には相談できないし……死のうと思いました」

モノいえぬ組織の息苦しさがストレスの原因
 イラクなど海外派遣の機会が増えたことで、ストレスはより強まってきているとの指摘もある。
「外国語の能力や部隊の事情から、海外に出られる隊員は限られる。結果、同じ隊員が何度も海外へ行かされる。行く者も残される方も大変です」(スマトラ島の津波被災地に派遣された自衛官)
 ストレスは借金以外の形でもあらわれているようだ。
 防衛庁によると、昨年度の凶悪事件(殺人、傷害、傷害致死など)は過去5年間で最多の10件。凶悪事件は、今年度になってもあいついでいる。沖縄では幹部自衛官が傘で民間人を突き刺して死亡させ、金を奪う事件も発生。大野功統防衛庁長官が不祥事防止を申し入れる事態となった。
 昨年、和歌山駐屯地で起きた殺人事件で、興味深い証言を耳にした。
 部下が上官を殴り殺したこの事件で、加害者の自衛官は公判で「『お前は役立たずだ』『いらない人間だ』などとイジメられていた」と小さな声で証言した。被害者はイラク派遣の候補者だった。
 人格を否定され、たまっていた感情が爆発したという。自衛隊の職場にあるストレスの一端がうかがえる証言だが、自衛隊側はやはりイジメの事実を否定、真相は闇に葬られた格好だ。
 防衛庁は「自殺や不祥事対策に懸命にとりくんでいる」としながらも「イジメに特化して、特に調査したり対策を取っているわけではない」として、イジメ問題にとりくむ構えはない。
 イジメられているのに「イジメはない」としか言わない自衛隊。モノ言えない組織の息苦しさこそ最大のストレス原因だと思えてくる。

 三宅勝久さんは一九六五年岡山県生まれ。著書に『悩める自衛官』(花伝社)など。

都連第19回青年技能競技大会
東京土建が三賞独占
金賞に林陽一さん(世田谷)
10月の全国大会に挑戦
表彰式の後、東京土建の競技者全員で健闘をたたえあう
 東京都連第19回青年技能競技大会は7月31日、都立板橋技術専門校において開かれ、3組合32人の参加で、課題の「四方転び踏み台」に挑戦しました。
 規定の時間は6時間、図面作成、削り、墨付け、キザミ、組み立ての順で成果を競いました。厳正な審査の結果、上位3人は東京土建が独占。入賞者は次のとおりです。金賞は世田谷支部の林陽一さん、銀賞に江戸川支部の菅原弘明さん、銅賞は渋谷支部の平田貴彦さんが獲得。さらに板橋支部の樺沢雅志さん、中野支部の曽根桂太さんが入賞。足立支部の小井土隆さんが審査員奨励賞を受賞しました。
 大会で金賞・銀賞・銅賞に選ばれた3人は、10月10日から3日間、島根県松江市でおこなわれる、全建総連第21回全国青年技能競技大会に東京代表として出場することになります。

住宅センター前進へ
「新職人憲法」を生かして
講演中の全建総連越智薫史さん
 仕事対策部は8月4日、第3回全都「住宅センター活動経験交流集会」を開き、106人が参加。はじめに瀬田仕事対策部長は、第28回住宅デーは、地域にあったとりくみで、仕事が取れることに確信を持つことができた。大いに学んで住宅センター運動を前進させようと訴えました。
 全建総連が「職人憲法」を全面改訂し「木造住宅建築業務基準」を発表したことをうけ、越智薫史技術対策部長から講演を受けました。越智さんは、新築住宅はこの6年間、120万戸前後で推移しているが、現場では激しい競争の波にさらされ、一方的な単価の引き下げや労働条件の引き下げが進んでいると報告。
 こうした情勢のもと、改定した「木造住宅建築業務基準」を学習し、消費者に「どういう提案をするか。仕事をするか」が問われる時代にきていると訴えました。

「削ろう会」大会
 全国「削ろう会」の第17回大会は、静岡県御殿場市体育館(御殿場市ぐみ沢670)でおこなわれます。
 日本は豊富な森林に恵まれ、また良質な砂鉄を用いた製鉄技術と天然の砥石が作り出した鉋の技を、楽しみながら次代へ継承していくことを目的にしています。道具の展示も見もの、ぜひ見学してみませんか。

日時 9月24日(土)13時開会、25日(日)午後3時間で。
削り参加費 1000円
見学は無料です。

「9条の会」有明講演会 9500人が護憲の誓い新た
 7月30日、有明コロシアムで「9条の会」講演会が開かれ、9500人が参加しました。
 講演は三木睦子さん(三木元首相夫人)、鶴見俊輔さん(哲学者)、小田実さん(作家)、奥平康弘さん(憲法学者)、大江健三郎さん(作家)、井上ひさしさん(作家)が行ない、澤地久枝さん(作家)はビデオ・メッセージを寄せました。
 講演会後、「9条の会」は(1)「9条の会」を広げる、(2)来年全国的な交流集会を開催する、(3)9条の意義を学び、改憲キャンペーンをはね返す、(4)9条改憲反対の大きな世論を作り出す、の4項目の行動提起を発表しました。

三木睦子さんの話
母のさとしのよう

【村山大和・主婦・村山和子記】
 私は戦争を知らない世代です。講演を理解するのは大変でした。その中で三木睦子さんの話は、お母さんが「戦争をしたり、軍隊を外国に出したりしてはいけない。9条を守らなければ日本の国はどうなるの」と子どもに話しかけているように感じました。

ヒロシマ、ナガサキの原爆を賛美
アメリカ原爆博物館
「生き地獄」に一言もなし
広島(左)、長崎(右)への原爆の模型を展示(撮影・森住さん)
【フリーカメラマン・森住卓記】
 いま、私は広島・長崎の被爆者の取材を始めた。60年がすぎ、その体験をどう引き継ぎ核兵器の恐ろしさを世界に伝えるのかが問われていると思ったからだ。私にできることは写真で被爆者の60年間の苦しみ、怒り、苦悩を表現することだと思っている。
 彼らの取材をすればするほど、今春、アメリカで見たある光景が脳裡をよぎり、やるせなくなってしまう。
 その光景はニューメキシコ州アルバカーキーにある「ナショナル アトミック ミュージアム」に展示されている広島に投下された原爆リトルボーイと長崎に投下されたファットマンの模型だ。そこには「広島、長崎への原爆投下は戦争終結を早め、多くの米軍兵士の犠牲を防ぐことができた」ということが語られていた。核兵器を持ち使用する側の言い分だ。そこにはキノコ雲の下で何が起こったのか、被爆者が語ってくれた「生き地獄」のことなど一言も書かれていなかった。圧倒的なアメリカ国民はこうして真実を知らされないまま、アメリカ政府の核政策を支持しているのだと実感した。

侵略・占領の真実隠すアメリカ
正視できぬ殺戮暴行
イラク人ジャーナリスト ラシードさん告発の会見
ファルージャでの米兵の蛮行(ラシードさんのビデオから撮影)
 「侵略と占領の実態を世界の目から必死に覆い隠そうとする米軍などの、報道に対する取締りは常軌を逸している」と語るのは、このほど日本の反核平和団体とボランティアの招きで来日したイラク人ジャーナリスト、イサーム・ラシードさんです。
 8月7日、イラク人ジャーナリストが語る「軍事占領下のイラク」と題する映像による報告会が、千代田区の富士見区民会館で行なわれました。イサーム・ラシードさんはバグダードの出身で、フリーランス・カメラマン。2004年4月と11月のファルージャ攻撃などを取材、「侵略と占領の真実」を世界の人々に知ってもらいたいと活動しています。
 ラシードさん自身、こうした報道を恐れる米軍に3度も拘束され、2004年1月にはイラク人に対する虐待の事実で私たちにも記憶に新しいアブー・グレイブ刑務所に17日間も拘禁され、拷問・虐待を受けました。
 この日の報告は、アメリカ軍が完全に制圧したというファルージャに昨年11月に潜入して、破壊しつくされた市街の様子と避難民に直接取材して、攻撃のすさまじさ、ファルージャ住民に対する暴虐を告発する「ファルージャからの証言」というビデオ上映し解説しました。
 瓦礫と化した住宅や町並みには死体が放置されたままです。目を覆いたくなるような場面が続きます。すさまじい空爆と破壊された住宅、逃げまどう住民。銃を乱射しながら侵入する米軍の家宅捜索と拘束される住民。頭から麻袋をかぶせられ後ろ手に縛り上げられた人々が次々に引きずりだされていきます。
 ラシードさんは言います。「なんの武器も持たない彼らがテロリストでしょうか。たとえテロリストがいたとしてもこのような無差別な攻撃や人権侵害が許されるでしょうか」と。米軍はいち早く病院を占拠してしまいましたから傷ついた住民を収容するところがありません。アメリカ兵は傷ついた住民にとどめの銃撃をします。それが「勇敢な兵士」なのだそうです。
 ラシードさんたちが命がけでファルージャから持ち出した3本のビデオが終了後、次のように語りました。「600人の外国人記者がアメリカなどの連合軍に従軍して取材していますが、彼らはグリーンゾーンから1歩もでることはなく、爆撃されるイラク人の側からの取材はしていません。連合軍の望む映像だけをメディアは取り上げました。
 反面、アラブ系のメディアと独立系のジャーナリストは常に監視されています。バグダードではフリーカメラマンが米兵に銃撃されました。彼らにカメラを向けることは決死の覚悟がいることです」。

「反占領」の30万集会
 また、イラクの混乱がシーア派・スンニ派の対立と描くメディアに対して、「両派は今までも共同してきたし、『反占領』の目標で30万人がバグダードで抗議集会を成功させた。私たちは、失われた祖国の復興のために力を合わせています」。
 さらに、「戦争の真実の顔を知ってもらいたい。アメリカ軍は真実が語られることを一番恐れている。私の訪日の目的は、戦争の真実を日本の皆さんに知ってもらい自衛隊ではなく民間の皆さんがイラクの復興を手助けしてくれること」と語りました。

米の同時多発テロの遺族「報復でなく平和求める」
 8月2日、原水爆禁止世界大会(広島)で2001年のアメリカ同時多発テロの遺族で作る平和団体「ピースフルトゥモロウズ」のアンドレア・ルブランさんは夫を失った悲しみを語るとともに「被爆者のように、報復ではなく平和を求めるならば、私たちは力による支配を狙う勢力に必ず勝利するだろう」とのべ、大きな拍手を受けました。